湯河原町郷土資料館
湯河原町郷土資料館は、湯河原に関する郷土資料館である。
バス停「落合橋」からすぐ、湯河原温泉観光協会の建物があるが、この館内にある。
2階にあがり、公民館的な廊下を奥の方へ。
これ。
見るのにあまり時間は掛からなさそうだね(老並感)
まずは春夏秋冬のお写真。
冬の写真はやたら豪雪地帯になってるけど、「湯河原は滅多に雪降らない」って光風荘のばっちゃまが言ってたなあ。
目立っている丸い奴は、万葉集に関するもの。
万葉集の中で温泉ネタが1つだけあり、それが湯河原らしい。
その歌は「湯河原温泉のような情熱で、彼女が俺の事を思ってくれているか分からない」という意味らしい。
かなしいなぁ(大伴家持 並感)。
湯河原の今昔写真。
大正時代の湯河原駅。
こちらは今の湯河原駅。
なんかそんなに変わってないような。
そんな湯河原を気に入っている作家は多く、記念館建てちゃった西村京太郎をはじめ、松本清張。
島崎藤村も伊藤屋に長期間滞在しており、『夜明け前』の執筆もしている。
しかしなんで木曽の話をわざわざ湯河原で書いてるんですかねえ(困惑)。
島崎藤村が使っていた座布団。だったハズ。
自然を学ぼうのコーナー。
これは湯河原の不動滝で見つかった、「湯河原沸石」である。
酸で熱していくと、なんと石が溶けてしまうという。
あ、溶けるのは岩石全体じゃなくて、この岩に付着している結晶のことね。
昔はこんな軽便鉄道も走っていたらしい。
巨大な絵。
湯河原の歴史で最も有名なのが、源頼朝の重臣であった土肥実平である。
土肥実平くんの概要としては、
1.伊豆で源頼朝が挙兵した当初から味方として登場。
2.石橋山で大庭景親にフルボッコにされ、しょぼくれる頼朝を引っ張って房総へ脱出。
3.有能っぷりを発揮して数々の戦いで平家を破り、壇ノ浦の戦い後は逃げ延びた平家対応のため山口県に留まって目を光らせる。
4.その後は広島に所領をもらって人事異動となるが、詳しい記録は残っていない。義経と親しかったため、左遷された疑いもある。なお戦国時代に名を馳せる小早川家の起源は、この土肥家である。
そんな土肥実平の物語が紙芝居風に展示されているが、中には
「頼朝を寺にかくまった僧侶が、平家の拷問にあって半殺しの状態で放置されるも、頼朝がその僧侶の顔に涙をこぼすと、僧侶の体は回復したのであった」
だってさ。
土肥家の紋章。
鎧の展示。
その横に、ひっそりと展示されている何か。
広島にて土肥実平くんが書いたと言われている文書。
平家寄りだった出雲大社の神主を誰にするかで、土肥実平が推薦した人を頼朝が拒絶して別の人にやらせたのだが、そいつがダメダメだったので結局実平くんの人選で決まったという。
土肥実平の記録が少ない中、それなりに大事な文書な気がするのだが、資料館的には置く場所が無いので端っこに掛けてるんですかね(遠い目)
出口。
よくわからん人形が置いてあった。
以上。
【交通手段】湯河原駅からバス「落合橋」すぐ
【入館料】無料
【滞在時間】30分
【混雑度】★(誰もいない)
【URL】http://www.yugawara.or.jp/sightseeing/details.php?log=1365467533