旧坂東家住宅 見沼くらしっく館
さいたま市古民家シリーズとして、見沼区に旧坂東家くらしっく館がある。
敷地内は結構広い
やはり田舎は土地が余ってるな(名誉棄損)
左は事務棟、肝心の住宅は右側。
坂東家というのはこの地域の名主を代々務めた家系らしい。
庭が広いですねぇ。
名主=村長クラスということで、家もでかい。
七夕の時期だったので、そんなんが飾られています。
正面に「式台」という玄関があるが、これは特別行事で使うようなので、日常的には右側の土間からそそくさ入ります。
ちなみに間取り図はこんな感じです。
公式HPから。
中に入った。
右手には土間。
黒光りしているカマド。
羽子板とか昔のおもちゃ。
外の広い庭で遊びましょう。
土間をさらに右奥に行く。
最奥の部屋は「おとこべや」。
くさそう(直観)
住み込みの召使のうち、男がここに住むので、男部屋である。
玄関側は本来、馬の厩舎として使われていたが、今ではパンフレット置き場になっている。
もとの土間に戻る。
板張りのスペースは「かって」といい、家の住人が使うところ。
リビングダイニング的な感じだろうか。
奥に座敷がつづいており、上がることができます。
浦和民家園では上がれなかったけど(皮肉)
旧大宮市と旧浦和市の違いなんだろうか。
玄関側に座敷が3部屋。
良い感じに陰っていて涼しげである。
囲碁と将棋。
左奥の部屋は「おくでい」。
床の間があったりと、見るからにここが一番上等な内装なので、来客用の部屋と思われる。
その家で最も格式の高い部屋を「でえ」って呼ぶ地方があるので、「でい」はその類似品かもしれない
廊下を渡っていちばん左奥へ。
ここは来客用のトイレ・湯殿。
当然トイレは使用できません。
湯殿。
お湯を張った桶でもここに運んできて、お風呂スペースにするんだろうか。
ところでさっきの間取り図を見ると、来客用の厠はあっても住人用の厠が無いんですが・・
大地を我がトイレとす、ということなんだろうか(奥の細道)
住人用のトイレは無いけど、住人用寝室と思わしき場所には蚊帳が吊ってあるので、これでトイレと相殺ですね。
奥座敷のさらに奥に8畳のスペースが。
坂東家に伝わるグッズの展示のようだ。
一分銀は4枚で金の小判一枚分だそうである。
金銀というと重さを価値の単位としていたが、19世紀前半に登場したこれら貨幣は価値を最初から表示しており、現代の貨幣に近い形である。
並べてみると、明らかに金の方が強そうですね(適当)
浦和に、明治初期にあった高札。
明治初期には浦和県なるものがあった。
まず1869年1月に大宮県が誕生したのだが、同年9月に浦和県に改称され、県庁も浦和に置かれた。
ただわずか2年後の1871年に岩槻や忍(行田)が組みあわされて、埼玉県となっている。
このころから既に大宮民と浦和民の争いは始まっていたと言えよう。
下駄。
マークがついてます。
坂東家はもともと和歌山県の加田村というとこの出身らしく、屋号を「加田屋」にしてたんだってさ。
展示室の屋根裏は「おんなべや」になっており、女中が住んでた部屋という意味である。
いちおう登れて、なにか置いてあるけど、特に説明は無し。
以上。
【交通手段】大宮駅からバス20分
【入館料】無料
【滞在時間】30分
【混雑度】★★(他に2~3人)
【URL】さいたま市/旧坂東家住宅見沼くらしっく館