C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

五島慶太未来創造館

未来“強盗”館のほうが実態にあってるんじゃ(銃声)

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東急グループ創始者 五島慶太の記念館です。2020年6月に出来たばかり。青木村出身だったんですね。
携わった事業は数知れず。鉄道・不動産・百貨店・観光地開発・映画製作・野球チーム所有・運輸通産大臣にまで就任。役員を務めた企業は100over。絶対おぼえてない会社あるだろ。桃鉄やらせたらメチャメチャ強そうだし桃太郎ランドどころかハドソンごと買収しそう。

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(五島慶太(1882-1959))
競合他社の株をバンバン買い集めて経営権を奪ったので相手企業と険悪関係になるのがいつものパターン。敵対的買収は滅多にない時代だったので、その強権姿勢はいつしか「強盗慶太」と呼ばれるようになりました。
渋谷周辺はこの人が開発したと言っても過言ではなく、また京王・小田急京急など関東の私鉄各社を傘下に収めて「大東急」時代を築いたことも。西武の創始者 堤康次郎とは箱根や伊豆の観光開発で競合してるので凄まじく仲が悪い。

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そんな郷土の大人物を見習って、青木村の子供たち元気に育ってね!って施設ですね。
五島慶太の一生が解説されているんですが、「頑張って勉強しよう!」とか「両親や恩師に感謝!!」など教育的文言でいっぱい。見ている方がくすぐったくなるがな。

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相当な強面なのでセリフの違和感が一層引き立ちます。
この写真、25歳の時だそうですよ。東京帝大の学生をやってましたが、ソビエトロシアで「・・などと申しております、同志スターリン」と相談されてそうだし、エスキモーの毛皮並みに眉毛が太い。

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(鉄道院時代の人事異動辞令)
帝大卒業後は鉄道院(今の国交省)に10年務めましたが出世コースに乗れず、仕事も楽しくなかったので辞職。
なお出世欲は凄まじく強かったようで、息子2人いるんですが「昇」と「進」と名付けている。あわせて「昇進」。ヤンマーのCMか。子供の名前で願掛けするんじゃない。

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創業されたばかりの鉄道会社の役員に参画。合併・買収を繰り返してこれが東急になり、渋谷~横浜一帯を手中に収めます。
最初の数年間は全然うまくいかず、しかも4人の子を残して妻が病死。一家心中まで考えるほど絶望したらしい。
さらに新路線が開通したちょうどその日に関東大震災が発生して線路崩壊という不運の極み。とにかく早く復旧するため、役員だというのに現場でてシャベル握って土木作業したそうな。

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鉄道事業が軌道に乗ると、渋谷駅一帯の開発に取り組み。谷底で使いづらい地形だったので大型建物つくれなかったんですが、大量の資金を突っこんでゴリゴリ土地改良。東急百貨店など様々な店舗が登場し、都内では新宿に並ぶターミナル駅に成長しました。まさに渋谷は五島慶太が開発した街なのです。
今更気づいたのだが、「渋谷109」って東急のことなのね。

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東急百貨店の屋上には小さな遊園地があり、レストランと合わせて子供たちに大人気だったそうです。今ではもうこんな遊園地ほとんど残ってないですね。関東では2019年に川越の丸広百貨店屋上遊園地が終了となり全滅した模様(wikiには「東武池袋店にある」と載ってるけど、あったっけ?)
東急渋谷でも2013年に廃止、そして2020年3月には百貨店自体が閉店してしまうのでした。

 

五島の関わった事業はあまりにも多く全然書ける気しないので、幾つか箇条書きしてお茶を濁します。
〇 戦争が近づくと各産業で企業統合の動きが生じ、これに乗って京王・小田急京急など傘下に収めて関東の私鉄を独占する「大東急」にメガ進化。このあと(戦後)めちゃめちゃ解体された。
〇 映画産業に突撃し、のちの東映が誕生(五島の死後に東急グループから分離)
プロ野球で今の日ハムに連なる「東急フライヤーズ」を所有。だいたい最下位争いしてた。「喝ッ!」でお馴染みのオッサンが最初に入団した球団。

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あと伊豆行ったことある方なら伊豆急行線ご存じかと思うんですが、あれも東急グループなんですね。
熱海~伊東まで国鉄が路線引いていて、そこから下田まで延伸する予定だったのに国鉄が全く動かない。地元がキレ始めたところに五島が名乗り出る、そこに天敵の西武 堤も参戦。運輸省自民党を巻き込んだ誹謗中傷バトルの末に五島が勝利。着工から2年足らずという超高速で完成。ただこの時すでに五島は死去していましたと。

