東京ガス ガスミュージアム
花小金井駅や武蔵小金井駅から、「ガスミュージアム入口」というバス停まで来れます。
敷地内には建物が3棟あって、写真の左が「ガス灯館」、右が「くらし館」。
写真に写っていないけど、これの左手に受付棟があるので、まずはそちらで受付をすることになる。
入場は無料。
しかしこの庭、草生えてますねえ。
夏場だからね、しょうがないね。
まずはガス灯館の方から。
1909年に建築された東京ガス本郷出張所の建物を移築している。
ガス灯館の方は、文字通りガス灯を始めとするガス事業の起源を扱っている。
例によってパネル展示がんがんですね(白目)
今日でこそガスは給湯器やガスストーブなどの「熱源」として使われているが、最初は「明かり」としての役割を期待されていた。
ガス灯の発明者はスコットランド人ウィリアム・マードックである。
18世紀の後半、石炭を燃やせばガスが出てくるのは既に知られていたが、そのガスで火を燃焼させられることを証明した。
マードックの実験方法はこれ。
1.やかんの中に石炭を入れて、これを火にかける。
2.蒸し焼きになった石炭からガスが出る。
3.このガスに火をつけると、部屋を明るく照らした。
なお絵は、大阪ガスのHPにあったものです。
(鹿鳴館に設置されたガス灯)
というわけでガスを使えば灯りになるということが広まり、マードック自身も自宅にガス灯を設置した初めての人となった。
ただ室内で使うと換気の問題があるため、ガス灯は主に屋外で使用されることになる。
室内でがんがん使っていたマードック君、大丈夫だったろうか。
胸張ってガス灯を設置した結果、寿命縮めてなければいいんだが。
わが国でも、医師 島立甫・製鉄業 大島高任などガス照明実験を独自に行った人物は存在した。
また薩摩藩の島津斉彬は、かの仙厳園で石灯籠にガス管を繋いで照明を設置したそうな。
しかし島立甫、このドヤ顔である。
(ガス灯あれこれ)
機械の燃料としてガスを使っていたので、それを一部利用してみた。
これは単発的なものだったが、本格的なガス事業として展開されるのは1872年の横浜が最初である。
高島嘉右衛門(かえもん)という商家が、フランス人技師プレグランを招いて「横浜瓦斯会社」を設立して実施したもの。
ちなみに高島嘉右衛門は、百貨店の高島屋とは関係ないので要注意。
横浜の高島町の名前の由来になった人である。
新橋ー横浜間に鉄道を通す際、横浜港周辺の埋立事業が必要になったのだが、面倒な工事なので誰もやろうとしなかったところ、高島嘉右衛門が手を挙げて事業を遂行した。
「埋め立てた土地をあげよう」と政府に言われたのだが、高島が遠慮して断ったので、その功に報いるため名前を地名に付したとのこと。
イイハナシダナー。
もう一人の立役者アンリ・プレグランの方は横浜・東京でのガス事業に携わった後、いつのまにか居なくなってしまったので、あとで東京ガスの人がその消息を必死に追いかける羽目になる。
結果ハイチに渡って工場建設に関わっていたのだが、現場の事故で1882年に亡くなっていた。
横浜でのガス事業開始から10年後のこと。
消息探し隊はプレグランの故郷の調査もしたのだが、プレグランが日本のガス事業に関わっていたことを故郷の人たちも知らなかったらしい。
まぁ近所のお子さんが何の仕事してるかまで把握しないでしょうね。
そんなんで横浜、2年後には東京にも展開されたガス灯事業。
最初の頃、ガス灯の炎は裸火だった。
我々が目にしたことのあるこの形状は、1894年頃からメジャー化。
「マントル」という発光体が備わっており、これのおかげで明るさが5倍にもなった。
ガス灯が登場するまで、人々は提灯片手に夜間外出していたので、それに比べれば次元の違う明るさになったとか。
ガス灯を使うには火をつける必要があり、また朝になったらその火を消さなくてはならない。
