C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

立山カルデラ砂防博物館

砂防が近年ニュースになったのは2018年7月西日本豪雨のとき。

各地で激しい雨が続き、最も被害を受けた広島では土砂災害500件弱・死者100人以上にのぼりました。豪雨災害としては平成最悪。

f:id:wandercspot:20210103181629p:plain

広島県での土砂災害状況 国交省HP https://www.mlit.go.jp/river/sabo/jirei/h30dosha/H30_07gouu_gaiyou1807311800.pdf

ただ砂防堰堤のおかげで被害を軽減できたエリアがあったようです。砂防というのは、土砂崩れが起きた際にそれを食い止めるダムの1種みたいなもので、下の左側の写真のイメージ。

これで助かった市街地もあり、推定1,000億円分の被害を免れたとか。砂防整備費用は300億円だったので、700億円分の投資効果があったってことですかね。

f:id:wandercspot:20210103181300j:plain
f:id:wandercspot:20210103181639p:plain

(右の写真は国交省HPより https://www.mlit.go.jp/river/sabo/jirei/koukajirei_jigyo.pdf

 

さて、富山県もかつては土砂災害・洪水に悩まされてきましたが、現在は被災が少なくなり安全な地域として注目されているようです。上流域である立山で徹底的に砂防工事をして土砂流出を防いでいるのが理由の1つ。

我々はその秘密を探るべく、富山駅で白エビの天ぷらと地酒をしこたま飲み食いしてから、黒部ダムに行くついでにアマゾンの奥地 立山へ向かった。。。のだが富山地鉄の車両にはトイレがなく、現地までの1時間強で膀胱が全滅した(完)

f:id:wandercspot:20210103181007j:plain
f:id:wandercspot:20210103181215j:plain

立山駅から徒歩2分で着きます。砂防の展示室とカルデラ展示室があり、入館無料なんですがカルデラだけは別途400円かかる仕様。

立山黒部アルペンルートへの出発駅なのでケーブルカーの待ち時間で来館する人が多いようですが、展示の量けっこう多いので暇つぶしどころか時間が足りません。砂防だけで1時間かかり、カルデラ見れなかったんですが、なんとカルデラ展示室の方が広い模様。テキトーに飲食店に入ったらドカ盛りで有名なところにあたってしまい、無事死にかける感じに似ている。

f:id:wandercspot:20210103181239j:plain
f:id:wandercspot:20210103181319j:plain

入館したらまずは砂防の解説ビデオでも見てってくださいね。説明パネルいっぱい貼ってあるけど、こっちのほうが5億倍わかりやすいです。

砂防ダム君がはてな君に説明する形で進んでいきますが、はてな野郎は「えーそんなの意味ないじゃーん」「本当にぃ?」とクソリプを延々と飛ばし続けるので、爽やかな苛立ちと殺意を感じ取れると思います。

f:id:wandercspot:20210103181649p:plain
f:id:wandercspot:20210103181338j:plain

(© OpenStreetMap contributors

展示内容は、富山県を縦断する常願寺川に移ります。

立山連峰から日本海へそそぐこの河川は暴れ川として名高く、頻繁に被害を起していました。右の写真は1880年代の災害記録を示したものですが、洪水が毎年恒例行事になっています。住民はもう筏の上に家を建ててキナギタウン化して良いのではないか。

f:id:wandercspot:20210103181355j:plain

富山県側も政府のお抱えオランダ人技師ヨハニス・デ・レイケさんを招聘。日本各地で30年間治水事業に携わったベテランですが、常願寺川の上流を視察したところ「(急流すぎて)もはやこれ川じゃなくて滝じゃね」「今の技術じゃ無理だな」とばっさり匙を投げました。諦めが良すぎる。

なお神通川の改修計画はやってくれたので無能カステラおじさん扱いするのはやめてさしあげろ。

 

洪水の原因は、常願寺川の上流 立山カルデラの軟弱地盤にありそうです。

①頻繁に崩壊しては河川に土砂が流れ込んでくる

②土砂が堆積して川底が浅くなる

③ちょっと増水すると河川から水がはみ出してビッシャビシャ。

というわけで土砂流入を抑えるための砂防工事が必要と考えられました

f:id:wandercspot:20210103181655j:plain

(赤木正雄さん)