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そんな感じで五島の事業成果の数々が語られているわけですが、終始“良い人そう”な雰囲気で描かれているのが違和感満載なわけ。
実際の性格は湯沸かし器で、気に入らない点があると一瞬でブチ切れていたそうな。急に指示内容が変わることが多くて、その際「出来ません」と答えた瞬間、そいつは死んでおったんじゃよ(土地の古老の証言)
新卒を一から育てるの面倒だから、自身の前職である中央省庁から官僚を引き抜きまくってました。役所からしたら良い迷惑である。

 

というわけで敵対勢力である西武グループが来館したら「このような修正主義は革命と同志への背反である、自己批判せよ!」と詰められてしまうから青木村さんはセゾンカード(西武側)を作って永久不滅ポイントで役員買収しておいた方が良いです。

おしまい

 

【滞在時間】40分
【混雑度】★(だれもいない)
【参考文献】『東急 五島慶太の生涯~わが鉄路、長大なり~』北原遼三郎
【URL】五島慶太未来創造館 | 青木村役場

 

 

立山カルデラ砂防博物館

砂防が近年ニュースになったのは2018年7月西日本豪雨のとき。

各地で激しい雨が続き、最も被害を受けた広島では土砂災害500件弱・死者100人以上にのぼりました。豪雨災害としては平成最悪。

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広島県での土砂災害状況 国交省HP https://www.mlit.go.jp/river/sabo/jirei/h30dosha/H30_07gouu_gaiyou1807311800.pdf

ただ砂防堰堤のおかげで被害を軽減できたエリアがあったようです。砂防というのは、土砂崩れが起きた際にそれを食い止めるダムの1種みたいなもので、下の左側の写真のイメージ。

これで助かった市街地もあり、推定1,000億円分の被害を免れたとか。砂防整備費用は300億円だったので、700億円分の投資効果があったってことですかね。

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(右の写真は国交省HPより https://www.mlit.go.jp/river/sabo/jirei/koukajirei_jigyo.pdf

 

さて、富山県もかつては土砂災害・洪水に悩まされてきましたが、現在は被災が少なくなり安全な地域として注目されているようです。上流域である立山で徹底的に砂防工事をして土砂流出を防いでいるのが理由の1つ。

我々はその秘密を探るべく、富山駅で白エビの天ぷらと地酒をしこたま飲み食いしてから、黒部ダムに行くついでにアマゾンの奥地 立山へ向かった。。。のだが富山地鉄の車両にはトイレがなく、現地までの1時間強で膀胱が全滅した(完)

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立山駅から徒歩2分で着きます。砂防の展示室とカルデラ展示室があり、入館無料なんですがカルデラだけは別途400円かかる仕様。

立山黒部アルペンルートへの出発駅なのでケーブルカーの待ち時間で来館する人が多いようですが、展示の量けっこう多いので暇つぶしどころか時間が足りません。砂防だけで1時間かかり、カルデラ見れなかったんですが、なんとカルデラ展示室の方が広い模様。テキトーに飲食店に入ったらドカ盛りで有名なところにあたってしまい、無事死にかける感じに似ている。

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入館したらまずは砂防の解説ビデオでも見てってくださいね。説明パネルいっぱい貼ってあるけど、こっちのほうが5億倍わかりやすいです。

砂防ダム君がはてな君に説明する形で進んでいきますが、はてな野郎は「えーそんなの意味ないじゃーん」「本当にぃ?」とクソリプを延々と飛ばし続けるので、爽やかな苛立ちと殺意を感じ取れると思います。

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(© OpenStreetMap contributors

展示内容は、富山県を縦断する常願寺川に移ります。

立山連峰から日本海へそそぐこの河川は暴れ川として名高く、頻繁に被害を起していました。右の写真は1880年代の災害記録を示したものですが、洪水が毎年恒例行事になっています。住民はもう筏の上に家を建ててキナギタウン化して良いのではないか。

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富山県側も政府のお抱えオランダ人技師ヨハニス・デ・レイケさんを招聘。日本各地で30年間治水事業に携わったベテランですが、常願寺川の上流を視察したところ「(急流すぎて)もはやこれ川じゃなくて滝じゃね」「今の技術じゃ無理だな」とばっさり匙を投げました。諦めが良すぎる。

なお神通川の改修計画はやってくれたので無能カステラおじさん扱いするのはやめてさしあげろ。

 

洪水の原因は、常願寺川の上流 立山カルデラの軟弱地盤にありそうです。

①頻繁に崩壊しては河川に土砂が流れ込んでくる

②土砂が堆積して川底が浅くなる

③ちょっと増水すると河川から水がはみ出してビッシャビシャ。

というわけで土砂流入を抑えるための砂防工事が必要と考えられました

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(赤木正雄さん)

