C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

真田宝物館、真田邸

(幸村要素は)ありません。
長野市の松代は真田の城下町ですが、真田信之(幸村の兄)の家系なのです。幸村と比べると信之は地味なので一般人には知名度が低く、「ロザンの宇治原じゃない方」「横浜駅きた西口」などと親しまれていましたが、『真田丸』で大泉洋が演じたので多少は名が広まったのだろうか。
真田って字だけでホイホイ付いてきた幸村厨は、反省して九度山に籠っているとよろしい。

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(私の九度山イメージ)


真田家が慣れ親しんだ上田から松代に転封されたのは1622年。2代目将軍 秀忠は1600年の上田合戦で真田家にボッコボコにされたことがあるので、その恨みで真田家を上田から引き剝がした説があります(『松代藩現代書館)。
22年も経っているのに未だ恨んでいるとは陰険すぎるぞ2代目。現代に生まれたら気に入らないクラスメートの上靴を隠すタイプに違いない。

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そのまま真田家はずっと松代に残り、明治維新まで200年以上統治しました。伝来の武具とか調度品とかいっぱい残っているので宝物館で自慢しています。
真田家の歴史を知らない方がぽか~んとならないよう、まとめコーナーもあるから学習しよう。
松代駅バス停から徒歩5分。入館料は600円と少しお高めですが結構館内広かったりする。

 

展示品が多いので印象に残った物だけ。
信之以降の松代藩主で最も有名なのは8代目の幸貫(ゆきつら)。外様大名ながら老中に抜擢され海防を担当。現代で言うと長野市長がいきなり防衛大臣になる大出世でしょうか。とりあえず田中康夫よりは凄い。天才だけれど行く先々で炎上事件を起こす佐久間象山を飼いならせる唯一の人という評判も(たぶん)あります。

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その幸貫さん、政治以外でも多才だったようで絵画や工芸品を残してるんですね。
これは藩の御殿を描いたもので、どういう施設が当時あったのか重要な資料にもなっています。
右の書物は老中に就任して以降の日記で、日々の仕事内容を細々と記しているそうな。記録大好き人間か。アルバム編集委員に任命しよう。

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焼き物の香合(こうごう)。お香を中に入れて茶室に置くんだそうな。小さくて可愛らしい出来栄え。同じ防衛大臣でも河野太郎は絶対作らないし眉間で砕いてしまうだろう。
ちなみに河野太郎は激烈な音痴であるのに声は凄まじくデカいので、「カラオケで2曲以上歌うこと」が神奈川県条例で禁止されていると知って吹きました(wikiより)

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これは幸貫の息子の嫁の嫁入り道具。着物・・のわりにかなり分厚いように見えますが、なんと寝具で掛布団として使うそうな。可愛らしい色柄ですが胴体部分が細いので、寝相が悪いと布団からはみ出して無事冷え性になると思われる。ひえ~。

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真田信吉から真田信重あての書状。信吉は信之の長男、信重は三男だろうか。
手紙の内容は「雨が降って暇だから囲碁しようぜ」。磯野と中島か。
これにて宝物館はおしまい。

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おまけですが宝物館のすぐ近くに「真田邸」なる屋敷があります。1862年に参勤交代が緩和されて江戸に囚われていた大名の奥方らが帰郷できるようになったので、新居として建てたものです。
維新後もずっと真田家の末裔が使っていたのですが、1966年に行政に移譲されたのだ。
入館料は400円。

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中は普通に武家屋敷って感じで、博物館的な展示はあまり無し。
公的行事を行う空間と私的な家族空間という2つの要素を持っており、両者が繋がるところに杉戸が設置されて隔てているのだ。異空間へつながる扉、格好いいな(中二)

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あとは広大な庭園が良いですね。中には立ち入れず、縁側に座って鑑賞するスタイルです。左はゴルフ場っぽい写真になってしまったが、松代を表す松の木と四季折々の草花が植えられてお洒落なひとときです。

 

おしまい

 

【滞在時間】真田宝物館:40分。真田邸:20分
【混雑度】★★★(ちらほら)
【URL】真田宝物館

 

象山記念館

佐久間象山って何した人?」とは答えにくい質問ですな。薩長を繋いだ坂本龍馬とか江戸開城させた西郷隆盛のような、分かりやすい成果が無い。数打ちゃ当たるで発明品数は多いドクター中松の方がまだ分かりやすい。
というかグーグル検索民、ドクター中松を勝手に殺すんじゃない(存命です)

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激動の幕末期にあって先見的な視点を持った思想家だったそうです。