富山県が1907年から工事を始め、1919年にやっとこさ砂防ダムが完成したのですが、土石流が発生して1年足らずで壊されました。1922年に復旧できたのも束の間、同年の豪雨災害で再びおじゃん。壊されるの早すぎ。ドリフのコントか。

もうダメぽ(死語)、、ということで富山県は国に事業をぶん投げまして、やってきたのが内務省の技術官僚で砂防専門家 赤木正雄。当時は砂防に明るい人材が全然おらず、海外留学から帰国して全国の砂防現場を駆けずり回っております。

f:id:wandercspot:20210103181511j:plain
f:id:wandercspot:20210103181410j:plain

このジャガイモおじさんが立山に着任し、8年間の工事を経て1939年に白岩砂防堰堤を完成させ、暴れ川問題に終止符を打ったのです。作ったものは管理しないといけないので、博物館のすぐ横にある国交省立山砂防事務所が業務を担っています。

赤木さんの功績は15分くらいのビデオで放送されているので時間があればどうぞ。

f:id:wandercspot:20210103181429j:plain
f:id:wandercspot:20210103181449j:plain

大きな列車が置いてあるのですが、砂防工事で使っている運搬用トロッコです。険しい山道に線路を敷いて、現場まで資材を運んでいくんですね。工事当時から今日まで80年以上も使われており、世界に類を見ない鉄道になっています。

f:id:wandercspot:20210103181549j:plain

勾配がめちゃめちゃキツいので箱根登山鉄道みたいにスイッチバックして登っていくわけですが、その数38回と凄まじいことになってます(箱根は3回)

路線図がこれですが、列車の線路とは思えませんね。小腸かな?

f:id:wandercspot:20210103181700j:plain

国交省 立山砂防事務所HP https://www.hrr.mlit.go.jp/tateyama/truck/index.html

このトロッコ立山砂防事務所の見学会で乗車できるのです。世界にも珍しい路線なので人気が高く、事前応募をして抽選に当たらないといけない。倍率は4倍だそうな。

また運行当日の天候次第でキャンセルされることも。山の天気は変わりやすいので、せっかく当選して遠方からはるばる来ても直前の土砂降りでパーになる恐れがあります。運ゲーすぎる。

 

というわけで強運の持ち主は挑戦してみてください。

おしまい

 

【滞在時間】90分

【混雑度】★★★(ちらほら)

【URL】立山カルデラ砂防博物館

原田泰治美術館

「日本の原風景」という言葉がよく聞かれる。
そういう場所に居たり育ったりしたわけでもないのに、なにか懐かしさを憶える風景が誰しもの心に眠っている。金色の稲穂が一面に広がる里山とか、開放的だが人気少なく寂しげな漁村とか、熱湯に突き落とされる出川哲朗を思い起こすと、「あぁこういうのが日本だよなぁ(お茶ズズー)」と感傷に浸れるわけです。

f:id:wandercspot:20201231144723j:plain

(『田植えの子供たち』1992)

原田泰治は、そうした原風景を半世紀にわたり続けている画家です。「田舎の風景描いてりゃ全員そうだろ」と思われそうですが、原田が表現する山里は丸っこさ・可愛らしさがあって、見る人を暖かく迎えてくれる。雪に埋もれた寒村の絵などもあるわけですが、過酷さよりも人々の暮らしを包みこむ穏やかさを感じさせます。

f:id:wandercspot:20201231144735j:plain

もう一つの特徴は、登場人物に顔が無いことです。情景描写をするのに人の表情って重要な情報になると思うんですが、お構いなく全員のっぺら。手を抜くんじゃない。
ただ手足や顔の向きなどの細かい描写で人々の仕草が生き生きと表されており、顔なんて描かなくとも空気感は伝えられることに気づくのです。

f:id:wandercspot:20201231144634j:plain

そんな原田さん、諏訪出身なので諏訪に美術館があります。
上諏訪駅から3kmあるので徒歩だとしんどい。1日6本程度という絶滅危惧種みたいな市民バスが一応ありますので、時間を合わせてどうぞ。

