C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

飯田市美術博物館

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飯田市の美術館&博物館です。略称は「美博」らしい。化粧品か。

美術館は日本画菱田春草をメインで扱ってます。美術館:博物館=1:2くらいの割合。プラネタリウムも併設。

入館料は310円。飯田駅から徒歩20分ほどです。

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まずは博物館の方から。古代生物の標本がお出迎えです。飯田で発掘された恐竜だと思ったら、実はぜんぜん違う地域のものだと知ってずっこける。左側でのっしのっししているスピノサウルスは和歌山&群馬産です。

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こちらは2体の動物が争っている面白い化石です。肉食性のヴェロキラプトル vs 草食性のプロトケラトプス。相手の足に激しくかみついております。

しかしこれも中国北部で見つかったもの。そしてレプリカです。恐竜たちは飯田へは移住しに来なかったのかな?JR飯田線が使いづらいので敬遠されたのかもしれません。

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自然展示室はジオラマが大きくて本格的。伊那に生息する様々な生物の紹介です。

伊那の標高は最高地点で3,000m、最低で200mとかなりの差がある。低地のものから高山植物まで幅広くそろえています。

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ジオラマの中、なにか小さい物がぶら下がっている。よく見てみたら、、クモ?細かいところ凝ってますねぇ。森の中を歩いていると知らずに糸が頭に絡みつく感じ、思い出してしまうので止めていただきたい(真剣)

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チョウチョは日本の種の半数が伊那で見つかるそうです。飯田で発見された新種もいるのだ。「クロミドリシジミ」。すごい!希少種!って言っても、目の前に現れたら気づかずに倒してしまうと思う。だって蛾なんだもの(直球)

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蛾には申し訳ないが、もっと大事にしてあげたいのがライチョウ。伊那周辺の中央アルプスでは50年ほど前に全滅し、今や北アルプス南アルプスの一部にしか生息しない。

ただ2019年に別の山から飛んできた1羽のメスが住みついており、この子に別のライチョウの卵を育てさせて、中央アルプスライチョウ復活作戦を環境省が主導しています。

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ライチョウの隣にキツネの標本が置かれていました。ライチョウの雛が全滅したのはこいつが食べたからなんですけどね。皮肉な配置になっております。

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自然の次は人文ゾーン。飯田の民俗や祭祀文化を紹介しています。

中でも目立つのが、右のドデカ獅子舞くん。正式名は「東野大獅子」といい、7年に1度しか行われない飯田お練り参りに登場します。

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この祭りではデカい獅子舞で町内の厄払いをするそうです。しかし昔の獅子舞、デカすぎないか・・。全長25m、中の人は20~30人。当時の若者衆が「奇抜な出し物を!」って作ったらしい。神事が大学の学園祭みたいになっている。

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奇抜なものと言えば、こちらの竜の屋台も結構な大きさです。本来は2層・3層と出し物が乗っかり、結構な高さがあったそうですが、町中に電線が設置されると、それにぶつかって危険だというので倉庫ベンチを温める日々になりました(完)。ドラゴンも電気通信には勝てませんねぇ。ネット出来なくなっちゃうからね。

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別の祭りでは「オトコガミ」「オンナガミ」という人形を作って担ぐそうですが、どう見ても卑猥です本当にありがとうございました。

とくにオトコガミの方は形が無駄にリアルなのでPTAに見つからないといいですね。

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飯田の名産品です。左が元結、右が水引です。水引は引出物で見たことある方が多いと思いますが、元結は和紙を幾重にも束ねて頑丈にしたもので、髪結いに使用します。

飯田では楮(こうぞ)という桑科の植物を栽培しており、これを和紙にして加工し、商品に仕立てています。良質なので、全国の生産量7割を占めるらしい。

ちなみにJR飯田駅の真正面にも、これらのお土産店があります。私はそこにコンビニを置いて欲しかったよ(最寄りのファミマはもうちょい先)。

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ところで博物館、展示のすぐ横にモニターが置いてあって、近づくと自動で映像が流れ始めるのです。分かりやすいビデオで、展示に関するイメージを広げることができます。意外と先進的だなぁ(失礼)。

