旧高野家離座敷(高野長英の隠れ家)
さいたま市に高野長英が隠れていたそうです。蛮社の獄(1839)で終身刑を食らいながら、1844年に牢で起こった火災のスキをついて脱走。ココで知人に匿われていました。
いずれもバスで10分程度。浦和&浦和美園駅からだと「芝原一丁目」バス停、東浦和駅からは「芝原」バス停が最寄りです。
本数は東浦和駅のが15分に1本程度。その他は30分に1本程度。
バス停からは数分で着ける距離なんですが、周りは完全に住宅街で、施設が何処なのかの案内も特にないので普通に迷います。追っ手を撒くには迷いやすいところに隠れるのだー(棒)
施設の開館は土日オンリーです。付近に駐車場も無いので、その辺のセブンかファミマに駐車して、からあげくんでも食べつつ歩いてきましょう。
(高野隆仙 氏 画像は 岩手県奥州市のHPから )
屋敷の持ち主は、高野隆仙さん。地元の医者です。高野姓だけども長英とは血縁ではありませぬ。長英は奥州の出身ですので。若い時に上京して長英の蘭学塾で学んでいたことで、長英とは強い信頼関係があったそうな。
だから長英が逃走中でも身を挺して匿ったのだが、あとで幕府にバレてしまい拷問・投獄を受け、放免されたもののその時の傷が原因でお亡くなりになりました。
拷問は100日にも及んだが、決して長英の逃亡先については口を割らなかったという。
ちなみに長英はその後6年にもわたってエクストリーム鬼ごっこを幕府と続けていましたが、あろうことか東京青山に戻ってしまい、それを密告されて捕縛に来た幕吏と乱闘の末に自殺。逮捕時に撲殺された説もあります。
なぜ江戸に戻ってしまったのか。都会の空気が吸いたかったのだろうか。
ではそろそろ入場します。料金はかかりません。そもそも係員もいません。開けとくから勝手に入れスタイル。
座敷は小ぶりで、茶室であったそうだ。高野隆仙氏は当時の知識人に違わず、歌人文人を集めてパーティしてたものと思われる。もしくは幕府の愚痴飲み会(緑茶ハイのみ)。
茶室要素を取り入れた書院造の数寄屋(すきや)建築。
奥のスペースは左が「トコ」で、右が「タナ」。分らんのでパンフレットそのまま書き写してます(落第)
茶室の定番「にじり口」はありません。あれは小さい茶室を大きく見せるという効果があるそうですが、この座敷は天井が高く部屋も広いので、その必要が無いからだとか。
「ちんけな真似をする必要はない」と隆仙アニキは豪快に考えたのかもしれません。そこにシビれる!あこがれるゥ!
展示品は特にないでござる。せいぜい写真数枚。
高野家に伝わる書籍かなにかだと思うが、本物はどっかの博物館で眠っているので、ここではイメージだけでお楽しみください。
おしまい
【交通手段】浦和駅や東浦和駅、浦和美園駅からバス10分+徒歩5分
【滞在時間】20分
【混雑度】★(だれもいない)
【入館料】無料
【URL】さいたま市/旧高野家離座敷