幕府の中枢部で海防政策したこともあれば、私塾で門人を多数抱えてその中に吉田松陰勝海舟坂本龍馬など大物がいたことも!勝海舟なんて妹が象山の妻になっている。。のだが、勝は象山のことを「随分軽率のチョコチョコした男」とボロクソに評している。妹の身にもなってくれ。

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晩年は一橋慶喜や皇族に請われて興国論を説きに京都へ出かけたり、各藩の有力者と意見交換するなど、維新の中心に近い立ち位置だったんですが、攘夷派によって暗殺されちゃうんですね。生き延びていれば開国後の日本を導く政治家として、板垣退助とかより重要人物となったかもしれない。

 

と思ったけど、性格に難ありなエピソードが多いので、戦乱の時代こそ輝く人物だったのかもしれません。
「隣人夫婦の喧嘩の仲裁に呼ばれたが話しているうちに象山がブチギレてしまい、慌てた夫婦に逆に宥められた」「密航を犯した吉田松陰と共に師である象山も捕らえられた際、松陰はさっさと謝って終わらせるつもりだったのに象山が幕府の官吏に喧嘩を売りまくったせいで死刑にされかけた(自宅蟄居9年にもなった)」
乱世の奸雄・治世のクレーマーである。

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そんな幕末の志士達に影響を及ぼした人物が松代出身なので記念館があるわけです。
松代駅バス停から徒歩10分。入館400円。
展示物は象山の一生の紹介、本人の遺品。展示室はこの部屋と、通路を挟んでもう1部屋。所要30~40分ってところ。

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部屋の中央に鎮座している象山どの。身長は186㎝あったらしい。当時の平均身長は160㎝程度と言われているので、現代に当てはめると196㎝だろうか。もはや電柱である。
いかつい表情してますが、放つオーラが凄まじかったらしい。黒船ペリーが来航した際、象山も現地に見に行きましたが、そこで象山を見かけたペリー、ビビってしまって思わず頭を下げて立ち去ったそうな(童門冬二佐久間象山 幕末の明星』 より)

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展示品ですが撮っていい奴とダメな奴があった気がする。撮って良いのだけ撮ったつもりですが違ってたらメンソーレ。
象山がやっていた私塾に掛けていた額縁で「海舟書屋」と書いてある。意味は不明。これを塾生だった勝海舟が見て、「海舟」を自分の号にしたんだと。
妹が嫁いでいるし号もそうだし、勝さん象山と仲悪いようには思えないのだけれど、どうしても気に食わない点があったのだろうか。トイレの便座を上げっぱなしにしない、とか。

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象山が幕府勤めをしていた際、献策した「海防八策」。象山は松代藩に勤務していて、藩主の真田幸貫が幕府の海防担当になったので、一緒に江戸に付いてったんですね。
近代的な海軍編成を訴えるこの提案書を提出したのだけれど、幕府では採用されませんでした。たぶん横に長すぎたので誰も読まなかったのだと思う。

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探求心の強い象山は発明品にも挑戦していて、ガラスや電信に医療機械、漢方薬やワイン醸造も試していました。特に電信機は日本で初めて実験に成功したのです(左)。
地震予知機なんてのも作っています(右)。磁石に400g弱の重りを付けておき、地震が近づいてきて“気が満ちる”と重りが落ちて知らせてくれます。すごいね!電信づくりで培った科学的な姿勢、どこにぶん投げてしまったのか。

 

大砲鋳造もしてたんですけど、試射をミスって寺の池に着弾させて盛大に破壊したり、大砲自体が爆発四散したこともありました。中国製かな?
寺の事件はそこが幕府直轄地だったので大問題になりましたが、象山は誤射を認めず「大砲の弾が池にあった?その辺のガキが持ち込んだんだろ」と子供のせいにする畜生っぷりを披露。

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書画も出来る人で、水墨画を何点か残しています。独学で極めたらしい。山の頂上がサボテンか爆撃後のキノコ雲に見えたり、木々がブロッコリーっぽい。どこのユーキャンで学んだのかな?

 

とまぁ、こんな感じの象山グッズが見られるのでした。

おしまい

 

【滞在時間】30分

【混雑度】★★(他に2~3人)

【URL】象山記念館 - 信州松代観光協会ホームページ

 

松代象山地下壕

1944年7月サイパン陥落。米軍による本土攻撃の可能性が現実味を帯びた大日本帝国は、海岸線に近い東京に首都機能を置いておくのは危険と判断。大本営・皇居・政庁の内陸移転を検討する。
選ばれたのが、信州の松代(現 長野市)であった。
その理由は・・「信州は神州に通じるから」。は?

