横浜検疫所 旧細菌検査室
横浜検疫所の旧細菌検査室は、野口英世が検疫業務を行っていた施設である。
明治時代に海外との人・モノのやり取りが増えるにあたって、病気も持ち込まれてしまうので、横浜市金沢区長浜に検疫所が設けられ、渡航者が伝染病に感染していないか検査を行っていた。
当初の建物は1895年に建てられたが、1923年の関東大震災で倒壊し、その翌年に再建された。
1952年には検疫所の新庁舎が完成し、この建物は使われなくなって長年放置されたらしい。
それがなぜ残されたかというと、野口英世が若かりし頃にこの細菌検査室で勤務していたから。
1899年に22歳で検疫医官補として赴任し、5か月間勤務。
野口英世の研究施設のうち、国内で唯一現存する施設であるという。
当時の細菌検査室。
横浜港に入港した「亜米利加丸」というド直球な名前の船に病人がいたが、野口はその患者がペスト感染者であると見抜き、すぐに隔離した。
当時のペストは猛烈な病気(ボキャ貧)だったため、野口の判断が無ければ大被害が生じていた可能性があるというもの。
野口はこれら仕事で評価を上げ、5か月の勤務後にペスト大ブームの中国に渡ることになる。
当時のお写真。
我々が知る野口英世の姿とはだいぶ離れている。
なお野口はこの検疫所に来る前は、北里柴三郎の伝染病研究所に勤務していたが、研究所の本を横流しした容疑があり、クビにされるところを北里の計らいで検疫所に仕事をもらったという経歴がある。
まぁ野口は浪費癖で有名だからね、仕方ないね。
準備室。
研究に要する培養液を作ったり、機材を洗う部屋。
隅の方に展示があるが、遠くて読めない。
こちらは細菌検査室。
ドアが閉められているので、ガラス越しにみる。
当時はこんな感じで、野口くんも勤務していたと思われる。
この広い部屋は動物実験室だった。
実験用のモルモットとか、ウサギとか大量に飼っていたらしい。
いろいろ当時の医療器具があるが、別に野口先生が使っていたものではないのであしからず。
かばん。
理科の授業を思い出す天秤と分銅。
ワクチンを打った人は、証明書がもらえたようだ。
あとは野口先生のお仕事一般についての展示。
猪苗代の野口英世記念館も、ちゃっかり宣伝されている。
上述の通り、1952年に検疫所の新庁舎が完成したことで、この建物は次第に使われなくなり、荒廃して行った。
それが上記の写真。もはやホラーである。
しかし野口英世がらみと言うことで保存要望が集まり、長期間の放置プレイのあと再度整備され、1997年に一般公開となった。
最後の部屋は、地下冷暗所。
当時は冷蔵庫が無いので、床下の収納室で冷やしていた。
おそらく荒廃時の写真。
ヒエー。
そして当時はこっち側が玄関で、現在の入り口は昔の勝手口だったようだ。
冷暗所側の出入り口はこんな感じ。
まぁ逆側とほとんどかわんないな(適当)
以上。
【入館料】無料
【滞在時間】30分
【混雑度】★(誰もいない)
【URL】