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最後は美術館。日本画菱田春草(1874-1911)が飯田出身なので、この人をメインに据えています。というか、この人以外の作品は無かった。

明治時代、日本画改革に取り組んだ岡倉天心の弟子で、横山大観や下村観山は友達。

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(『黒き猫』)

ネコを描いた作品が幾つかあったので、ネコ大好きマンなのかもしれない。

伝統的な日本画のテーマを用いながらも西洋的な写実性を取り込んだり、横山大観と一緒に新たな画法「朦朧体」を推し進めたりと革新的スタイルでした。そのため画壇には評価されず、私も美術館で見た解説をそのまま書いているだけです()。

 

若干37歳で病死してしまい、横山大観は「春草が生きていれば自分の絵は10年分進歩した」とその死をかなり惜しんでおります。まぁあんたは1日1升の酒を飲んでいたにもかかわらず90近くまで生きてますからね。

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というわけでした。建物自体もなかなかオシャレで近代感あるので注目してどうぞ。

また他に「柳田国男館」「日夏耿之介記念館」という2つの施設が敷地内にあるのですが、長くなるので別の記事にします。

 

おしまい

 

【滞在時間】60分

【混雑度】★★(他に数人)

【URL】飯田市美術博物館 | IIDA CITY MUSEUM

 

川本喜八郎人形美術館

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人形劇だいすき飯田市の、人形特化型美術館です。

川本喜八郎(1925-2010)は人形劇アニメの大家で、NHK『人形劇 三国志』『平家物語』、その他アニメやCM制作多数。この人が飯田市に多くの人形を寄付したので、それを展示しています。

飯田駅から徒歩15分、入館料は400円です。

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(画像は川本喜八郎 - Wikipediaより)

川本さん自身は人形自体も作品も作るらしい。日本アニメーション協会名誉会長。協会HPを見たら手塚プロダクションやらデジモンやおしりかじり虫の製作者がいた。強そう。

別に飯田市出身でも何でもないのだが、飯田で毎年開催している人形劇イベントに参加した際に地元住民の熱意に感化されて、この地への人形寄贈を決めたんだそうな。

www2.nhk.or.jp

代表作『人形劇 三国志』。NHKで1982~84年と長期放送されました。↑のリンク先から映像の1部を見ることができます。全68話。

登場人物アホほど多いので人形制作は凄まじい労力だったと察せられる。また声優が必要ですが、100人単位で集めるなんてジブリですらやらないと思われ、そのため10人の声優で担当したようです。1人7~8役。ヘリウムガスでも使って声を変えたのかな?

森本レオは、諸葛孔明呂布曹丕・許褚・呂蒙・ゴードン・夏侯惇などを担当しました。

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三国志人形たちの大半がこの美術館に寄贈されたので、それが売りになっております。館内は撮影禁止ですが、入り口にある諸葛孔明だけOKでした。

劇の本編みてませんが、ストーリーは蜀中心で、吉川英治三国志寄りらしいです。ということは横山光輝の漫画とも流れは同じ。むむむ。

オリジナルキャラとして呂布の弟が出て来たり、関平が生き残って戦い続けたり、島田紳助が司会進行したりするそうです。

展示室には三国志の人形たちが60体、それ以外の作品で20体ほど。

序盤のキャラがかなり豊富で、何進とか蹇碩とか盧植先生まで揃ってたのは驚き。三國無双しか知らない勢はポカーンだと思う。徐庶の母まで居たのは笑った。

ちなみに川本さんお気に入りキャラは曹操だそうですが、そのためか曹操人形はいろんな展示会に引っ張りだこにされて色褪せちゃったそうです。天下人は苦労しますねえ。

 

おしまい

 

【滞在時間】40分

【混雑度】★★(他に数人)

【URL】飯田市川本喜八郎人形美術館

 

