埼玉県立 歴史と民俗の博物館
さすが県立の博物館だけあって、スケールを感じさせている。
そのスケールの中に、ぽつんと佇む弥生時代の住居。
内部。
入って左側は受付および展示室。
右方面にはカフェテリアがある。
ちなみにスピッツがここで『正夢』のPVを撮影しているが、おそらくこっちむきにカメラを向けている。
博物館の建物自体は1971年に、日本近代建築パイオニアの一人である前川國男によって建築されたもの。
すごいですねえ(雑)
受付で300円払って入場します。
順路通り第一展示室から。
いつもどおり古代からスタート。
のっけから骸骨飾っている博物館はあまり見ませんがね。
原人とネアンデルタールの顔。
馬鹿そう(直球)
旧石器時代のヒトの骸骨。
下あごが無いけど大丈夫だろうか。
日本では3万年前から旧石器時代が始まったとされています。
石器だけでなく、ご丁寧に手の紙模型まで作ってある。
石器は斧として使っていたと思いきや、穴掘り用がメインだった。
イモを掘ったり、住居用の穴を掘ったり。
関東ローム層の断面図。
地層によって固いところや柔らかいところがあって、前者は「ハードローム」後者は「ソフトローム」と呼ぶらしい。
ローム層は酸性が強いので、石器以外の遺物は溶けてしまって残らないとのこと。
住居の間取り図。
バクテリアみたいだな。
どうして現代住居の間取り図と比較したんでしょうね。
1万2千年前から縄文土器がご登場するので、旧石器時代が終わって縄文時代に。
弓も登場するけど、どちらかというとただの棒である。
漕いでますねえ。
その船はこちら。
さきほどの石器で、丸太1本くり抜いて作るDIY。
オールはもうちょい完成度高い。
こちらの木は穴ぼこだらけ。
フナクイムシというやつが食い荒らしたあとだそうな。
近くで見るとなかなかグロテスク。
フナクイムシといいつつ、虫では無くて二枚貝なんだと。
貝だと思って安心して画像検索したら、どう見てもナメクジですありがとうございました。
ただ味はイカに近いそうで、東南アジアでは喜んで食べられているという。
これは?
こっちに訊かないでクレメンス。
縄文人と現代人の歯の比較。
縄文人は固い食べ物を噛まないといけなかったので、アゴが発達して上の歯とかみ合っていた。
現代人は弱くなったので、かみ合わずに上の歯だけ前に出てしまっているんだと。
人類みな明石家さんま。
虫歯の比較。
縄文人がどうこうよりも、現代人の不健康さと、室町人の虫歯の無さの方がよほど気になるんですが。
祭祀的な道具の数々。
土偶は有名ですが、こっちは教科書に載せられませんね。
耳輪。ピアス。
絶対、耳重いだろこのサイズ。
編み物だそうですが、焼け焦げた何かにも見えます。
遺体の埋葬について。
この時代では手足を折り曲げて胎児のような格好で、土葬していた。
赤子の状態で地に還って、また再生するという死生観だろうと言われている。
土葬した死体は白骨化した後に一度掘り出されて、壺に骨をいれてまた埋葬しなおされるそうです。
北九州では甕。
副葬品が入っている甕もあり、関東ではのんびりやっている一方で、あちらではすでに貧富の差が生じていたようだ。
その北九州の、甕を埋める場所。
アリの巣かな?
容器なんて適当に作ってんだろと思いきや、案外縄文人の皆さんは工夫を加えている様子。
こっから第2展示室。
古墳時代です。
関東にも鉄製農具がやってきました。
木の柄の先端に付けて鍬みたいに使う「柄ぶり」。
エブリ~♪(日テレ並感)
古墳に副葬する埴輪も、ドールハウス地味た物が登場する。
酒器。
口の周りに付いている小さい器は使えません。
貧富の差が大きくなって、偉い人は鏡や太刀のコレクションを始めます。
5世紀には騎馬が半島から伝わったので、馬型埴輪もブーム到来。
馬の遺体と埴輪の発掘個数を示した図なのだが、馬自体の遺体が見つかっていないのに埴輪だけ大量に出てきている地方がある。
曲全体は知らないけどサビだけ知ってるみたいなノリを感じる古墳時代人。
行田の稲荷山古墳で見つかった副葬品の鉄剣だが、金で文字が打たれている。
文字の内容としては「雄略天皇が天下を治めている」的なことが書かれており、中央政権のご威光が5世紀には関東まで届いていたことを示すそうな。
これが1978年に発掘された時、大スクープだったんだと。
はぇ^そうっすか。
7世紀のものとされる、秩父の古墳が再現されております。
古墳時代後期のこの頃になると、豪族たちは巨大古墳を作るのに飽きたのか、今度は立派な石室を建築することで「オレTUEEE」を表現しようとした。
石室の内部。
副葬品がいくらか置かれている。
座ったら痛そう。
中央政権のお出ましなので、税制度も創設。
租庸調の「調」は各地の特産物なので、その一覧表である。
岡山のあたり、クラゲ特産品にしてたんか。
あと山陰はワカメ多すぎである。
でも茨城もワカメonlyだった。
中央の人は味噌汁でも飲みまくっていたんだろうか。
ちなみに武蔵国のライナップはこちら。
税を取られて貧乏になってしまった村では五重塔なんか建てられないので、ミニチュアを作って我慢したそうである。
これで第3展示室まで終了。
ところで第10展示室まであるんですよ、知ってましたか?
