いわき市石炭・化石館ほるる
旧 炭鉱の街いわきの郷土博物館が、石炭・化石館ほるるである。
ドカベン読者的には炭鉱の街イメージなのだが、化石が多く発見されることで有名な土地でもある。
ここで発見されたフタバスズキリュウ君。
入場料は650円。
館内けっこう広いので、入り口のコインロッカー(無料)を使うがよろし。
さきほどのフタバスズキリュウが、今度は骨になってお出迎えである。
正式な学名は「フタバサウルス・スズキィ」。
高校生の鈴木君が近所の地層を掘ってたら発見した、当時新種の首長竜であり、名前は鈴木君から命名されている。
鈴木君が発見したのが1968年だが、新種であるかどうか議論がなされ、確定したのが2006年。
38年間って、ちょっと掛かりすぎやしないですかね。
少年だった鈴木君も、中年になってしまっている。
まぁ当時は首長竜に関する知見が殆ど無かったので、判断するのにめちゃめちゃ苦労したそうである。
なおフタバスズキリュウ発見直後に調査に来たサミュエル・ウェルズという研究者にちなんだ「ウェルジオサウルス・スズキィ」という命名も候補に挙がったのだが、なんか後から来た外人がしれっと自分の名前を差し込んでいるようで嫌ですねぇ(偏見)
イワキクジラなるものの化石。
別に「イワキクジラ」って種類があるんじゃなくて、いわきで見つかった様々な鯨の総称のようである。
空中にも泳いでいます、骨が。
この廊下を抜けると、恐竜展示ルーム。
わんさかおるな。
空中にもいろいろいらっしゃいます。
照明がやたら黒かったり赤かったりするだけでなく、サーチライトみたいなのが動いていたり、突然暗くなって大きな音が鳴り響くなど、狙いがいまいち把握しきれない仕掛けも多種そろえております。
イワキリュウ。
首長竜の一種なのだが、あまり首は長くない。
マンモスの下あご。さわれます。
ゾウなんだけど、鼻が無いからわからんな。
アメリカ大陸に居たのだが、人類の進出が理由で絶滅したらしい。
完食されてしまったのだろうか。
イワキクジラの頭蓋骨らしいですが、言われないと分かんないな。
なお海底に沈んだ鯨骨からは腐敗の過程で硫化水素が発生するが、それを栄養源とする皆様が集結して住み着いています。
恐竜の卵もあるよ。
フンの化石はまさかの実物である。
古代のリアルフンと触れ合おう!
定番のアンモナイトは、やたら巨大だった。
お触りできるものが多いので面白い。
三葉虫も、教科書で見るよりかなり具体的な形で残っております。
カブトガニのイメージが強かったが、どうみてもナメクジです本当に。
スタンプラリーの機械。
スタンプ用紙を機械の中にいれると押してもらえるという、あまり見ない型である。
自分で押させてクレメンス(小学生)。
なお昔「鉄腕ダッシュ」番組内で、TOKIOがいわき市内で化石発掘をやり、実際に掘り当てたのでそれをこの博物館に寄付したらしい。
その化石は博物館に一時展示されていたが、現在は市内にある海竜の里センターに移されてしまっている。
山口メンバーが影響しているのかどうかは不明である。
恐竜フロアが終わって、2階へ。
さきほどの化石展示をさらに細かく解説したものがパネル化されております。
大半の客はスルーして次のゾーンへ向かうであろう(名推理)
ほかには石炭についての解説。
植物が地中に埋もれ、地圧・地熱の影響で化学反応しまくって石炭になる(適当)。
ある意味、植物が化石化したものが石炭ともいえるので、化石つながりなのである。
さて、この博物館の最大の見どころは、再現された坑道である。
エレベーターで地下に降りる。
ちなみにこのエレベーター、動き出すと照明が消えて真っ暗になり、炭鉱労働者の会話が流れる等、まさに坑道へ降りていくような演出をしている。
降りてきました。
いきなり神棚があるが、炭鉱労働者たちは身の安全を願って山の神様を信仰していたそうな。
カイジみたいなろくでもない労働環境はあながち嘘ではなく、炭鉱業が斜陽になる1980年代まで毎年のように日本各地で犠牲者100人以上の爆発・死亡事故が発生している。
戦前は安全性などガン無視されていたようだが、戦後になると労務管理・遺族への補償が求められるようになり、それら発生するコストが炭鉱業を衰退させた原因の一つになっているようである。
