長島記念館
熊谷市にある長島記念館。
公共交通機関だけで行こうとすると、熊谷駅からのコミュニティバスで40分かかる。
最寄りは吹上駅なのだが、路線バスなんか出ていないので、駅から4kmの距離を歩くか、諦めてタクシーを利用しましょう。
地元の豪農であり、埼玉銀行(いまの埼玉りそな)頭取を務めるなど埼玉経済界で活躍した長島恭助(1903-1992)に関する資料館である。
巨人の方は長“嶋”だからね、こことは関係ありません。
入場料は300円。
門をくぐってすぐ右手が受付になっている。
正面にある屋敷に入る。
ここは長島恭助の生家であり、晩年を過ごした場所でもある。
築300年近く経っているそうで、銀行頭取の家とは思えない農家住宅。
土間あるし。
長島恭助の人生についてはパネル展示を読んで理解する形式となっている。
長島自身が自伝を著しているので、それに沿ってパネルも作成されているようだ。
長島恭助は1901年に生まれ。
旧制熊谷中学(いまの熊谷高校)、山口高等商業学校(いまの山口大学)に進んでいる。どうして山口いったし。
熊中在学時にやっていた剣道は結構な腕で、前橋中学(いまの県立前橋高校)に遠征に行ったときに、たった一人で相手7人をぶちのめしてしまったそうな。
やっぱり群馬は埼玉には勝てないのですね(真理)
(昭和の道具を飾る展示室。長島が晩年ここに住んでいた時、お手伝いさんの部屋として増設された)
山口大学を卒業して実家に帰ると、親が“卒業祝い”として、就職先を確保していたという。
現代でもボンボンの家は高級車くらい買ってあげるのかもしれないが、就職先をプレゼントするというのは会社の経営者か、危ない橋を渡っている人くらいではなかろうか。
長島の方も「地主の長男として家を継ぐからいずれは実家に戻らないといけないし、どうせなら社会勉強のために働くか」程度の考えで、このプレゼントを受け取ったとのこと。
さすが、地主は違いますねぇ。
なお結婚相手も、親が探してきて勝手に決まったそうである。
就職先は、1918年創立され、渋沢栄一の甥が頭取をやっていた武州銀行。
ここの浦和本店に勤めることになったが、当時の県内にはアホほど大量の銀行があり、客も来なかったようなので、「いつ来るか分からない預金者を待ち続けるしょうもない仕事」などど回想されている。
棚にはおもちゃがいっぱいある。
長島が使っていたものだろうか。
現代視点だとたいした量に見えないおもちゃだが、当時の農村住民からすると膨大な量であろう。
それをさらっと所有している長島くん、さすが豪農の子は違う。
枡が置いてあるが、サイズ的に酒では無くて米用だと思われる。
そんな暇な武州銀行もなんだかんだで辞めずに6年目の1929年、世界恐慌が勃発。
ここからの数年間はハチャメチャに忙しい時期であったが、この経験を通して銀行の社会的影響力の大きさを実感し、銀行業に身を入れることを決めたという。
いままでの6年間、よほどテキトーに過ごしてたんだなアンタ。
(さっきから玩具ばっかりだな、展示)
ちなみに武州銀行は、1920年~1928年の間に7つの銀行を吸収して拡大している。
銀行乱世時代の埼玉県であったが、さすが渋沢栄一系列だけあって、生き残り策には長けていた模様。
しかし1943年に戦時統制。武州銀行は八十五銀行・飯能銀行らと合併を命じられて「埼玉銀行」となり、武州銀行の名は終了した。
さて、戦後になっても埼玉銀行の中では出身銀行ごとの派閥争いで、特に役員たちはフリーズしていた。
そこで長島も含めた従業員組合がクーデターを起こし、「旧態依然とした役員どもはさっさと帰るように」と三下り半を突き付けて、体制改革に成功。
おかげで預金がっぽがっぽや!
(10月末だからハロウィン仕様?)
その後の埼玉銀行は、国際化のビックウェーブに備えて一介の地方銀行から都市銀行へとレベルアップ。
この辺のイケイケの時代に、長島氏は頭取に就任し、勢力をさらに拡大させていったものと思われる。
埼玉県内で店舗数トップになるのはもちろん、大阪・札幌・さらにはニューヨークなどにも進出して行き、「もはやダサイタマではない」と誇らしかったことであろう。
(残念ながら座敷にはあがれない)
しかし91年にバブルが崩壊すると、同年に協和銀行と合併して「あさひ銀行」を設立。
これも2001年に巨額損失をぶち上げて経営破たん寸前になり、ぎりぎりのところで大和銀行との協力を得て、埼玉県内の営業は「埼玉りそな銀行」、それ以外は大和銀行と合併して「りそな銀行」となった。
まぁ、りそな銀行の方は合併直後に公的資金投入されているから、間に合ってないんだけど。
1992年に長島は没しているので、自分が盛り立てた埼玉銀行が最晩年にバブル崩壊で合併解消していく様を見ていたことになり、いろいろ思うところがあったかもしれないし、無かったかもしれないねぇ(雑)
長島は野球好きであり、巨人ファンであった。
巨人軍コレクションもこのとおり。
埼玉なんだから西武ライオンズでは、と思う人が居るかもしれないが、このとき西武はまだ所沢に来ていないからねしょうがないね。
いろんな選手のサインボール・色紙がずらずら。
やっぱ金持ちって違いますねえ(僻み)
あとは庭でも見ますか。
これが庭。
座敷の中には入れないけれど縁側から覗くことはできる。
展示室では無いのにけっこう飾ってあるな。
イベントでこの部屋を使ったりするんだろうか。
縁側から庭を見た風景。
まだ奥の方へ続きます。
庭園というより菜園サイズになってきたが。
でもやはり庭園である。
かっちり整備されているわけではないけど、和風庭園ってこんな感じなんだろうか。
受付横に蔵がたっていて、ここでは企画展をやってたり、長島家が所有する絵画や書画を置いてあります。
以上。
【交通手段】熊谷駅からバス40分
【滞在時間】40分
【混雑度】★★(館内に2~3人)
【入館料】300円
【URL】