f:id:wandercspot:20201231144812j:plain

本人の写真。諏訪の高校を出て東京の武蔵野美術短大に進学。優秀な成績で卒業し、銀座のスタジオに就職というキラキラキャリアでしたが「通勤が辛い」ので数か月で退職。メンタル弱すぎて親近感がわく。
諏訪に戻ってデザイン業を個人開業。イラストも手掛けるようになり、“自分が生まれ育った信州の風景”を題材にしたところファンが増え、朝日新聞に依頼された風景画連載がヒット、テレビやラジオにも出演する有名人になりましたとさ。

f:id:wandercspot:20201231144755j:plain

信州の原風景画家なのに、髪型はなぜか60年代西海岸です。「絵を描くときに長髪が邪魔だから束ねている」とのこと。
しかしヒッピーみたいだなぁと思っていたら、親友のさだまさしは「ネイティブアメリカンの酋長」と火の玉ストレートな例えをしていた。原田の容貌から文明性を感じなかったのだろうか。

f:id:wandercspot:20201231144903j:plain
f:id:wandercspot:20201231144830j:plain

美術館の展示室は1Fと2Fにあり、ともに企画展です。撮影は禁止。50~60点はあったので、のんびり見ていると1時間。紹介ビデオも放映中。

f:id:wandercspot:20201231144652j:plain
f:id:wandercspot:20201231144707j:plain

エントランスに小さい車が置いてあるのは本人の愛車ですが、なんとブレーキは足ではなく手で操作します。
実は原田氏、1歳の時に小児麻痺を患って足が不自由なので歩行には杖が必須。ブレーキを踏めないので町の自動車工場に相談したところ、ハンドルを加工した手動ブレーキを作ったのだ。職人、天才過ぎないか。
原田はこの車を大事にし、50年も使い続けたそうな。50年!部品壊れたらメーカーの在庫とっくに無いと思うんですが・・まさか部品まで自作してたのだろうか。

 

そんな感じで、ほっこりした絵画に触れられる美術館でした。
おしまい

 

【滞在時間】1時間
【混雑度】★★★(ちらほら)
【URL】

www.taizi-artmuseum.jp

 

日本スキー博物館

スキーシーズンに野沢温泉に行くと凄まじい混雑で、ただでさえ狭い道路に大勢の観光客がひしめき合っている様はアメ横とか原宿の竹下通りにも劣らない。

「田舎の温泉街だから空いてそう」という知人の言葉を信じて行った数年前の私は迫り来る人波ビッグウェーブに飲み込まれ、千曲川下流で冷たくなって発見された。吉村と村田はダウンヒルの途中で息を引き取った。

f:id:wandercspot:20201222161132j:plain

(東京の野沢温泉こと原宿竹下通り)

それだけ野沢のスキー場は人気があって、2019年度には述べ34万人が訪れている。稼働時期は12月~3月のせいぜい4カ月だから、もし1年中雪が降り続けるなら34万×3=102万人。私の集客力は102万です。遊園地入園者数ランキング4位のとしまえん(112万)に近い数字だ。潰れてしまったので説得力皆無だが。

f:id:wandercspot:20201222161102j:plain

というわけでスキーの博物館があるんですね。”日本”スキー博物館と、国名を冠につけるとは大きく出たもんだ。しかし、この名前がまったく大袈裟で無いことを思い知らされるのです。
入館料は300円。

f:id:wandercspot:20201222161116j:plain

まず最初の展示室。ぐるっと1周、説明パネルやスキー用品・記念グッズで囲まれています。300円ならこれくらいのボリュームかと思ったところで、奥に続いている通路が目に入ります。まだあるのかな?

f:id:wandercspot:20201222160905j:plain

ありました。このサイズの部屋があと2つ+ビデオゾーン。結構広い。

古代から現在までのスキー用品を並べてあるのですが恐らく数百点ある。ゆっくり見てたらだいぶ時間かかりますね。

f:id:wandercspot:20201222161046j:plain
f:id:wandercspot:20201222160920j:plain

んで更に、最初の展示室の階下にも広がっているんですよ。ここが一番ヘビーで、「冬季オリンピックを第1回から全て振り返るコーナー」「各大会の記念グッズたち」「雪国で使われていた民具」「他のゾーンに分類できないものをまとめましたエリア」。