富山県が1907年から工事を始め、1919年にやっとこさ砂防ダムが完成したのですが、土石流が発生して1年足らずで壊されました。1922年に復旧できたのも束の間、同年の豪雨災害で再びおじゃん。壊されるの早すぎ。ドリフのコントか。

もうダメぽ(死語)、、ということで富山県は国に事業をぶん投げまして、やってきたのが内務省の技術官僚で砂防専門家 赤木正雄。当時は砂防に明るい人材が全然おらず、海外留学から帰国して全国の砂防現場を駆けずり回っております。

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このジャガイモおじさんが立山に着任し、8年間の工事を経て1939年に白岩砂防堰堤を完成させ、暴れ川問題に終止符を打ったのです。作ったものは管理しないといけないので、博物館のすぐ横にある国交省立山砂防事務所が業務を担っています。

赤木さんの功績は15分くらいのビデオで放送されているので時間があればどうぞ。

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大きな列車が置いてあるのですが、砂防工事で使っている運搬用トロッコです。険しい山道に線路を敷いて、現場まで資材を運んでいくんですね。工事当時から今日まで80年以上も使われており、世界に類を見ない鉄道になっています。

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勾配がめちゃめちゃキツいので箱根登山鉄道みたいにスイッチバックして登っていくわけですが、その数38回と凄まじいことになってます(箱根は3回)

路線図がこれですが、列車の線路とは思えませんね。小腸かな?

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国交省 立山砂防事務所HP https://www.hrr.mlit.go.jp/tateyama/truck/index.html

このトロッコ立山砂防事務所の見学会で乗車できるのです。世界にも珍しい路線なので人気が高く、事前応募をして抽選に当たらないといけない。倍率は4倍だそうな。

また運行当日の天候次第でキャンセルされることも。山の天気は変わりやすいので、せっかく当選して遠方からはるばる来ても直前の土砂降りでパーになる恐れがあります。運ゲーすぎる。

 

というわけで強運の持ち主は挑戦してみてください。

おしまい

 

【滞在時間】90分

【混雑度】★★★(ちらほら)

【URL】立山カルデラ砂防博物館

原田泰治美術館

「日本の原風景」という言葉がよく聞かれる。
そういう場所に居たり育ったりしたわけでもないのに、なにか懐かしさを憶える風景が誰しもの心に眠っている。金色の稲穂が一面に広がる里山とか、開放的だが人気少なく寂しげな漁村とか、熱湯に突き落とされる出川哲朗を思い起こすと、「あぁこういうのが日本だよなぁ(お茶ズズー)」と感傷に浸れるわけです。

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(『田植えの子供たち』1992)

原田泰治は、そうした原風景を半世紀にわたり続けている画家です。「田舎の風景描いてりゃ全員そうだろ」と思われそうですが、原田が表現する山里は丸っこさ・可愛らしさがあって、見る人を暖かく迎えてくれる。雪に埋もれた寒村の絵などもあるわけですが、過酷さよりも人々の暮らしを包みこむ穏やかさを感じさせます。

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もう一つの特徴は、登場人物に顔が無いことです。情景描写をするのに人の表情って重要な情報になると思うんですが、お構いなく全員のっぺら。手を抜くんじゃない。
ただ手足や顔の向きなどの細かい描写で人々の仕草が生き生きと表されており、顔なんて描かなくとも空気感は伝えられることに気づくのです。

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そんな原田さん、諏訪出身なので諏訪に美術館があります。
上諏訪駅から3kmあるので徒歩だとしんどい。1日6本程度という絶滅危惧種みたいな市民バスが一応ありますので、時間を合わせてどうぞ。

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本人の写真。諏訪の高校を出て東京の武蔵野美術短大に進学。優秀な成績で卒業し、銀座のスタジオに就職というキラキラキャリアでしたが「通勤が辛い」ので数か月で退職。メンタル弱すぎて親近感がわく。
諏訪に戻ってデザイン業を個人開業。イラストも手掛けるようになり、“自分が生まれ育った信州の風景”を題材にしたところファンが増え、朝日新聞に依頼された風景画連載がヒット、テレビやラジオにも出演する有名人になりましたとさ。

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信州の原風景画家なのに、髪型はなぜか60年代西海岸です。「絵を描くときに長髪が邪魔だから束ねている」とのこと。
しかしヒッピーみたいだなぁと思っていたら、親友のさだまさしは「ネイティブアメリカンの酋長」と火の玉ストレートな例えをしていた。原田の容貌から文明性を感じなかったのだろうか。

