C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

浦和博物館

 

浦和博物館は、さいたま市緑区見沼区の間くらいにある郷土博物館である。

 もうその時点で周辺環境は田(以下略)

 

 

大層な外観をしているが、1878年に埼玉県師範学校として建てられたもの。

そのあと埼玉県高等女学校の校舎、さらに県立図書館として利用されていた。

 

 

 

老朽化のため1959年に解体されたが、1972年に郷土博物館として復元。

 

復元と言うことは、おそらく解体時の材料を一部使っているのだと思うが、解体してから復元まで13年間かかっているので、その間ずっと材料を取っておいたんですかね。

ボロボロの物とかあったと思うが、よくゴミと間違えられて捨てられなかったな(感服)

 

 

 

建物は通称「鳳翔閣(ほうしょうかく)」。

かの三条実美がこの建物を見て、鳳凰が飛び立つようだと言い出したので、そういうことにした。

 

 

 

入場。

 

 

 

なにか透明なものが置いてある。

 

 

川の形を表す模型らしい。

水流れていないと、ただの容器にしか見えんな。

もうちょっと工夫がんばろう(提案)

 

 

解体時の柱の展示。

ちゃんと当時の材料使ってますよと主張している(原産地証明)

 

 

 

昔のカメラ。

カメラ屋さんだった鈴木さんから貰ったそうです。

 

 

展示室。

1階と2階があります。

 

 

 

なぜか最初は浦和レッズ

 

 

エンブレムに、この建物が登場しているらしい。

 

 

あった。

でもレッズサポーターの大半はそんなこと知らないだろう(確信)

 

 

1階の展示のうち最も幅を占めているのは、見沼である。

このあたりは古代、海が入り込んでおり、そのあと水位が下がって水も引いたのだが、一部残ってしまった場所があった。

それが見沼。

 

 

 

一部っていうのは古代視点であり、現代視点で言うとだいぶ水没してるんですがね。

 

江戸時代の初期、家康の官僚のひとり伊奈忠治により、この見沼は灌漑用水を貯める沼として整備される。

東浦和駅の南東に「八丁堤」というのを設け、これがダムの役割を果たし、見沼に水を貯め、下流の村々に利用させた。

 

 

18世紀になると幕府は金欠。

財政立て直しのため紀州から転勤してきた徳川吉宗は「米が無いなら田んぼを増やせばいいじゃない」理論を唱える。

見沼もダムとしての面積を減らして、空いた分を耕作地として使用する計画。

 

 

 

「でもダム減らしたら水足りなくなるよ」と当然の疑問が地元民から生じたが、吉宗君は「じゃあ利根川から水を引く」と斜め上の解答で周囲をビビらせる。

そして本当に引いてしまったのが、見沼代用水である。

 

利根川の取水口は行田市であり、そこから大宮北部まで引いてきている。

地図見れば双方の距離が分かるが、割とぶっ飛んだ発想ではある。

まぁそれ以前に利根川の位置を東に移すお仕事とかやっちゃってるから、江戸幕府的には感覚マヒってたのかもしれない。

 

 

 

その見沼代用水が張り巡らされ、海運的にはメリットなのだが、それぞれに水位の差があって行き来できなかった。

それを関門を設けて水位の調整をし、船の行き来を可能にしたのが見沼通船掘である。 

 

 

たぶん潮来渡し船と同じ理論なんじゃないかな。

水曜どうでしょう絵ハガキ潮来行っているから、通船堀の仕組みはそちらを見て把握してください(説明放棄)

 

 

というわけで見沼をしっかり理解した人は、仏のように清々しくなれます。

 

 

 

内谷氷川神社という神社のレプリカ。

氷川神社って埼玉県いたるところにある気がするが、氷川神社本体は見沼という水域の信仰が起源だった説がある。

見沼がやっぱりNO.1!

 

 

 

なので中山道浦和宿の展示は、片隅に追いやられてしまった。

蕨が中山道推しだったのに対し、川口と浦和はあまり「中山道誇らしい」では無いようである。

 

 

子供たちが描いた絵。

 

 

木製冷蔵庫やテレビの間に、馬の埴輪の絵が混ざっており、好き勝手書いてる感がよく表現されている。

 

 

 

2階へ。

 

 

 

このフロアは昔のグッズがメインである。

 

 

 

今や懐かしい列車。

 

 

 

1994年の時点で埼玉はすでに自称「彩の国」であったようだ。

しかしこの人形じゃあ、人気でないよね(真理)

 

 

 

かつては最新機具のように扱われたトースター機。

 

 

大根おろし

家庭の奥様よりも町工場のオッサンが使っていそうな見た目だが、金属製では無いぶん、通常の大根おろしより味が良いらしい。

 

 

 

生活用品が多い。

さっきのカメラもそうだけど、これ近所の古い家の人から貰ってきたんじゃないか。

 

 

 

ただ近所の人から貰ってきた道具の方が、実感がわいて良いんじゃないですかね。

予算の節約にもなるし(緊縮財政)

 

 

 

昭和セットがあれば、当然食卓には酒。

いいぞーこれ。

 

 

最後に、ベランダ。

悲しいかな外には出られない。

 

 

思いっきり木まみれで、バルコニーのくせに何も見えないじゃないかと思われるかもしれないが、そりゃ元々この建物があったのは今の浦和駅前であり、郷土博物館を建てるにあたってここに来たのである。

 

さすがに緑区見沼区の境なんて田舎に、師範学校建てませんよ(ゲス顔)

 

 

 

柱にはアカンサスの葉の彫刻が為されており、これはコリント様式によく見られるそうですよ。

良かったですね。

 

 

以上

 

 

【交通手段】大宮駅・さいたま新都心駅北浦和駅等からバス20分

      (北浦和からは本数多め。それ以外は30分に1本ペース)

【入館料】無料

【滞在時間】40分

【混雑度】★★(他に2~3人)

【URL】さいたま市/浦和博物館