全部じっくりみたら2時間はかかる。これで僅か300円とはデフレの極み。日銀の黒田総裁が知ったら怒りのマイナス5000%金利発動する恐れがあるので日銀職員は教えないように。

f:id:wandercspot:20201222160834j:plain

じゃあ最初の展示室から軽く見てみますか。内容は野沢温泉スキー場の発展の歴史。
我が国にスキーが本格導入されたのが1911年ですが、野沢温泉には1912年とずいぶん早く伝わったそうです。当時のスキーはスポーツではなく、大雪でも使える交通手段として普及されたので、雪国の野沢でも必要だからこそ導入したんでしょうね。

f:id:wandercspot:20201222160721j:plain

とはいえスポーツとしての人気も高まったようで、1924年にはスキー場開設。
写真は当時のスキージャンプ練習のところ。人生\(^o^)/オワタ 式で飛ぶと芸術点が上がるのでしょうか。

f:id:wandercspot:20201222160736j:plain

1930年には世界的な指導者ハンネス・シュナイダー野沢温泉を訪問してスキー教室を開催。「銀嶺の王者」と呼ばれていたこの人はスーツ着用、ズボンは膝までたくし上げという摩訶不思議なファッションと温度感覚で地元を熱狂させました。寒くないの?

f:id:wandercspot:20201222160818j:plain
f:id:wandercspot:20201222160847j:plain

1949年に国体(写真左)、高度経済成長期でのスキーブーム、長野オリンピックではバイアスロン開催(写真右)と、国内有数のスキー場として地位を確立。ピーク時には100万人/年もの利用者があったそうですが、バブルがはじけてレジャー産業は爆死。利用者数も1/3以下まで落ちこんだものの、民間事業者を入れて奮起したことで40万人まで数字を戻しましたとさ。
wikiでは「村営だったころは団体客を優先したため個人客を逃し、そのあと団体客も来なくなった」とプギャー感を隠し切れない書き方で笑える。野沢温泉に恨みでもあるのだろうか。野沢菜が鼻に詰まって死にかけたとか。

f:id:wandercspot:20201222160934j:plain

冬季オリンピックの歴史コーナー。量が多すぎるので見るのは第1回大会だけね。
1924年にフランスのモンブランで開催されました。16か国出場したがノルウェーフィンランドが強すぎて他大勢ボコられる展開だったらしい。日本は前年に関東大震災が起こったため欠場、第2回大会で初参加しました。
写真真ん中の男性”ナチスの某男性”感すごいけど違います。選手宣誓のシーンです。宣誓!僕たち、私たち、戦争が好きだ。

f:id:wandercspot:20201222161001j:plain
f:id:wandercspot:20201222161015j:plain

最後に岡本太郎。全国どこにでも出没する妖怪みたいになってますが野沢温泉にも来てます。スキー大好きらしくて本まで書いてるんですね。このスキー板とお湯マークのデザインをしたそうです。

板の方はあまり奇抜ではないけど、お湯マークはどう見ても岡本太郎ですね。こんなデカい蜘蛛みたいな温泉があってたまるか。

おしまい

 

【滞在時間】40分

【混雑度】★(誰も居ない)

【URL】

www.nozawaski.com

 

志賀高原歴史記念館

三島由紀夫に『盗賊』という小説があって、志賀高原のホテルが舞台の1つなのね。主人公の男性がホテル内で会った女性に一目ぼれ。2人は楽しい時間を過ごし婚約までしたんだが、女性は完全に遊びのつもりで結婚する気は無かった。