竹田扇之助記念国際糸操り人形館

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飯田市は「人形劇のまち」だそうです。江戸時代には20以上の人形座があり、専用舞台も作られました。明治~昭和初期に衰退したものの、地域や学校で人形劇クラブを結成し、伝統芸能を継承しつつ今に至っています。

そして「20世紀最高の人形劇人7名」の1人である(らしい)竹田扇之助がこの地域出身なので、功績を讃えたりコレクションを展示する資料館を作りましたと。

 

元善光寺駅から徒歩15分。入館料は400円です。

また隣に「旧座光寺麻績学校」という、歌舞伎舞台と学校を兼ねる謎の足し算をした校舎が保存されています。

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竹田人形座 - 飯田市ホームページより)

館内には人形劇で用いられる人形が展示されています。人形の手足や顔に糸が付けられれており、その糸を上から操って動かすのです。

館員さんが実演してくれますが、見ての通り糸が大量にあるので、かなり難しそう。1本隣の糸を引いてしまうだけで顔と体が奇怪な動きをしてしまうので要注意です。

 

竹田扇之助さんは、17世紀に大阪で発祥し、戦後に東京で復活した「竹田人形座」に加入していました。なのでこの糸繰りスタイルは竹田人形座のものです。

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今田人形座  - 飯田市ホームページより)

なお人形劇には他のスタイルもあり、パペットマペット形式はその1つです。3人がかりで動かすので、糸繰り方式に比べると人形のサイズが大きいですね。3人の息が大事です。仲たがいして上演中に殴り合いの喧嘩を始めないよう気を付けよう。

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竹田扇之助記念国際糸操り人形館 - 飯田市ホームページより

歴史ある竹田人形座には多数の作品がありますが、その1つ『雪ん子』です。顔も服も真っ白な女の子です。ストーリー概要を館内ビデオで見られます。

雪を降らす仕事を天上でしていたけど退屈なので地上界に突撃、人間の子供たちと仲良くなりますが神様から呼び戻し命令が来て、最期は炎の中に身を投げておしまい。雪ん子の可愛らしさに反して、意外と劇的な話であった。

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竹田人形座 - 飯田市ホームページより)

竹田扇之助が竹田人形座を率いるようになって以降、テレビやショーなどメディア露出をかなり強化したそうです。NHK教育テレビ朝の人形劇、ピンポンパンなど。

大阪万博では市川崑監督とともに『鶴の恩返し』を公演しました。そのビデオも館内で見られるし、人形も展示されています。

 

以上で人形館はおしまい。

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隣に建っているのが、旧座光寺麻績学校校舎。明治初期に建築され、長野県では最も古い学校です。歌舞伎の舞台と小学校の両方を兼ねる物として作られましたが、なんでその2つ合わせたかね。見栄を切らないと死んでしまう教師でも居たのだろうか。

なお入館するには、人形館の館員さんに開けてもらう必要があります。

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村の学校なので、そんなに広くは無いです。

これで授業をしながら歌舞伎ができるぜ!と教員が喜んだのも束の間、「遊興施設と教育機関をごっちゃにするとは何事か」と上部機関から怒られたので、結局学校に特化したらしい。悲しいなぁ。

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舞台裏っぽい造りをした部屋と、2Fの部屋です。展示品は当時の教科書や建物仕様です。学校には見えませんねえ。体育館の倉庫かな?

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3Fは入れませんが、写真がありました。校長室だそうです。威厳を保つにはインテリアを相当気合入れないと難しい気がします。「失礼します」って中に入ったら布団敷いてありそう。

教職員との懇親会はいつでも出来そうだし、酔っ払って踊りたくなったら歌舞伎舞台があるから便利ですね!

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なお公式HPには「民家の様式を活かしているので、西洋要素はありません」って書いてあるんですが、思いっきりシャンデリアなんだよなぁ。不平等条約改正のため、西洋要素も多少は無いとね?