発光体のマントルも汚れる。
なので「点消方」なる職ができ、この人が毎日火を点けたり消したりに回っていた。
『星の王子さま』にも登場している。
東京のガス事業は東京会議所なる組織が担当していたが、事業開始直後は経営が低空状態だったので、事業を東京府瓦斯局に移管。
その後、経営が上向きになってきたので、事業を払い下げて出来たのが東京ガス。
初代社長は、渋沢栄一でした。
これでガス灯かつる!と思いきや、1887年に電灯事業が開始されて、ガス灯の地位が怪しくなり始める。
さらに、ガス灯の維持管理費用やガス代を、ガス灯設置場所の周辺住民に負担してもらおうと思っていたのだが、そんなこと事前に聞いていない住民たちは当然のごとく支払いを拒否。
これで採算がヤバいことに。
そこで海外の事情を調べてみたら、もはや向こうでは電灯が主流になっており、ガスは熱源として使用されていた。
なので東京ガスももはやここで開き直り、ガス灯を諦めて違う製品を作り始めるのである。
このフロアではビデオも放映されており、ガス器具の発展過程を映像で見られます。
なおキャラの声はマスオさん。
ビデオの前に座席が置いてあるけど、ちょっと多すぎやしないですかね。
あとガス灯以前の照明の歴史も、ちょこっと置かれています。
小布施の「あかり博物館」で同じことを書いた気がするので、割愛しますが。
2Fへ。
ここは企画展のようである。
このときは、東京ガスのガス器具がこれでもかというほど並べられていた。
ただ展示物の大半は、お隣の「くらし館」の内容と重複しているところがあるので省略。
しかしこのガスランプはデカかったな。
19世紀フランスの教会で使われていたもので、25もの火口があるそうです。
数多いから火つけるの大変そうだな。
外側の火口から火を点けてしまうと、中の火口に手が届かなくなりそうなので、点ける順番を考えねばならない。
次は「くらし館」です。
1912年に建築された千住工場計量器室だそうな。
ガス灯館は明治初期までが対象だったが、こちらはそれ以降の流れを扱っている。
東京ガスの歴代のポスターたち。
上段がボーリングプロの中山りつ子。
「ボーリングのプロ」という単語自体、今の若者は知らないかもしれない。
下段は貴乃花。
こういう時代もありました(涙)
昔のポスターは、やはり割と自由である。
こどもが虫捕まえてくる絵を思いっきりかいて、「外で何を掴んでいるか分かったもんじゃないから、ちゃんとお湯で手を洗いましょう」という宣伝。
虫のリアルな絵を掲載し、主婦たちに恐怖感を煽るスタイル。
ガスの濃度を上げたので、少ない量で高い効果が得られますという内容なのだが。
「ビールよりもウイスキーの方がアルコール濃度が高いので、お客が来ても少量で満足させられる」という例えで説明している。
お客さん、訪問先にあがっていきなりウイスキー出されたらビビると思いますが(率直)
突然のタブレット端末。
過去の東京ガスのカタログを眺めることができます。
製品コーナーも。
ここはガスコンロですね。
だんだんショールームみたいな錯覚がしてくる仕様である。
まさにガスだね。
ここからはガス灯以後ガス器具を、時代順に展示している。
最重要はガス竈だった模様。
日常生活に炊飯器は必須だし、西洋には無い日本オリジナル品なので、東京ガスのヒット商品である。
ガス関連で、日本で初めて特許を取ったのもガス竈だったそうな。
風呂の湯を沸かす「はやわき釜」。
これまでの薪をくべる方法に対し、湯沸かしの時間が画期的に短縮された。
銭湯に行くしかなかった人々も、これで簡単に家で風呂が沸かせるようになったのである。
ガスストーブはカニ型が登場。
食パンはこんな機械でトーストしてた。
一度に4枚焼けるのが自慢である。
コーヒーもこんな機械で沸かせます。