絶望した主人公は、男に弄ばれた後こっぴどくフラれるという同じような経験をした別の女性と遭遇。2人は元恋人たちに復讐すべく、“幸福なカップルを装って結婚し、結婚式当日に心中する”。ホント、三島ってろくでもないな(呆れ)

f:id:wandercspot:20201209210242j:plain

んで、この建物が恐らくその(旧)志賀高原ホテルです。志賀高原は、日本政府が外国人観光客を呼び込んで外貨獲得しようとした国策リゾートの1つ。その中枢を担うホテルだったのだ。変態作家養成所ではありません。
1937年~1999年まで営業。現在は記念館として無料開放されています。11月~4月は冬季閉鎖らしいのでご注意ください。

f:id:wandercspot:20201209210121j:plain
f:id:wandercspot:20201209210136j:plain

(営業当時のお写真)
営業当時は56部屋、収容170名程度と山中にしては規模が大きかった。そのうち現存しているのはエントランス棟の一部だけ。三島がネタに使うくらいだからかなりの高級ホテルと思われる。
戦後は米軍駐留地にされた期間もありますが、1960年代後半以降のスキーブームにより相当賑わっていた。最盛期には19ものスキー場があった程ですからね。
なんで廃業したかって、そりゃバブルがはじけてスキーしてる場合では無くなったからです。

f:id:wandercspot:20201209210256j:plain
f:id:wandercspot:20201209210049j:plain

エントランス部分です。行ったの10月なんですが、普通に寒いですね。暖炉には火がくべてありました。
フロントには誰もいません。ただちょっと覗き込んだら小型ガスコンロ置いてあって、鍋と食べ終わったカップ麺が置いてあった。管理人、高級ホテルを実家のように扱うんじゃない。

f:id:wandercspot:20201209210103j:plain

フロントに、タイ宮廷料理レストランの案内が。でも朝食は中華なのか。宮廷料理人、もっと自国にプライドを持ちなさいよ。そんなんだから軍にクーデターを起さr(銃声)。
ググってみたんですが現在この店は存在しないようです。ホテル館内のレストランとして営業していたのかな。タクシン派だったので軍に消されたのかもしれません。当時の雰囲気をお楽しみください。

f:id:wandercspot:20201209210209j:plain
f:id:wandercspot:20201209210227j:plain

3F建になってまして、最上階まで上がれます。上に行くほど暖炉から遠ざかるので寒くなります。あと客室には入れません。
通路は広々としているし、ふんだんに置いてある剥製でホテルの風格を示しています。GoTo使っても良い値段しそうだな。一般庶民日本人は宿泊をためらい、そのぶん中国人が大挙するんですね。

f:id:wandercspot:20201209210319j:plain

猪谷千春と父)

館内展示は、日本人初の冬季メダリスト猪谷千春ネタが多かったですね。
両親ともにスキー選手なので2歳からスキー教育開始。より良い練習環境を求めて一家で各地を渡り歩き、最終的に志賀高原に落ち着いた。

特に父親が厳しい人で「直径30㎝の大木を切り倒す」「丸太に乗って山の斜面を滑走する」練習をしていたらしい。『巨人の星』の読み過ぎではと思ったが、猪谷家の方が20年ほど先だったのでこちらが本家です。

f:id:wandercspot:20201209210154j:plain

あと館内にカフェもあります。
記念館のHPは無いんですが、カフェのHPはあるんですよね。普通逆では。
メニューの「カリッふわトースト」、HPの写真みたら食パン1斤の上にバターが乗せられていた。豪快過ぎる。猪谷家では朝食にこれを食べきらないと罰として熊と戦闘だったのかもしれない。

 

おしまい

 

【滞在時間】30分
【混雑度】★★(他に数人)
【URL】志賀高原カフェ Shiga kogen cafe

 

真田宝物館、真田邸

(幸村要素は)ありません。
長野市の松代は真田の城下町ですが、真田信之(幸村の兄)の家系なのです。幸村と比べると信之は地味なので一般人には知名度が低く、「ロザンの宇治原じゃない方」「横浜駅きた西口」などと親しまれていましたが、『真田丸』で大泉洋が演じたので多少は名が広まったのだろうか。
真田って字だけでホイホイ付いてきた幸村厨は、反省して九度山に籠っているとよろしい。

f:id:wandercspot:20201207150909j:plain

(私の九度山イメージ)