 

おしまい

 

【滞在時間】75分(人形館は60分)

【混雑度】★★(他に数人)

【URL】竹田扇之助記念国際糸操り人形館 - 飯田市ホームページ

 

松川町資料館

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松川町の資料館です。伊那大島駅から徒歩10分。入館は無料。

長野県には松川”村”もありますが、まったく関係ないです。車でも1~2時間かかる距離じゃないかな。ややこしい。長野県民の各地域間のいがみ合いは異常(と長野育ちの人が言っていた)。

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展示室はこの1室です。松川町郷土史を古代から現代まで時代順に紹介しています。竪穴住居が目に入った瞬間に、そのことがお察しできるでしょう。定番のパターンですね。

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さて伊那谷に人が住みだしたのは3万年前で、東西日本の境界でもあることから、双方の文化の特徴がみられるそうです。土器からその様子が・・分かりません(無能)

紀元3世紀には規模の大きな「クニ」が形成。長野県では千曲川流域(長野市とか)と天竜川流域(伊那とか)で二分でき、それぞれ異なる文化を醸成したそうな。こんな時代から既にいがみ合ってたんか君ら。

 

飯田周辺はちょっとした小国家「イナコク」を形成していたそうですが、天竜川上流を別の国に押さえられているので、それ河川上流を中国に支配されてアウアウしているラオスとかミャンマーじゃないですかね。

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竪穴式住居のジオラマ。よく見ると奥の方に頭蓋骨が保管されている。なんでそんなもん置いとるんじゃ。盃の代わりにでもするのかな?斎藤道三の骨で酒を飲んだ織田信長みたいですねぇ。

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鎌倉時代になると、源氏系の片切氏・大島氏らが伊那を支配しました。戦国時代になると武田信玄が入ってきて、みんなフルボッコにされて武田一色になります。

武田勢は飯田城を中心に、東海地方への攻略拠点としました。その際に古びていた大島城を利用し、複雑な構造にするなど武田流魔改造を施したそうです。

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そんな現在の大島城の写真がこちら!・・単なる山じゃないか。これでもかって位に森が生い茂ってますねぇ。動かざること山のごとしを体で表現しております。火を放ったらオーストラリア並の山火事になりそうなのが弱点です。

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(1582年織田との戦い頃)

信玄存命時は武田の天下だったわけですが没後はボロボロ。1582年に織田の襲撃を受けると、両城の城主はあっさり逃亡。伊那方面の守備は発泡スチロールレベルでありました。

大島城の城主は信玄の弟の武田信廉だったんですけどね、身内がこれでは救いがないね。ってことで数か月後に武田は滅亡します。

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江戸時代になると、このあたりには片桐宿という宿場町ができました。東海~信州をつなぐ伊那街道です。西側に中山道という大街道がありますが、その脇道として利用されたとさ。

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幕末の松川町の話。尊王攘夷をしたくて仕方ない水戸藩浪士たちが、朝廷で勤務する徳川慶喜のところへ請願にいこうと信州を通った際、諏訪高遠藩や松本藩と戦闘になりました。まぁ請願と言いつつ、水戸浪士は大砲ひきずってたそうですが。

その連中が伊那街道を南下し、この片桐宿に泊まることに。それを知った飯田藩が攻撃しようとしました。宿場の人たちとしては凄まじい迷惑である。村の代表者が飯田藩へ歎願し、なんとか戦闘は避けられたようです。人の庭で戦争してはいけない(戒め)。

 

あ、幕末の話はこれだけです。

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あとは近現代ネタですね。地域住民の足として現在のJR飯田線が全通したのは1937年。天竜川の崖沿いを走るせいでやたら線路がクネクネしているのと、駅数がアホ程あるので遅々として進まず、辰野~豊橋間で6時間かかります。リニア開発しているのと同じ企業がやっているとは思えないぜ・・

中央自動車道の松川ICが出来たのは1975年ですが、そりゃみんな車つかいますわな。

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そして松川町は「くだものの町」。大正時代から始まったフルーツ栽培が現在も続き、村の主幹産業になっています。特に梨とリンゴが多く、ワイン・シードル特区とやらに認定されているので、よくわかんないけどシードル飲みたい(小並)

