藻原寺
のっけから「なんだこの写真は」という感じがするが、これは茂原市にある藻原寺の山門です。
日蓮宗で、13世紀から続くお寺です。
日蓮さんは千葉県出身で、鴨川市にある清澄山というところで坊さんになったけれど、日蓮宗を説き始めると古巣のその寺からウザがられて追い出されてしまったので、この茂原の辺りでひっそりしていたそうな。
そこで茂原の豪族 齋藤氏が日蓮に帰依し、1276年に齋藤宅内にお堂を立てたのが、藻原寺の起源とされているよ。
(山門を反対側から見た図)
にしたって、なんでこんな奇怪な山門にしましたかね。
当然、日蓮世代からこうだったわけではない。
昭和の時代に元の山門が台風でぶっ壊されたので、1932年に再建したのだが、おそらく当時の住職の意向によりこうなっている。
建て替える際、資金不足だったので檀家から寄付を募ったそうだが、出来上がった結果を見て寄付者の皆様は予想の斜め上を行かれて驚愕したのではなかろうか。
中国・インド・日本の様式を折衷したそうだが、日本要素はどこに行ったのでしょうか・・
山門の左右にはニワトリの極楽版みたいなのが記されている。
口を開けているから「阿吽」の「阿」なのかな?
反対側は口を閉じているので、たぶんそうなのだろう。
肝心の阿吽像は・・正面から山門を見ると黒ガラスのせいで見えません。
横から見ると、ご拝謁できます。
どうして正面からチラ見禁止にしたのだろう。
インド流かな?
山門ばかりに目が行くが肝心の仏殿は普通である。
山門のせいで珍スポ扱いされているこの寺だが、日蓮本人が来ているということもあり、そもそも「東の身延」と呼ばれるほど格が高い。
日蓮の死後も、その直弟子である日向(にこう)が身延山別当を務めた後にこちらの住職になっている。
その後の動きは知りませんが、江戸時代に家康が朱印状与えているところから、地元の名刹として残ってはいたんでしょう、たぶん。
なお日蓮はこの寺を「常楽山 妙光寺」と命名しているのだが、家康は「藻原寺」と朱印状に書いている。
名前変えるなよと思うのだが、家康の発想で突然変えるとも思えないので、地元の人々が「藻原寺」と呼んでいて、それをまんま採用したんじゃなかろうか。
のちに、藻原寺が正式名称となった。
猫が思いっきり罰当たりな場所でくつろいでます。
お堂の裏側へ来た。
渡り廊下で、別の建物に繋がっているぞ。
ここは守護神「華経房」が安置されている。
手前に置いてあった説明版によると、法華経を広める時に保護してくれる強い人らしい。
広めないときは助けてくれないのだろうか、悲しいなぁ。
朱塗りの渡り廊下はまだ続くけど、コーンが置いているあたり、立ち入り禁止のようです。
じゃあ階段を下りて帰ります。
おわり!閉廷!
・・の前に、隣接する駐車場を通ったら、なにかある。
日蓮上人のドデカ上半身アップであった。
全身像の建立計画を進めており、寄付を募ったそうなのだが、おかねがたりなかったので(こなみ)、上半身だけでストップしているらしい。
あちらも資金不足で上半身だけで終わってしまいましたが、なんだか同じ結末になりそうですね(直球)
以上
【交通手段】茂原駅から徒歩20分
【入館料】無料
【滞在時間】20分
【混雑度】★★(他に2~3人)
【URL】
higashiminobu.sougenji.nichiren-shu.jp