ガスコンロ。
随分といかつい作りですなぁ。
置いてあった冊子。
あれ、あんたはさっき。
明治以降から昭和初期にかけて、生活の西欧化がじゃんじゃん進み、一般のサラリーマンは郊外に建てられた文化住宅の中で、こうした暮らしを送っておったとさ。
片っ端からガス製品に囲まれた生活。
元栓閉め忘れたらヤバそう。
戦争が近づくと金属類は徴収されてしまうので、陶製のコンロで代用したが、すぐに壊れる貧弱性だったそうです。
そして戦後直後。
ドラム缶風呂で我慢しませう。
たくさんある説明書きのうち、唯一これだけ情に訴えるような描写を最下段でしているんだけど、「夕暮れの空に一番星が希望の星のように輝いて“いまた”」。
ちょっとツメを誤らないでくれよなー、たのむよー。
ドラム缶に入らなくていいように、給湯器が発明されました。
こんな風に、浴槽の隣に設置します。
だから浴槽が狭くなってしまっていた。
給湯器の宣伝。
なんだか雷鳴轟いてそうな空ですね。
1955年頃には公団住宅が郊外にたくさん作られ、都市に出勤するサラリーマン達の住居となりました。
もはや戦後じゃない。
そしてあなたの毎日に東京ガス。
風呂も、給湯器を屋外におけるようになったので、そのぶん浴槽が広がって足が延ばせるようになりました。
やったぜ。
エアコンの室外機がデカいのは、あまり変わりませんね。
2Fはエネルギーコーナー。
石炭。
これで1㎥あるんだけど、1軒の家庭の3か月分のガスをまかなえるらしい。
つまり3か月で貴方のお宅はこの石炭を消費していると言うことです(キリッ)。
石炭に触れます。たぶんレプリカですが。
右はコークスで、石炭を燃やした後に出来るもので、製鉄の材料になります。
これは日本で最初の、石炭ガス発生炉。
1872年に横浜で導入された。
あのカマボコみたいな炉に石炭をくべます。
石炭が熱されて、生じたガスがパイプを通って上部へ回収される。
1913年には、進化系の「コッバース式炉」が出現。
上から石炭を投入して、中で燃焼する。
ガスを抽出し終わったあとに残ったコークスを、貨車へ排出しています。
これを製鉄業者に売るのである。
1955年頃からは石油が主流になった。
石炭は1日中ずっと蒸していないとガスを取れないが、石油は熱してすぐにガスを採れた。
だから急な需給の変化に対応が出来るように。
ドラム缶1.5本分で、1家庭の3か月分のガスになります。
つまりあなたのお家では(以下省略)
石油ガスの生成機械。
ごちゃごちゃしてますが、要は石油を熱してガスとってます(適当)
貴重なガスオルガン。
オルガンは鍵盤で風をパイプに送り、その空気の振動で音を出している。
これはガスを燃焼させた炎の振動で音を鳴らすものである。
貴重なものすぎて、実物は弾けません。
代わりに演奏している映像を見ることに。
鍵盤を押すたびに、パイプの中の炎がついて音が鳴る。
仕組みはわかりませんので誰か教えてください(投げやり)
これで3か月分。
容量上の問題から、液体の状態で輸入し、ガスステーションで気化させて使用します。
なおLNGは臭いが無いからガス漏れに気づけないので、わざわざガスの臭いをつけている。
このガスの臭いは、石炭ガスのものなんだと。
「この臭いをかいで、ガスの歴史を思い出せ」という、石炭ガス哀愁勢が決めたんだろうか。
輸入したLNGは地下貯蔵タンクに貯めています。
このタンクは1970年に東京ガスが世界初で開発した。
パッチョ誇らしい。
以上で館内おしまい。
外に出ると、やたら圧迫感のある機械があった。
石炭ガスのところで出てきた「コッバース式炉」の一部分です。
まぁあの炉デカすぎて、これがどの部分かは分らんのだが(小並)
以上。
【入館料】無料
【滞在時間】2時間
【混雑度】★★(館内に他に2~3人)
【URL】