しかし写真撮影可能なのは第1~3と、この階段下にある第6、10だけ。
あとはダメ。なんでやねん!(憤怒)
美術品の場合はフラッシュによる劣化とか、誰かから借りて展示している場合は肖像権が発生するので撮影禁止にするのも分かるんだが。
でも江戸時代の農具とかはねぇ。
まぁ第1~3展示室までで既に90分費やしているので、これで全展示室撮影可能だったら逆にこちらが死んでしまうわけですが。
よって体力的な都合により4・5・7・8・9展示室は割愛。
お次はこの第6展示室になります。
ここはひたすら板碑を置いているゾーンである。
秩父で大量に石が取れるということと、武士はどこで死ぬか分らんので埋葬墓よりも碑で祀った方が合理的ということがあるかもしれない。
文字はサンスクリット語で書いてあるようだ。
上の文字は「キリーク」と書いてあるらしい。
読めませんねぇ。
読めない人のために、絵で描いている物もあるよ。
室町時代の塔の複製。
遺骨を納める施設。
板碑の下には骨壺を埋めるケースも。
んでこれが日本で一番大きな板碑。5.37mもある。
持ち主は長瀞の阿仁和直家とかいう城主。
雑魚ほど大きなものを持ちたがるのは時代問わずだなあ(率直)
ゴキブリとかリアルに描かんでいいのでは。
突然ですが、切り株から臼をつくる工程です。
最初の段階でもうかなり違いを見せている。
完成型がこれ。見違えるようだ。
最後の第10展示室では、民俗関係を扱っています
なお第1~第9展示室までは歴史関係とのことです。
「歴史と民俗の博物館」、歴史と民俗の割合おかしくないっすかね。
埼玉県内の住居の比較ジオラマからスタート。
山地である秩父では斜面が急なところに気合で畑を作っている。
わずかな平地になんとか家を建てている感じ。
一方で埼玉の東側は平野なので、水田や畑作が広がり、農産物を江戸に運ぶ穀倉地帯となっていた。
城下町や街道沿いの町は商家が多くを占めていた模様。
火事になるといかんので、土蔵になっています。
漁の道具。
海が無いけど川はある。
ウナギを捕まえているシーン。
あんなブラシみたいなのでよう捕獲できるな。
ヤス。獲ったど~。
3つとも一緒に見えるが、対象とする魚の種類は異なるらしい。
カジカ用でヤマメ獲ったらルール違反なのかしら。
めっちゃ水中のぞいてますね。
大消費地である江戸が近いので、産業は様々発展している。
藍染め。
和紙。
それら品物は船で江戸まで運ぶわけだが、その川たちは氾濫の危険があるので、対策も行われている。
左の「合掌枠」は、消波ブロック・テトラポットみたいなもので、岸の浸食を防ぐ。
右の「沈枠(ちんわく)」は川に沈めて置けば、水流同士の衝突を防いだり流れの方向を誘導したりできる。
「笈牛(おいうし)」は水流を堰き止めたり、流れを弱めるのに使うってさ。
まぁ対策はしても洪水の完全防御は難しいので、最初から小高い場所に「水塚(みづか)」という避難所を設けております。
洪水だけでなく、ときに渇水になる恐れもあります。
渇水の主な対処方法は、残念なことにお祈りである。
しかし「ヘボ」を飾られて、水の神様は納得したかは不明。
すぐに下ネタに走りますねぇ。
水に縁のある神社まで行き、水を貰ってくるというイベントが流行っていた。
鶴ヶ島市の膝折(すねおり)という土地では、村の若者が夜通し徒歩や自転車で水を神社から貰ってくるという伝統行事がある。
てっきり近所の神社かと思いきや、群馬県板倉町の雷電神社が対象らしい。
グーグルマップで調べたら、片道44kmあるわけですが。
まぁ徒歩だと死ねるが、自転車ならなんとかなるか。
その脚折では雨ごい行事として、龍を作って街を練り歩くというのがあるのだが、その龍が全長36m・重さ3トン。
渇水を防ぐ方法、他に考えましょうか(提案)
第10展示室おしまい。
さすが県立のメイン博物館だけあって、相当なボリュームであった。
てかここに書いた量は、全体の半分でしかないわけである。
観覧で疲れたらカフェテリアで休みましょう。
まぁカフェテリアというより、縁日の屋台って言った方が合ってるけど。
以上。
【交通手段】大宮公園駅から徒歩10分
【入館料】300円(企画展別途)
【混雑度】★★★(一部屋に数人)
【滞在時間】3時間
【URL】