 

いや他にも理由はあるわけだが、これはマジです。落ち着いて欲しい。
当時の大本営は本気で「信州人は純朴で人情に篤いから、天皇陛下の御座所に相応しい」「松という字は縁起が良い」として松代を選んでいるのだ。
占星術でスタメンを選んでいたサッカーフランス代表ドメネク監督でも、国を任されたときはもう少しマシな手法を思いついたかもしれない。

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というわけで松代の山中、10kmに渡る地下壕をブチ抜いてそこに皇居や政府機関を置こうとしたのだ。帝愛の地下シェルターどころじゃない。全工程の8割が完成したが、工事は強制終了となった。終戦を迎えたから。


他の軍事施設もそうだが、進駐軍にバレないよう関係資料は片っ端から破棄されたので地下壕建設の記録は殆ど残っていない。たださすがに東京ドーム半分ほどの面積がある地下壕を埋めるなんてことは(阪神ファンならやるかもしれないが)できませんでした。

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それを戦争の遺構として保存し、一般公開しているのです。
松代駅バス停から徒歩15分。入場は無料。
ちなみに一連の施設で「大本営舞鶴山地下壕跡」というのが近くにあるのですが、そちらは外から見るだけでトンネル内には入れません。

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トンネル内のマップ。
さっき書いたように全長10kmもあるんですが、一般公開は500mのみ。他の部分はおそらく予算の都合で落盤防止処理とかされてないのでは。スネークしたいなら止めはしないが、終戦後70年ぶりに殉死者名簿が更新されるであろう。
しかし往復1kmあると思うとこれでも長いやね。

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では入坑しますか。
観光用の鍾乳洞と違って戦時遺構だから、小さい落石の恐れも0では無いので、ヘルメット着用です。

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中は鍾乳洞と一緒で涼しいですね。ライトが設置されているので暗くはないです。
公開用通路以外にはフェンスが張ってあり立ち入りできません。侵入したとしても明かり無さそうなので、漆黒の闇の中を手探りで彷徨う羽目になりそう。コウモリのおやつになりたくなければスネークは控えた方が良い(現地にコウモリはいませんでした)

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当然ですが戦時中はシールド工法どころか重機すら無いので、手掘りだそうな。岩壁が荒くデコボコしてるのはそのせいでしょう。
松代が選ばれた理由の1つに、この山の岩盤がめちゃめちゃ強固で銃撃されても耐えられる、という点があった。そのクソ硬岩盤を労働者1万人動員して、12時間交代制で突貫工事させていたのだ。帝愛がホワイト企業に見えてきたな。

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労働者の待遇については、建設時の記録が残っていないので、実際に働いていた人の証言のみ。
地下壕の近くにある山寺常山邸という施設の展示資料によると、
「ダイナマイトの不注意で死者はしょっちゅう」「多い日は1日6人が死んだ」「飯場の葬式に25~6回いった」。とりあえず地獄だということは分かった。
また朝鮮人労働者がずいぶん駆り出されていたようで、これが「強制労働だ」「いや自分から申し出たんだ」と、いつもの話になっている模様。

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掘削現場が生々しく残っている部分もあって、天井にロッド(棒)が突き刺さっていたりする。岩盤を掘る時、この削岩機ロッドを岩に突っ込んで穴を開け、ダイナマイトを仕掛けて発破するそうですが、爆発の衝撃で岩から抜けなくなったロッドが結構あります。

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坑道内にはトロッコを敷いていて、線路の枕木跡を見られます。掘り出された石くずをトロッコに乗せて手押しで搬出してました。想像するだけで疲れる。

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そんな遺物はいくつかあるんですが数は少ないので、基本は暗い坑道内を淡々と歩くことになります。回りに誰も居ないと、自分の足音しか響かなくなる。無の世界。耐え切れず「ぬわああああぁぁ」と発狂して叫びそうになったが恐らく入り口付近の人には聞こえてしまうので止めておいた。
そしてここが終点です。あとは引き返して終わり!