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美術館の展示室は1Fと2Fにあり、ともに企画展です。撮影は禁止。50~60点はあったので、のんびり見ていると1時間。紹介ビデオも放映中。

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エントランスに小さい車が置いてあるのは本人の愛車ですが、なんとブレーキは足ではなく手で操作します。
実は原田氏、1歳の時に小児麻痺を患って足が不自由なので歩行には杖が必須。ブレーキを踏めないので町の自動車工場に相談したところ、ハンドルを加工した手動ブレーキを作ったのだ。職人、天才過ぎないか。
原田はこの車を大事にし、50年も使い続けたそうな。50年!部品壊れたらメーカーの在庫とっくに無いと思うんですが・・まさか部品まで自作してたのだろうか。

 

そんな感じで、ほっこりした絵画に触れられる美術館でした。
おしまい

 

【滞在時間】1時間
【混雑度】★★★(ちらほら)
【URL】

www.taizi-artmuseum.jp

 

日本スキー博物館

スキーシーズンに野沢温泉に行くと凄まじい混雑で、ただでさえ狭い道路に大勢の観光客がひしめき合っている様はアメ横とか原宿の竹下通りにも劣らない。

「田舎の温泉街だから空いてそう」という知人の言葉を信じて行った数年前の私は迫り来る人波ビッグウェーブに飲み込まれ、千曲川下流で冷たくなって発見された。吉村と村田はダウンヒルの途中で息を引き取った。

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(東京の野沢温泉こと原宿竹下通り)

それだけ野沢のスキー場は人気があって、2019年度には述べ34万人が訪れている。稼働時期は12月~3月のせいぜい4カ月だから、もし1年中雪が降り続けるなら34万×3=102万人。私の集客力は102万です。遊園地入園者数ランキング4位のとしまえん(112万)に近い数字だ。潰れてしまったので説得力皆無だが。

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というわけでスキーの博物館があるんですね。”日本”スキー博物館と、国名を冠につけるとは大きく出たもんだ。しかし、この名前がまったく大袈裟で無いことを思い知らされるのです。
入館料は300円。

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まず最初の展示室。ぐるっと1周、説明パネルやスキー用品・記念グッズで囲まれています。300円ならこれくらいのボリュームかと思ったところで、奥に続いている通路が目に入ります。まだあるのかな?

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ありました。このサイズの部屋があと2つ+ビデオゾーン。結構広い。

古代から現在までのスキー用品を並べてあるのですが恐らく数百点ある。ゆっくり見てたらだいぶ時間かかりますね。

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んで更に、最初の展示室の階下にも広がっているんですよ。ここが一番ヘビーで、「冬季オリンピックを第1回から全て振り返るコーナー」「各大会の記念グッズたち」「雪国で使われていた民具」「他のゾーンに分類できないものをまとめましたエリア」。

全部じっくりみたら2時間はかかる。これで僅か300円とはデフレの極み。日銀の黒田総裁が知ったら怒りのマイナス5000%金利発動する恐れがあるので日銀職員は教えないように。

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じゃあ最初の展示室から軽く見てみますか。内容は野沢温泉スキー場の発展の歴史。
我が国にスキーが本格導入されたのが1911年ですが、野沢温泉には1912年とずいぶん早く伝わったそうです。当時のスキーはスポーツではなく、大雪でも使える交通手段として普及されたので、雪国の野沢でも必要だからこそ導入したんでしょうね。

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とはいえスポーツとしての人気も高まったようで、1924年にはスキー場開設。
写真は当時のスキージャンプ練習のところ。人生\(^o^)/オワタ 式で飛ぶと芸術点が上がるのでしょうか。

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1930年には世界的な指導者ハンネス・シュナイダー野沢温泉を訪問してスキー教室を開催。「銀嶺の王者」と呼ばれていたこの人はスーツ着用、ズボンは膝までたくし上げという摩訶不思議なファッションと温度感覚で地元を熱狂させました。寒くないの?