真田家が慣れ親しんだ上田から松代に転封されたのは1622年。2代目将軍 秀忠は1600年の上田合戦で真田家にボッコボコにされたことがあるので、その恨みで真田家を上田から引き剝がした説があります(『松代藩現代書館)。
22年も経っているのに未だ恨んでいるとは陰険すぎるぞ2代目。現代に生まれたら気に入らないクラスメートの上靴を隠すタイプに違いない。

f:id:wandercspot:20201207150539j:plain
f:id:wandercspot:20201207150606j:plain

そのまま真田家はずっと松代に残り、明治維新まで200年以上統治しました。伝来の武具とか調度品とかいっぱい残っているので宝物館で自慢しています。
真田家の歴史を知らない方がぽか~んとならないよう、まとめコーナーもあるから学習しよう。
松代駅バス停から徒歩5分。入館料は600円と少しお高めですが結構館内広かったりする。

 

展示品が多いので印象に残った物だけ。
信之以降の松代藩主で最も有名なのは8代目の幸貫(ゆきつら)。外様大名ながら老中に抜擢され海防を担当。現代で言うと長野市長がいきなり防衛大臣になる大出世でしょうか。とりあえず田中康夫よりは凄い。天才だけれど行く先々で炎上事件を起こす佐久間象山を飼いならせる唯一の人という評判も(たぶん)あります。

f:id:wandercspot:20201207150552j:plain
f:id:wandercspot:20201207150703j:plain

その幸貫さん、政治以外でも多才だったようで絵画や工芸品を残してるんですね。
これは藩の御殿を描いたもので、どういう施設が当時あったのか重要な資料にもなっています。
右の書物は老中に就任して以降の日記で、日々の仕事内容を細々と記しているそうな。記録大好き人間か。アルバム編集委員に任命しよう。

f:id:wandercspot:20201207150633j:plain
f:id:wandercspot:20201207150648j:plain

焼き物の香合(こうごう)。お香を中に入れて茶室に置くんだそうな。小さくて可愛らしい出来栄え。同じ防衛大臣でも河野太郎は絶対作らないし眉間で砕いてしまうだろう。
ちなみに河野太郎は激烈な音痴であるのに声は凄まじくデカいので、「カラオケで2曲以上歌うこと」が神奈川県条例で禁止されていると知って吹きました(wikiより)

f:id:wandercspot:20201207150716j:plain

これは幸貫の息子の嫁の嫁入り道具。着物・・のわりにかなり分厚いように見えますが、なんと寝具で掛布団として使うそうな。可愛らしい色柄ですが胴体部分が細いので、寝相が悪いと布団からはみ出して無事冷え性になると思われる。ひえ~。

f:id:wandercspot:20201207150620j:plain

真田信吉から真田信重あての書状。信吉は信之の長男、信重は三男だろうか。
手紙の内容は「雨が降って暇だから囲碁しようぜ」。磯野と中島か。
これにて宝物館はおしまい。

f:id:wandercspot:20201207150730j:plain
f:id:wandercspot:20201207150743j:plain

おまけですが宝物館のすぐ近くに「真田邸」なる屋敷があります。1862年に参勤交代が緩和されて江戸に囚われていた大名の奥方らが帰郷できるようになったので、新居として建てたものです。
維新後もずっと真田家の末裔が使っていたのですが、1966年に行政に移譲されたのだ。
入館料は400円。

f:id:wandercspot:20201207150757j:plain
f:id:wandercspot:20201207150826j:plain

中は普通に武家屋敷って感じで、博物館的な展示はあまり無し。
公的行事を行う空間と私的な家族空間という2つの要素を持っており、両者が繋がるところに杉戸が設置されて隔てているのだ。異空間へつながる扉、格好いいな(中二)

f:id:wandercspot:20201207150810j:plain
f:id:wandercspot:20201207150855j:plain

あとは広大な庭園が良いですね。中には立ち入れず、縁側に座って鑑賞するスタイルです。左はゴルフ場っぽい写真になってしまったが、松代を表す松の木と四季折々の草花が植えられてお洒落なひとときです。

 

おしまい

 

【滞在時間】真田宝物館:40分。真田邸:20分
【混雑度】★★★(ちらほら)
【URL】真田宝物館