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あとは昔の民具とか農具が大量に並んでいます。まぁこれはいいや。おしまい。

 

【滞在時間】30分

【混雑度】★(だれもいない)

【URL】資料館/松川町

 

駒ヶ根市立博物館

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駒ヶ根市の博物館です。駒ヶ根駅から徒歩15分。

見た感じ、建物が何棟も並んでいてスケールが大きい。これは展示のボリュームがすごそうですね。果たして何時間かかることやら。

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・・と思ったら、展示室はこの1室。そんな馬鹿な。

どうも公民館や図書館など複数機関が同居しているようです。所要時間90分くらい見込んでたんですけど、プランあっさり瓦解ですね。30分ってところです。

入館料は無料です。

 

常設展はなく、企画展オンリーのようです。この時は「上伊那地方に疎開した陸軍登戸研究所の真実」がテーマでした。

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(前身の陸軍科学研究所の建物前。はいチーズ!チーズに毒は入れないでね!)

登戸研究所ってのは川崎市の登戸に設けられていた、陸軍の謀略研究機関です。スパイ作戦・毒物を始めとした生物化学兵器・敵国民の洗脳宣伝手段などを調査・実験していたらしい。現在は明治大学の生田キャンパスとなり、資料館もあります。

この一部が第二次世界大戦中に伊那に疎開してきたってので、その特集展示なのです。

 

伊那・駒ヶ根にやってきたのは、主に研究所の2科・4科の2部署だったそうです。

2科の担当は生物化学兵器。毒物や細菌を扱ってました。こわいこわい。

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一方で4科は兵器製造が担当で、伊那にも工場が作られて学徒動員されていました。しかし兵器に混じって面白道具まで作っている。目には見えないけど、紫外線を当てたり溶液を塗ったりすると文字が浮かびあがるペンキです。チャレンジ1年生の付録オモチャにありそう。

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ビデオカメラを仕込んだライター、爆発する傘。傘は現在の中国にもありそうですね。椅子が爆発するくらいだから、あの国では何が吹っ飛んでもおかしくない。

実用化されたかは分かりませんが。もはや空想科学少年漫画の類である。

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ちなみに伊那には来なかったようですが、研究所の1科は風船爆弾を開発していたことで有名です。敵国アメリカまで夢と火薬を載せて、いつか届くと良いですね(雑)。

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よく見ると展示室内にも風船爆弾がセットされていますのでお気を付けください。紐を引っ張ると破裂します。郷土を地雷原にするのは止めてさしあげろ(ベトナム戦争の教訓)

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(画像はwikiより 松代大本営跡 - Wikipedia

ところでなぜ研究所が伊那に来たかですが、長野市の松代に大本営を移転する計画があったことと関連しているそうです。二次大戦で劣勢になり本土決戦が近づく中、東京の防衛機能は怪しいので、皇居と大本営を松代に疎開させよう。政府関連機関も周辺に集めよう、ってところ。

んで登戸研究所の幹部に駒ヶ根出身者がいたので、研究所はこっちに来たそうな。

 

松代の方は移転する前に敗戦となったので実現しませんでしたが、ルート次第で長野県が日本の中心になっていた可能性が微レ存・・それ以前にソ連アメリカに列島八つ裂きにされてそうですが。

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(隠蔽されたガレキの皆さん)

終戦後、GHQにいろいろ持ってかれるとヤバいということで、速攻で証拠隠滅が始まりました。学徒総動員で、書類や機材を燃やして穴に埋めたそうです。

このとき捨てるはずだった毒入りチョコレートを誤って学徒が食べてしまい、危うく死にかけたという事件が発生。・・そんな怖いもの作ったらダメなのよ。「チョコを取るものはチョコで滅びる」ということです。

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というわけで展示はおしまいです。登戸研究所のことが良く分かりました。あれ、駒ケ根のことは殆ど分かってないぞ。まぁソースかつ丼の町ってことで良いか(撤収)

 

【滞在時間】30分

【混雑度】★★(他に数人)

【URL】駒ヶ根市立博物館|駒ヶ根総合文化センター