隠岐国分寺(後醍醐天皇流刑の地)
1331年、後醍醐天皇が倒幕計画を立てているところ味方にあっさり暴露され、挙兵はしたけど捕縛されて流されたのが隠岐の島。ここの国分寺を居所としていたそうです。
「龍王」というパワー系顔面が登場する伝統行事も行っています。
隠岐国分寺について
国分寺自体は8世紀、聖武天皇のアレにより建築された寺の1つだそうです。朝廷の命令って離島にも届くんですね。アマゾン並みの宅配力!
入館料がかかりまして、400円です。
本堂です。けっこう新しいねと思ったら、2007年に火災があって収蔵品もろとも全滅しているそうな。2015年に再建。
この寺は明治時代にも大被害にあってるんですけど、それは火災じゃなくて、周辺住民が叩き壊したんですよね。廃仏毀釈の太政官布告が出されると、隠岐の人々は島内にあった計100以上の寺院を片っ端から破壊しまくり、仏像や仏具は粉々、僧侶は還俗するか追放の憂き目にあいました。なんという世紀末。
本堂の中の伽藍も明治以前は豪壮だったそうですが、この騒動で文字通り釈迦になり、サイズが縮んだようです。太政官布告は「ご神体に仏像を据えてはならん」という命令だったそうで、寺を地獄に落とせとは言っていないんですけどね。
(オキチーユ牢獄襲撃事件(小声))
どうも隠岐地方では貧困層と富農層の格差がひどく、僧侶はそこで貧困層を助けるどころか逆に搾取しており、その恨みがこの場で一気に爆発したそうな。にしても100以上の寺院を灰燼と化すなんて、いったい寺院はどれだけ恨みを買ってたんでしょうか。(隠岐の歴史の本で読んだ話だが、どの本なのか忘れてしまった)
後醍醐天皇の流刑の地
幕府を倒したくて仕方のなかったゴダイゴさんですが、その計画は仲間にばらされてしまい、脱走して挙兵したものの準備不足で負けました。西へ追放!ガンダ~ラ~♪
(画像は島根県HPから+筆者加筆 )
隠岐というと承久の乱で敗れた後鳥羽上皇も流されてるんですけど、あちらは同じ隠岐でも別の島なんですね。流刑地はしごツアーも良いと思いますが、1日1~2本のフェリーしか移動手段ないので、ご利用は計画的に。
さて、境内の奥の方に囲われているスペースが、後醍醐天皇の御在所跡だそうです。
南北朝時代の文書『増鏡』で「天皇は隠岐に着くと国分寺という寺に入った」と記述があり、また後醍醐に仕えた頼源という僧侶の記録でも「天皇から国分寺で綸旨を受けた」とあるので、そういうことです(適当)
堂々と石碑も建てちゃったので、「実は違いました」なんてもう言えませんね!
後醍醐さんは1332年に隠岐に来ましたが、翌年に脱走して挙兵し、幕府を倒しました。なので「打倒鎌倉」起点の地といえば聞こえはいいですが、「罪人の脱走を許した地」とも言えてしまうので、社会科の先生は授業での扱いに困りそうです。
隠岐に軟禁されている間もせっせと政治工作はしており、配下を使って手紙や命令を撒きまくっていたようですね。この複製文書は資料室で見れますが、上述した頼源という出雲の僧侶に対し「わしが勝ったらお前の寺を造営してやろう」と書いて、せっせと味方を集めようとしています。
約束は本当に果たしてあげたのかな?(疑いの目)
龍王をみよう(無形文化遺産「蓮華会舞」)
最後に資料室があったので、入りましょう。
この国分寺では「蓮華会舞(れんげえまい)」という、平安時代から続く古代芸能があるのです。 国の重要無形民俗文化財にもなっています。
蓮華会舞では何種類ものキャラクターが登場して舞を踊るのですが、ダントツでインパクトあるのが「龍王」。荒々しい表情をしているのだが鼻毛が豪快すぎて台無しである。「王様です」って言われても「鼻毛出てますよ」としか返せない。
この龍王さんが祭り本番では頭髪や鼻毛を振り回して舞うのです。勇ましいなあ()
祭りの模様は館内のビデオで見れますのでどうぞ。祭り自体は真面目です。ふざけているのは顔だけです。
おしまい
【混雑度】★★(他に境内に2~3人)
【URL】