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ところでこの大本営計画、戦時中は皇室に知らされてなかったらしい。戦後になって昭和天皇が松代を訪れたときのコメントが「この辺に戦時中、“無駄な穴”を掘ったところがあるというが」。不謹慎だが大本営必死の大工事が「穴」の一言で切り捨てられてて笑ってしまった。

 

おしまい

 

【滞在時間】30分
【混雑度】★★★(ちらほら)
【URL】松代象山地下壕 - 長野市ホームページ

 

エビスビール記念館

アサヒスーパードライ 198円
キリン一番搾り 205円
プレミアムモルツ245円
エビス 245円
近所のコンビニで売られているビール1缶の値段です。「エビスとプレモルは高級酒」と職場の同僚が言っていたが、50円の差はビール界、、というよりお小遣い制の家庭では生き死にを争う問題らしい。第3のビールしか許されない家ではマッチを擦ると炎の中に恵比寿様が浮かんで見えるとか(翌朝冷たくなって発見される)

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緊縮財政のご家庭でも、エビスビール記念館に来た時くらいは許してもらえるでしょう。有料だけれど試飲バーがあるのです。
展示室でエビスの歴史を概観し、ビール製造者の奮闘とこだわりを知った後は誰だって1杯飲みたくなるはずであり、奥様もその時くらいは慈悲深い弁財天に。

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入館料は無料。コロナのため入場者制限があり、土日だと少し待つかもしれませぬ。
受付を抜けると、高級ホテルのロビーのような、洗練された優雅な空間。アルコール目的でホイホイ入館した不心得な精神を叩き直すのです。

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では展示室でエビスビールの歩みを見ますか。
横浜に醸造所が誕生した1869年から日本ビール史が始まるわけですが、エビスの発端は1887年日本麦酒醸造会社の設立。
畑や山林だらけの現 目黒区に近代的な醸造所を立ち上げたのだ。突如こんな建物できて近隣住民ビビったろうな。西部開拓時代のアメリカみたいな絵面である。

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記念すべき最初のエビスは1890年販売。
ただ当時のビール1本の値段は20銭で、かけ蕎麦が2銭だった。10倍の差。今で言うと、駅そば1杯400円として、ビール1本4,000円となる。「とりあえずビール」なんて言ったら反感を食らい、口一杯に大麦を詰め込まれてしまうだろう。

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そこでエビスが銀座に開設したのがビアホール。工場から作りたての生ビールを直送してキンキンに冷やしたジョッキで提供したのだ。大評判になり連日満席。ビールの普及が進みましたと。
それでも500mlで10銭したらしい。さっきの計算だと2,000円。口に詰め込まれるのが大麦から小麦に変わったくらいかもしれん。

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ビアホールではおつまみも提供されましたが、人気商品はおでんとか大根スライス。和風ゥ!これはビールより日本酒では。
まぁソーセージなど肉製品はまだ広まってなさそうだからね仕方ないね。

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売上好調のエビスさんは、ビール輸送専用の貨物線まで工場に引いてしまったようです。これが後の恵比寿駅に繋がります。
すると周辺の地名も恵比寿に改称されたのだ。企業名が地名に影響を与えるケースは時折ありますね(川崎に“東芝”が付く地名がある)。

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好調そうなエビスさん(日本麦酒)ですが、1906年に札幌麦酒(サッポロ)、大阪麦酒(アサヒ)と合併して大日本麦酒(株)を誕生させます。これで市場シェアはなんと7割に。独禁法違反では。
wikiによると、仕掛け人はエビスのボス馬越恭平。「国内ビール市場は過当競争であり、また輸出を促進するために必要だ」と政府を説いて実現させたとのこと。
国益を持ち出しつつ大資本同士で提携。自分は安全な立ち位置を築いておきながら、対立していた中規模ビール会社を何社も吸収していき、市場は大日本麦酒とキリンの2強状態、、というか他に居ない感じになります。せこい、さすが資本家せこい。

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そんな大手ビール会社も強制イベント「第二次世界大戦」で大打撃。物資不足の深刻化、また贅沢品と見なされたのでしょうか、製品規格が統一化され、オリジナルブランド製造が出来なくなりました。
エビスのラベルは剥がされ、代わりに用いられたのがこちら。ま、、まずそう(まずそう)。消毒用アルコールが入ってそう。

 

戦後になると大企業解体の流れで、大日本麦酒(株)も2社に分割。現在のアサヒとサッポロになります。。。。あれ?
・合併時:エビス+アサヒ+サッポロ⇒大日本麦酒
・解体時:大日本麦酒⇒アサヒ+サッポロ
エビスはどこに行ったのかしら。。

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なんとエビスビールは消えてしまいました。残念!
ちなみにサッポロビールのHPを見ると、「日本麦酒(エビス)はサッポロの前身です」とある。いや君らの前身は札幌麦酒醸造所だからそれは経歴詐称では。
むむ、これは戦後のどさくさに紛れて旧サッポロ勢がエビス乗っ取りを企てたに違いない。あるいは、合併時に旧エビス社員は全員殺されており、サッポロ社員が成りすましているとか。つまり犯人は・・!(このあと小学生に背後から麻酔針を撃たれる)

