川口市立文化財センター
写真だとそこまで感じないけど、実際に見ると廃墟みたいなビルでびっくりする(暴言)
文化財センターになっているのは1Fから3Fまでのようで、他の階はマンションになっている感じ。
左側は住民入口って書いてあった。
文化財センターへは右の入り口から。
入り口をくぐると、案外着飾ってある。
でも階段はやっぱり外観相応だった。
2Fに上がって受付へ。
受付で入場料100円を払う。
展示室は2F部分のみで、3Fは会議室とか体験学習室。
そして2Fの展示室は、農耕・地形的なゾーンと、産業ゾーンの2部屋。
このゾーンは前者。
いきなり巨大な何かが置いてあるが、これは「蛇」らしい。
毎年5月にこれを作って欅の木にぶら下げておくと、1年間五穀豊穣・無病息災・ハッピーでいられるんだと。
蛇と言うより、巨大な猛獣が口開けているように見えるんだが、気にしない。
郷土資料館のセオリー通りに、古代から中世までの展示が時代順に。
川口のあたりには18,000年前には人が住み始めたらしいけど、氷河期の氷が溶けだすと思いっきり水没してしまったらしい(哀)
ただ海水が撤退した後は、海に近いし、川もあるので定住するには好条件となり、人も集まってきた模様。
芝川という川と、荒川の2つの河川がぶつかるところなので、「川口」という地名になったと推測される。
安行(あんぎょう)という場所から発掘された縄文土器は「安行式土器」と呼ばれ、縄文土器の1スタイルを成している。
何をもって安行式土器とするのかは特に展示されてなかったのでよく分らん。
環境・模様の違い。
遮光器とは、イヌイットのグラサンのことであり、それに似ているから。
どうしてイヌイットを持ち出したんだろうね、発掘者がイヌイットファンだったのだろうか。
櫛。
打製石器で作った櫛で髪をとかしたら頭皮グサグサになりそうだが、緩和策として(?)漆が塗られている。
当時のムラの様子。
トチの実を灰汁抜きして食べるのが当時一般的だったが、ここでは複数の集落による共同の「トチの実灰汁抜き場」があったとされている。
灰汁抜きのやり方。
①実をとってくる
②水槽でジャカジャカ洗って、汚れや虫を落とす。
③煮炊きして灰汁抜きする
④石で殻を砕く。
⑤もう一回、水にさらして灰汁抜き
⑥乾燥させて完成。パチパチパチ。
わりと工程細かいのね。
海が近かった、もとい水没していた関係で、貝塚は結構ある。
貝に自由にさわってみようコーナー。
あまりにも貝塚おおすぎて、もはや保存する必要もないのだろうか。
牡蠣うらやましい。
瓦っぽいのもあるので、貝だけでなくこちらにも触ってあげてください(哀願)
時代が進んでいくと、土器の裏に製作地のマークを付けたりもしていた。
しかしここで見つかっているのは、東京都である足立を示す「足」の字が書かれた土器のみであり、「川」と書かれた土器は無い模様。
さすが、「埼玉都民」と言われる川口市である。
時代が飛んで戦国。
北条氏と上杉氏のバトルの地だったような気もするのだが、特に展示は無し。
ただいつ死んでも良いように、仏様の加護は受けられるよう、武士の皆さん色々工夫はしていたようである。
弔い用の碑もご用意しております。
間髪入れずに江戸時代。
この地域は伊奈という家が代官を務めていたが、(江戸時代初期の)伊奈忠次・忠治の親子が有能であり、河川改修・堤防築堤・農作物の栽培など多岐にわたって貢献し、埼玉南部から茨城県まで発展の礎となった。
写真のとおり、街道まで作ってしまったとさ。
なお伊奈氏が住んでいた川口市の赤山城は、残念ながら今は森の中スカートの中状態になってしまっている。
彼らの街道に作ったと思われるこの商店街もどうなっていることやら
川口は日光街道や鎌倉街道のあった街だが、あまりその辺を誇らしい感じでは扱っていない。
中山道を誇る蕨へのアンチテーゼだろうか。
ガキの落書きのように見えるが、川口宿を描いた当時の図だそうです。
庶民の文化的なゾーン。
鬼の絵を描いた旗竿。
またガキの落書きかと思ったら、氷川神社のイベントで使うらしい。
鬼の目に向かって矢を撃つんだと(グロ注意)
たしかによく見ると、ところどころに穴が開いている。
カワイソス。
ここの獅子舞さんはやけに耳が長いようで。
これらは富士講に使うもの。
富士山まで行って色々お祈りすべきところ、遠いので行けない人は、近くのちょっとした山をミニチュア富士山の装いにして、それを詣でることで登ったことにする。
富士登山はいま大混雑だからね、みんな地元で富士講やって、登ったことにすればいいんじゃない(提案)
これで農耕・地形ゾーンは終わったので、産業ゾーンへ。
途中に置いてあったもの。
とくに説明書きも無し。
どこかの商家が持ってた古い看板だろうか。
ここから産業ゾーンですが、展示物個別の写真を撮ってはならぬということらしいので、全景の写真でおしまい。
なんでこのゾーンだけ撮影ダメなのかね。
著作権でも発生するのだろうか。
まぁ内容としては、川口は江戸に近い上に川を使って運べるので、多様な産業が発展したとのこと。
味噌や醤油などの醸造業・紡績・塗料・植木。
中でも鋳物業は、荒川と芝川で原料になる砂や泥が手に入ったので、一大産地になった。
1964年東京オリンピックの聖火台は、川口の鋳物で作られたとのこと。川口誇らしい。
同じ鋳物であるベーゴマも名産品であり、その辺の路上でバトルが繰り返されたと思われる(こなみ)
以上。
【交通手段】川口駅・川口元郷駅から徒歩10分。赤羽駅からバス(10分に1本ペース)。
【入館料】100円
【混雑度】★(誰もいない)
【滞在時間】40分
【URL】川口市立文化財センターホームページ