飯沼飛行士記念館
1937年まで、パリ→東京を飛行機で100時間以内に到達した人は世界にいませんでした。多くの敏腕フランス人飛行士が挑戦しましたが、焦りのためか悉く操縦ミスって墜落したり山に激突して死者も出しました。
しかし逆ルートで東京→ロンドンへの飛行に日本人がチャレンジし、なんと成功を収めたのです。「日本のリンドバーグ」こと、飯沼正明 飛行士。
彼の実家が安曇野にあって、今では資料館になっているのだ。
混雑具合にもよると思うのだが、館内はガイドさんによるマンツーマンでの解説で進んでいきます。このガイドさん、飯沼正明の親族にあたるらしい。そのため提供される説明はかなり詳細で量も多く、予習なしで来ても存分に楽しめます。
徹底解説すぎて、聞き終わったときには入館後1時間20分くらい経っていた。ながスギィ!
なので来館される際は、時間に余裕をもって来られると良いと思います。
まず手前にあるのは飯沼正明氏のブロンズ像です。
やたら若いなと思ったら、享年29歳だった(1912-1941)。早くして亡くなっちゃったのね。
なお館外にもうひとつ飯沼像が立っているのだが、ガイドさんが「あの像はあんま似てないね」とバッサリ切ってたので笑ってしまった。なぜそんな像を作らせてしまったのか。
(挑戦について「国家的壮挙や!」と煽る朝日新聞。フラグにならなくて良かったね)
さて飯沼さんは東京→ロンドンまで飛んだわけですが、これは朝日新聞の企画だったのだ。
当時メールなんて無いから、海外取材で撮影した写真は、新聞社の航空部に属する飛行士が配達していた。各新聞社は、いかに速達できるか競い合っていて、特に朝日と毎日がデッドヒートしてましたと。
ここで朝日が毎日をぶっ潰すために、ヨーロッパ人ですら成功していない記録へ挑戦することとし、自社航空部エースである25歳の飯沼正明が出場することになったのです。
この挑戦は朝日どころか世界で前人未到の記録なのでメチャクチャ注目を集め、もう国家イベントになってしまった。
出発前式典の写真ですが、右にいるのは東久邇宮です。皇族出てきちゃったよ。
そして1937年4月1日、人類未踏の記録挑戦のため、立川飛行場から飛行機が飛び立ちました!!
・・のだが、離陸して数時間で引き返してきた。機体が故障した上に天候がヤバいことになっていて、このまま飛ぶと記録どころか死ぬかもしれんと思い、バックしたのです。
おそらく全国民がズコーっとなったはずだが、まぁどうせやるなら万全を期そうということである。
あらためて4月6日、スタートしました。
(飛行の模様を毎日伝える朝日新聞)
当時の飛行は今と異なり、レーダーとかないので全て目視です。目とカンが最高に冴えてないと飛行士なんてできないですね。
ベトナムでは天候が酷すぎる状況の中で視界を遮られ、あやうく死にかける。
インドでは現地の航空局がウルトラ馬鹿で間違えた情報を与えられ、離陸の際に滑走路の巨木にブチ当たりそうになり、あやうく死にかける。
休憩地点として着陸したパリでは、大勢のフランス人により歓迎を受け、元操縦士とかいうオバはんに飯沼氏が猛烈にハグされて死にかける。
サウスパークのケニー並みの苦難を無事乗り越え、ついにロンドン到着だ。
現地の飛行場には6,000人もの現地人が駆けつけて大騒ぎ。
飯沼さんはどこにいるのでしょうか(ウォーリーを探せ)
到着タイムは94時間。パリ~東京100時間ですら誰も達成できなかったのに、さらに距離の長いロンドンまで行けてしまったのだから驚きである。
「日本人は魚と米ばっか食ってるから上空にいくと死ぬ」なんてヨーロッパ人は小ばかにしていたが、全部まとめてお仕置きよ!
なお飯沼さんの飛行機には整備士である塚越賢爾さんが同乗しており、この人のメンテ技術が無ければ記録達成は難しかったかもしれないそうです。
技術士は必要不可欠だと、文系は胸に刻みましょう(文系脳)
(ドイツでゲーリングに謁見するお二人)
英国到達という目標が達せられたあとは、せっかく欧州まで来たので各国を表敬訪問しました。ベルギー・イタリア・フランス。どこでも大歓迎である。
しかしドイツだけは「なぜお前らは敵国であるイギリスなんぞに行ったのか」とご立腹。
歓迎式典にはヒトラーではなくゲーリングが出席し、自身のサインを2人に賜りました。他の国では勲章とか貰ったんですけど。お前のサインなんていらんがな。
そんなのが、この大記録のあらましでした。
資料館は終わりだが、もう1棟。飯沼正明の生家になります。
なんとこの建物も資料館になっていて、プライベートな面を扱っております。すでに入館から1時間ちかく経ってますけど、まだ半分しか来てなかったのね。
地方の一資料館とは思えないボリュームの分厚さである。
展示しているのは若い時の飯沼さんの写真とか持ち物とか。
この和室で結婚式を挙げたそうです。日本のリンドバーグがどんちゃん騒ぎした部屋でアナタも一緒に泥酔しましょう(飯沼氏が飲んでたとは言ってない)
面白かったのは、飯沼正明の兄が記録してた飛行ノート。
当時はどこの誰の飛行機が飛ぶという情報が新聞に出ていたそうで、この兄貴は正明くんの飛行情報が出ると、すべて切り抜いてノートに貼り付けていたらしい。
ちょっと兄馬鹿がすぎやしませんかね。
最後にですが、飯沼正明は記録達成の4年後に29歳で死去している。
その1941年は戦争のさなかだが戦闘には出ず、本土と海外基地の間で書類や軍人を輸送するという危険度の低い任務に就いていた。
・・のだが、カンボジアの基地で、離陸直前の飛行機がひしめく中を何故かフラフラ歩いており、発進した飛行機のプロペラに巻き込まれて死亡。
動いている飛行機の周辺をふらつくなんて飛行士としてはあり得ないことであり、なんだか謎の多い死因となってしまった。
というわけです。
安曇野にリンドバーグが居たという面白ビックリな内容なので、ワサビ園のついでに寄ってもらってもいいのよ?
おしまい
【交通手段】柏矢町駅から徒歩10分
【入館料】400円
【混雑度】★★(他に2~3人)
【滞在時間】90分
【URL】