さいたま市立博物館
大宮駅西口から徒歩15分くらいの場所にある博物館。
氷川神社の参道のそば。
入館は無料。
館内での撮影は、受付で申請すれば可能です。
展示室へは階段を下りていく。
こちら。
入口に「学習ノート」がある。
ぼけーっと展示を見てないで、ちゃんと学習しろという、博物館側のお気遣いである。
中3用までしかありませんがね。
大人は大人なので、自力で集中力を保ちましょう。
縄文時代。
6000年ほど前にピークを迎えた縄文海進の影響で、いろんなところが水没していましたとさ。
河川も、渡良瀬川がこんなところまで来ているなど、現在と様子がまったく違っている。
貝塚。
貝がじゃらじゃら。
自由に触って良いという展示かしら。
違った。
目の前で物をぶらつかせておいて、お触り禁止とは。
縄文人の人骨と、予想される頭部の像。
縄文人はオールバックだったようです。
土器。
初期の頃は食べ物を煮炊きするための、大柄な器ばかり作られていたが、6000年前頃から盛り付け用の小さな食器が登場したようです。
縄文後期の、食器類たち。
これは注口土器とのことだが、ドーナッツ型という前衛スタイル。
投網はこんなのを海に投げ込んでいたようだ。
耳飾り。
相変わらず巨大すぎる飾りであるが、それよりも展示の仕方が怪しい。
安定の石棒(下ネタではありません)
土偶のみなさん。
これは人面。
こっちは、ミミズクらしい。
うーん?
埋蔵文化財の発掘調査現場を再現したもの。
発掘の仕方も書いてあります。
ブルドーザーで掘っている。
ブルドーザーに頼り過ぎると、遺跡ごと破壊しかねないので、途中から自重して人手で掘り下げます。
たいへんですねぇ。
私はこの時点で発掘を諦めます(貧弱)
どこで何が見つかったのかを記録しています。
なにもみつからなかったら「ボウズ」とかいうんだろうか。
発掘し終わったら、埋め戻しましょう。
穴ぼこだらけ。
空撮写真。
団地の横に思いっきり穴開けてしまっていますが、多少はね?
そこで見つかったのは弥生時代の方形周溝墓で、古墳の走りともいわれている。
中央の小高い部分に偉い人を埋葬し、周囲の溝にお供え物を入れて埋める。
偉い人の家族を、溝の部分に埋葬することもあるって、別の資料館で聞いた。
溝じゃなくて高いところに埋めてあげてクレメンス。
巨大な土器。
謎の絵が記されていて、誰も解読できていないらしい。
その絵が、こちら。
絵というより、汚れでは?(てきとう)
こういう酒器あるよね。
ハニワたち。
首が砕けているのもありますが。
これが男性の埴輪。
こっちが女性。
うん、わかりやすい(棒)
馬の方が立派に作られていたりする。
偉い人>偉い人の馬>>>(越えられない壁)>>一般ぴーぽー、なのだろう。
中世に来ました。
さいたま市域は、岩槻だけが埼玉郡、残りは足立郡に属していた。
修羅の国 足立。
立派な雲版。
寺で、時刻を知らせるようにボーンって叩くやつ。
鐘ではないよ。
氷川神社などの大きい寺社があるので、土地の寄進など様々な文書がそこに保管されており、そのおかげで昔のことを調べることができる。
自分の勢力により関東を治めることを祈願して、寺に土地を寄進するという内容なのだが、その中に農民の屋敷が含まれている。
人の家を勝手に他人に与えるとは、さすが足利持氏きたない(確信)
幕府の命に背いて武士の粛清・討伐を勝手にやり、そのため幕府に討ち滅ぼされるもさんざん火種を残して行って、戦国時代はじまりの一因をつくっただけある。
こっから江戸時代で、これは朱印状。
社会科の授業で朱印船貿易ばかり取り上げられているが、寺社の所領を安堵するために江戸幕府が発行したという性格を持っている。
以前は印鑑ではなく花押(サイン)がメインだったが、戦国時代から朱印を押すブームになったようだ。
奈良時代では印鑑が使用されていたので、印鑑リバイバルともいえるかも。
解説付きなのはめずらしい。
なにげに見ざる聞かざるは様々な場面に出演している。
中山道の宿場町、大宮宿の模型。
なお「大宮」という地名は、「氷川神社の大宮」から来ている。
もともと氷川神社参道付近に集落があったのだが、江戸時代になってから西へ移転して宿場町本格オープンとなった。
説明音声が流れるボタンがあったようだが、故障中の様です。
宿場町の位置を、現在の地図におとしたもの。
駅の位置はわかったけど、「デパート」ってだけ書かれても、どのデパートか分からないんだよなぁ・・
そもそも現存しないデパートの可能性も。
宿場町の本陣である、山崎さん宅の家の見取り図。
こちらが脇本陣。
本陣よりも大きいようにみえますが、気のせいですかね。
中山道は戦国時代から往来として存在はしたようだが、江戸時代になってから整備された。
西方に行くには、東海道よりも40kmほど距離が長くなるうえに山道が多いのだが、東海道と比べて幕府の監視の目が強くなく、宿賃も安かったので、こちらを通る人も多く、とくに女性が多かったので「女人街道」とも呼ばれた。