まぁ中国ではあまり気にされていないようですが(遠い目)
坑道の途中に人形がおかれており、時代ごとの採掘方法を説明している。
常磐炭田が本格的に採掘されだしたのは1870年代 明治初期の頃。
ただそれ以前の1850年代から既に小規模ながら行われており、家族でツルハシ持って掘っていたそうな。
1870年代になるとこの写真のように、男性が穴を掘って、そこに女性が作った火薬を埋め込んで発破するやり方に発展する。
太平洋戦争の頃になると機械の導入で発破を効率よく行えるようになり、トロッコを敷いて搬出している。
しかし女性が上裸なのは変わっていない模様。この展示にはNGOがだまっちゃいませんね。
しかし採掘した石炭をスコップでわざわざトロッコの位置まで運んでいくのは重労働である。
なのでキャタピラー付きの搬送車「サイドダンプローダー」が登場し、炭鉱内を動いて石炭回収。
炭鉱の中に事務所があって、現場の指揮や外部との連絡をしております。
さっきから写真が暗かったりぼやけたりで申し訳ナスなのだが、このとおり坑道は薄暗い。
この写真ではまず、天井部にビニール製のパイプのようなものが設置されている。
炭鉱の岩石層にはガスが溜まっており、それを抜いている模様。
ガスは大半がメタンガスなので火が点いたら爆発不可避であり、実際に爆発事故は全国的にしょっちゅう発生して死傷者を出している。
んで黄色い機械は、岩盤を掘削して火薬をうめて発破させ、石炭を掘って積み込んでいくという、もう人間いらなくねレベルの高性能マシーン君である。
その名も、ロードヘッダー。
昭和っぽい広告で良いですねえ(哀愁)
次の部屋からは「ぴちゃぴちゃ」と水の音が聞こえてくる。
オッサンが風呂につかっている。
湯本温泉にでも入っているのかと思いきや、これ水風呂らしい。
炭鉱内は温度が高いので、定期的に体を冷やしては塩分を補給しないと倒れてしまう。
炭鉱採掘中に源泉をぶち抜くと熱湯がなだれ込んで来るので、温泉は炭鉱労働者にとっては敵である。
なので源泉を掘削して強制的に外へ排出し、炭鉱へお湯が流入しないようにするという、温泉好きガチギレな作業が必要であった。
(坑道の天井が崩れたり、通気が悪くならないように、整備工事をしています)
戦前には源泉を雑にぶち抜いたせいで、1919年~1942年まで湯本温泉のお湯が枯れてしまったらしい。
湯量が安定したのは、炭鉱閉鎖した後になってから。
ガスが充満してヤバいことになった時のため、救護隊がスタンバっています。
サイレントヒル感。
1970年代の坑道は、より広く安定した造りになっております。
まぁ常磐炭田は1976年には閉山されますが。
やっぱり石油がナンバーワン!の時代になったのだろう。
労働環境をあまり気にせずに安く産出する国からの輸入も、国産品の需要を消し飛ばしたと思われる。
坑道おしまい。
一通のようなので、見たりない人は逆走してどうぞ。
最後は、炭鉱稼働時代の生活展示。
炭鉱へ働きに行く夫を見送る妻と、小さい娘。
これが父を見た最後の光景であった(そういう設定ではない)
炭鉱労働者はもちろん周辺に住むわけだが、彼らの賃金支払いや生活の面倒を見るのが世話所。
きっと大槻班長のような人がいたのだろう(察し)
居住者達は組を作って、清掃当番をやったりお互いの手伝いをしていたらしい。
ただし炭鉱労働がきついからと言って逃げ出すと、捕まってリンチされたそうな(震え)
彼らの気分を一体にして、かつ安全を祈念するものとして祭りがあったようだ。
生活の組のほか、労働組合もあった。
総評系と同盟系あわせて26,000人も居たそうである。
エネルギーの主流が石油になっていき炭鉱閉山が進んでいくと当然組合は反発したが、常磐炭田では再就職先としてスパリゾートハワイアンズがあったので、労組の活動は閉山反対というよりも有利な再就職を求める条件闘争だった。
なお同じ労働者による活動に対し、ハワイアンズ側の労組は「こっちに見んな」状態で静観していた模様。
展示はおしまい。
お土産売り場です。
お菓子や地酒などなかなか多種多様あるのだが、これは誰が買うんですかね。
以上。
【交通手段】湯本駅から徒歩15分
【滞在時間】2時間
【混雑度】★★★(人がちらほら)
【入館料】650円
【URL】