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1949年に国体(写真左)、高度経済成長期でのスキーブーム、長野オリンピックではバイアスロン開催(写真右)と、国内有数のスキー場として地位を確立。ピーク時には100万人/年もの利用者があったそうですが、バブルがはじけてレジャー産業は爆死。利用者数も1/3以下まで落ちこんだものの、民間事業者を入れて奮起したことで40万人まで数字を戻しましたとさ。
wikiでは「村営だったころは団体客を優先したため個人客を逃し、そのあと団体客も来なくなった」とプギャー感を隠し切れない書き方で笑える。野沢温泉に恨みでもあるのだろうか。野沢菜が鼻に詰まって死にかけたとか。

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冬季オリンピックの歴史コーナー。量が多すぎるので見るのは第1回大会だけね。
1924年にフランスのモンブランで開催されました。16か国出場したがノルウェーフィンランドが強すぎて他大勢ボコられる展開だったらしい。日本は前年に関東大震災が起こったため欠場、第2回大会で初参加しました。
写真真ん中の男性”ナチスの某男性”感すごいけど違います。選手宣誓のシーンです。宣誓!僕たち、私たち、戦争が好きだ。

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最後に岡本太郎。全国どこにでも出没する妖怪みたいになってますが野沢温泉にも来てます。スキー大好きらしくて本まで書いてるんですね。このスキー板とお湯マークのデザインをしたそうです。

板の方はあまり奇抜ではないけど、お湯マークはどう見ても岡本太郎ですね。こんなデカい蜘蛛みたいな温泉があってたまるか。

おしまい

 

【滞在時間】40分

【混雑度】★(誰も居ない)

【URL】

www.nozawaski.com

 

志賀高原歴史記念館

三島由紀夫に『盗賊』という小説があって、志賀高原のホテルが舞台の1つなのね。主人公の男性がホテル内で会った女性に一目ぼれ。2人は楽しい時間を過ごし婚約までしたんだが、女性は完全に遊びのつもりで結婚する気は無かった。

絶望した主人公は、男に弄ばれた後こっぴどくフラれるという同じような経験をした別の女性と遭遇。2人は元恋人たちに復讐すべく、“幸福なカップルを装って結婚し、結婚式当日に心中する”。ホント、三島ってろくでもないな(呆れ)

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んで、この建物が恐らくその(旧)志賀高原ホテルです。志賀高原は、日本政府が外国人観光客を呼び込んで外貨獲得しようとした国策リゾートの1つ。その中枢を担うホテルだったのだ。変態作家養成所ではありません。
1937年~1999年まで営業。現在は記念館として無料開放されています。11月~4月は冬季閉鎖らしいのでご注意ください。

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(営業当時のお写真)
営業当時は56部屋、収容170名程度と山中にしては規模が大きかった。そのうち現存しているのはエントランス棟の一部だけ。三島がネタに使うくらいだからかなりの高級ホテルと思われる。
戦後は米軍駐留地にされた期間もありますが、1960年代後半以降のスキーブームにより相当賑わっていた。最盛期には19ものスキー場があった程ですからね。
なんで廃業したかって、そりゃバブルがはじけてスキーしてる場合では無くなったからです。

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エントランス部分です。行ったの10月なんですが、普通に寒いですね。暖炉には火がくべてありました。
フロントには誰もいません。ただちょっと覗き込んだら小型ガスコンロ置いてあって、鍋と食べ終わったカップ麺が置いてあった。管理人、高級ホテルを実家のように扱うんじゃない。

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フロントに、タイ宮廷料理レストランの案内が。でも朝食は中華なのか。宮廷料理人、もっと自国にプライドを持ちなさいよ。そんなんだから軍にクーデターを起さr(銃声)。
ググってみたんですが現在この店は存在しないようです。ホテル館内のレストランとして営業していたのかな。タクシン派だったので軍に消されたのかもしれません。当時の雰囲気をお楽しみください。

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3F建になってまして、最上階まで上がれます。上に行くほど暖炉から遠ざかるので寒くなります。あと客室には入れません。
通路は広々としているし、ふんだんに置いてある剥製でホテルの風格を示しています。GoTo使っても良い値段しそうだな。一般庶民日本人は宿泊をためらい、そのぶん中国人が大挙するんですね。

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猪谷千春と父)

館内展示は、日本人初の冬季メダリスト猪谷千春ネタが多かったですね。
両親ともにスキー選手なので2歳からスキー教育開始。より良い練習環境を求めて一家で各地を渡り歩き、最終的に志賀高原に落ち着いた。

特に父親が厳しい人で「直径30㎝の大木を切り倒す」「丸太に乗って山の斜面を滑走する」練習をしていたらしい。『巨人の星』の読み過ぎではと思ったが、猪谷家の方が20年ほど先だったのでこちらが本家です。

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あと館内にカフェもあります。
記念館のHPは無いんですが、カフェのHPはあるんですよね。普通逆では。
メニューの「カリッふわトースト」、HPの写真みたら食パン1斤の上にバターが乗せられていた。豪快過ぎる。猪谷家では朝食にこれを食べきらないと罰として熊と戦闘だったのかもしれない。

 

おしまい

 

【滞在時間】30分
【混雑度】★★(他に数人)
【URL】志賀高原カフェ Shiga kogen cafe