旅道具。
便利なのはわかったが、頭が砕けそうな枕である。
携帯用そろばんも発売中。
農家ゾーン。
水車を足で回す人。
高いなぁ。
実際のお写真。
米俵を持ってみよう選手権が開催されています。
重いです。嫌になるくらい。
蔵がありますな。
中はやっぱり農機具だらけ。
調度品の数々。
とっくりも数々。
明治時代に入ったぞ。
1868年に武蔵県が発足、そのあと数か月単位で大宮県→浦和県となぜか改称があり、1872年に岩槻県を吸収して埼玉県で落ち着いた。
大宮駅は1885年に設置された。
いまでこそ「鉄道の町」を自負する大宮であるが、1883年に鉄道が上野ー熊谷間で開通した際、浦和の次の駅は上尾になっていて、大宮駅は存在しなかった。
すでに大宮宿のあたりが廃れ始めていた大宮住民は、慌てて大宮駅の誘致活動を開始。
駅となる土地の提供まで申し出る大盤振る舞いにより、誘致は成功した。
(上野ー熊谷間を最初に走った「善光号」。イギリスから輸入して、川口の善光寺にて荷揚げをしたので、この名前になっている。長野は関係ありません)
大宮駅が設置されて後、東北本線の開通に向けてルート選定が行われていた。
分岐点として、浦和・大宮・熊谷の3地点が候補に。
浦和案は、その場合の沿線となる岩槻住民が反発したので断念。
その結果、いまでも岩槻は域内を東武線がちょろっと走るだけの鉄道不毛の土地になってしまい、現在やっきになって埼玉高速鉄道の延伸を求めている。
一方で大宮は、駅の北側に車両工場が建設され、大宮住民の多くがその工場で働き、また鉄道関係者が市議会議員になるなど、まさに「鉄道の町」として発展を遂げた。
とりあえず当時反対した岩槻住民は、ダイナミック土下座でもした方がいいんじゃないかな(提案)
戦争時の展示。
大正時代の通信簿。
こんなところで成績を暴露される生徒さん、ご愁傷さまです。
駄菓子屋グッズだ。
泥で作っためんこ。
固まり方が悪いと、叩きつけて即遊び終了になりそう。
鉛になりました。
そしてお馴染みの形へ。
意外とめんこも進化しているのだなぁ。
石けりの石にも、装飾があるのか。
その辺の石を持ってくるだけではダメなのだろう。
射撃ゲームもあるよ。
輪ゴムを放って、的にぶつけるのが目的です。
モノはこれ。
パチンコにしてはまぁまぁ物騒なスタイルですね。
玩具ゾーンも充実しております。
こっちにも拳銃が。
教育上怪しそうなものをよく展示しております。
最後に、市町村合併の展示である。
2001年にさいたま市は、大宮市・浦和市・与野市が合併して誕生したのだが、そこに行きつくまでが紆余曲折しまくっていた。
(2004年に岩槻市を吸収して、現在の形)
浦和・大宮とその周辺を合併して「大埼玉市」を作ろうという構想は、1920年代からすでに存在していた。
だが戦前の議論はまとまらず、戦後の「昭和の大合併」のときでも話は進まない。
ようやく本格化したのは、国鉄の操車場を片付けて国家機関を移転する、さいたま新都心計画が決定した1993年のこと。
どんだけ時間かかってるんだという話だが、どう考えても大宮と浦和の仲が悪いからです本当にありがとうございました。
この間、与野村がひっそりと合併を大久保村に持ち掛けるもフラれたり、上尾市が断りの電話をいれるなどしている。
合併に必要な議論が片付いて、2000年から新市名の公募がはじまった。
3位は「大宮市」で6位は「浦和市」だったが、それぞれ得票のうち8割ほどは大宮市民と浦和市民が入れたようです。仲よくしろよ・・
なお「与野市」はトップ100にも入りませんでした。与野ェ・・
これを受けて「市名決めます委員会」のもと検討作業。
その過程で浦和市・与野市は「さいたま市で良い」と回答をしたのだが、大宮市は堂々と「大宮市」を提案しております。あのさぁ・・
「埼玉市」が消えておりますが、これは自らの土地を「埼玉」地名の発祥だと信じてやまない行田市サイドからクレームが入ったためです。
また「関東市」という名称も候補にあがっていました。だ埼玉のくせに偉そうだぞ。
(さいたま市合併パズル)
というわけで散々もめた合併論争は四半世紀どころか3/4世紀を超えて、2001年にさいたま市発足ということで、ようやく決着したわけです。
まぁ最近になっても、さいたま市議会の自民党が旧大宮vs旧浦和で内部分裂やらかしているようですが。
どこかのガザ地区みたいに、砲弾が飛び交うデイリーライフにならないことを願うばかりです。
あとそれぞれの区には、一応カラーが決まっているようです。
「~だから」という説明書きが全くやる気無さそうで大変好ましい。
緑区は公式で田舎宣言されてるし、西区は「川。以上」扱いなので、怒ってもいいのよ?
以上。
【交通手段】大宮駅から徒歩15分
【入館料】無料
【滞在時間】60分
【混雑度】★★★(一部屋に数人)
【URL】さいたま市/市立博物館