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というわけでエビスビールという商品は無くなってしまったのですが、戦前の人気銘柄なので支持層も多数おり、1971年にサッポロビールより再販売されるのです。
戦前でも本場ドイツの味を表現できていると外国人からも好評でしたが、ドイツ産のホップ使用・長期熟成で円熟した味わいを造りだし、高品質でお客さんの期待に応えましたとさ。めでたしめでたし。

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というエビスの紆余曲折を見終わった後で、お楽しみの試飲バーへ。客席キャパが少なめなので並びます。私が行ったときは館内自体は混んでいなかったけれど、バーは30分待ちでした。

1杯400円で6種類のビール、1種類のビアカクテルから選べます。

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来たのがこれ。試飲というか完全に乾杯するボリュームじゃないか。
普段ビール飲まないので相場わからないのですが、観光施設で400円でこれならだいぶお得では。
おつまみも売ってまして、展示室で見たおでんセットもメニューにあります。なので完全に飲み会モードに入ってしまったお客様も。30分待ちになった理由がよく分かったよ(30分の利用制限があるので、永遠に並びっぱなしは無いです)

 

おしまい

 

【滞在時間】120分(バーで50分)

【混雑度】★★★(そこそこ)

【URL】

www.sapporobeer.jp

 

ハーブ庭園 旅日記 勝沼庭園

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ハーブを中心に色とりどりの花々を楽しめるガーデン、なのだがサジェストで怪しまれていて笑った。槇原敬之伊勢谷友介が買い付けにでも来たのかな?

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いいえ、普通に観光地です。
そこそこの敷地規模、広い駐車場、入場無料、お土産もあるのでツアー御一行さま絶好の休憩スポットである。行ったのは9月なんですが、観光バスがひっきりなしに来てました。
自動車で行くとは軟弱者が!という方は勝沼ぶどう郷駅から甲州市民バスぶどうコースに乗車、「等々力公民館前」から徒歩10分です。1日に3本しか無いので帰りはタクシーですけどね(結局車)

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まずは園内のガーデンを散策。結構広くて、ゆっくり回っていると20分はかかる。
200種類ものハーブが植生とのこと。それだけではハーブ単騎掛け野郎になってしまうので季節の花々も置いてます。このときはコスモス多めでした。

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採取したハーブでオリジナル化粧品を作っております。化粧水・石けん・スキンミルクなど。
園内の数か所に置いてあって自由にお試し可能。ただ消毒液ジェルを併用すると全てヌルヌルして分からなくなるので、「ハーブハーブ羽ー生…ブツブツ」とハーブ意識を高めていくと違いを感じられ、竜王戦に勝てます。

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巨石モニュメントが目立つんですが、石和温泉にある「宝石庭園 信玄の里」という施設と同じグループらしいんですね。あちらでも大規模敷地に宝石や岩石ばんばん並べて石の庭園にしているので、そこから流れてきた石ではないかと推測。
ただ売店の人に聞いたら「そういや同じ会社だねぇ。知らんけど」とそっけない回答。合併後のみずほ銀行みたいな内部対立でもしてるのかしら。

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池ではアヒルさんや鯉が泳いでいて、鯉にはエサやりできるのです。
しかしコロナ媧での来客減からか空腹だったようで、投げ込んだ瞬間この有様。岩の上に登りかけてた鯉もいたからね、怖いわ。飢餓状態すぎる。ハーブを食べれば苦痛を忘れて幸せになれるんじゃないかな(違法)

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室内に入ります。ガーデニング用ハーブの売店です。
面白かったのがステビアという種で、葉っぱをちぎって口に含むと甘味が広がるのだ。砂糖の200倍の甘さでカロリーほぼ0。サンドウィッチマンに教えてあげたい。

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もう一つの売店はお土産用のハーブ製品やお菓子がメイン。カフェもあってハーブティを楽しめます。
「世界で2番目に美味しい」というソフトクリームも。すまない、ツッコミ待ちは帰ってくれないか。ラズベリーアイスだったと思う(忘れた)
たしかに美味しかった。世界で2番目かもしれない。でも2位タイが5,000個くらいあるかもしれない。

 

おしまい

 

【滞在時間】1時間
【混雑度】★★★★(すぐ横に人)
【URL】

herb-teien.com