倉敷物語館
倉敷の美観地区に入って一番最初にある施設が、倉敷物語館である。
江戸時代に建築された屋敷を利用した、観光案内所。
入口の門をくぐって右手に、蔵。
二松学舎大学の特集をしている模様。
なぜ?
どうも二松学舎の創立者である三島中洲という人が、倉敷の出身だかららしい。
幕末は備中松山藩に仕官しており、維新後は法曹として民法考案や東大教授を歴任。
麹町に開いた漢学塾が、現在の二松学舎となっている。
ついでに三島中洲の恩師であり、岡山出身の山田方谷という人も登場している。
二松学舎は、慶應義塾・同人社と並んで、東京における三大私塾としてもてはやされた。
慶應義塾は今日も存在しているが、同人社については1873年創設されたのに1887年に経営難で廃止されております。
ちょっと潰れるの早くないですかね。
いろいろな古文書。
東京三大私塾と言われるだけあって、二松学舎の理事長には渋沢栄一・金子堅太郎など錚々たるメンツが就いている。
はえーすごいメンバーっすね。
(山田方谷先生の書)
そんな華々しい歴史を持つ二松学舎だが、現在の同大学の偏差値は45~55。
どうしてこうなった・・
カーネル・サンダースを遥かにしのぐ口ひげである。
蔵を出て、物語館の本館へ。
ここは資料室 兼 観光案内所 兼 コミュニティセンターである。
コミュニティセンター要素は、貸し部屋。
この和室も1時間350円とビックリ低価格で借りられます。
ちょろっとだけど、倉敷の歴史の展示で、江戸時代以降。
倉敷川を基とした舟運が発展し、幕府の代官所が置かれたが商人には自由にやらせる雰囲気があったそうで、それでまた人口が増えて都市として成長していった。
名物品がおかれています。
備前焼・・と思ったら、酒津焼というものだった。
まぁ釉つかってる時点で、備前焼とは全く異なるのだが。
起源は明治時代と新しいのだが、肉厚・堅牢でグレーの地味っぷりが特徴であり、あまり余計なことしてないあたりがオーガニックとして、陶芸ガチ勢にうけている。
じつはい草も名産で、昭和では一時期、作付け面積トップに躍り出た。
神功皇后に献上した伝承があり、信ぴょう性は怪しいものの、歴史は古そうである。
勢い余って、倉敷市のマークまで書いてしまった。
これは「素隠居」のお面。
江戸時代に、沢田某という高齢の爺ちゃん婆ちゃんがおった。
近所の祭りで、彼らの提案で獅子舞を歩かせることになったのだが、高齢なので長距離を歩きとおすのは難しい。
そこで自分たちのお面をつくって、これを若い衆に被せて獅子舞をやらせることで、自分達も祭りに参加したということにした。
んで何故か知らんが、これがウケて、現代まで伝承されている。
代わりに獅子舞やらされることになった若者が可哀そうではあるが(現代並感)
上掲のお面は江戸時代から伝わるものだが、さすがにガタがきたのか、戦後になってから新たに作られたお面がこれ。
なんとペーパークラフトでもつくってしまった。
江戸時代には蔵屋敷が立ち並ぶ地域であったが、明治になると近代化の影響で西洋建築が登場し始める。
ただしかし歴史ある景観を残すべきだ運動が国内外から沸き上がり、結果として倉敷は「美観地区」としてその伝統を残すよう、法規整備がされたのです。
めでたしめでたし。
他にも建物は数棟あって、カフェやイベントホールになっています。
しかし美観地区自体には大勢の人が居るのに、入口付近にあるここはみんな素通りだな。
まぁ観光案内所に大挙して訪れるわけもないけど。
以上。
【交通手段】倉敷駅から徒歩10分
【入館料】無料
【滞在時間】30分
【混雑度】★★(他に2~3人)
【URL】