戦国山城ミュージアム
岐阜県の可児市には美濃金山城(烏峰城)があり、森蘭丸が一時的に城主をしていたこともありました。その金山城を中心に戦国史を扱うミュージアムです。今は亡き名鉄八百津線の展示室もあるよ。
概要
アクセス
最寄りは名鉄広見線の明智駅。YAOバスというコミュニティバスが30分~1時間に1本出ています(意外に多い!)。乗車10分「元兼山町役場前」停留所、すぐ。
ただ明智駅前は何も無いですけどね。自販機くらい。
駐車場
ミュージアム前に数台分あり。全部埋まることはない気がする。
入館料
210円です
展示1 金山城と周辺の歴史
(展示室の模様。画像は公式HPから https://www.city.kani.lg.jp/10028.htm)
館内撮影禁止ですので、関連画像で。
地上階では戦国時代の美濃金山城や、周辺の城(明智城・久々利城など)を扱っており、パネル説明+ジオラマが展示。ちなみに明智光秀は、明智城の付近で出生した説があります。
金山城は斎藤道三の命により1537年築城され、織田家による美濃制圧後は森可成の居城となりました。可成が朝倉浅井連合との戦いで1570年戦死すると、子の長可へ継がれますが、長可は1582年に川中島に異動になり、弟の蘭丸が貰います。
ただ1582年は本能寺の変の年であり、ここで蘭丸は死んじゃうんですけどね。
ちなみに城はミュージアムの近くにあり、車だと10分弱です。徒歩で行くのは・・めちゃめちゃ険しい上り坂をあまり気にしない人であれば良いんじゃないかな。
(金山城の本丸。画像はwikiより金山城 (美濃国) - Wikipedia)
本丸まで登ると、そこには天守閣の代わりに見事な田舎が!
まぁ土塁とか堀とかは残ってますけど、建造物的な遺構は無いですね。
蘭丸の死後は再び森長可が支配となり、1600年に石川貞清(石川数正とは無関係)が入ったんですが、石川さんは犬山に本拠があったので、金山城は解体されて建築材は犬山城の改修に当てられたそうな。完。
(画像はサンプルです)
ミュージアムの地下階に降りると、金山城を中心に発展した商人文化の跡が展示されています。商店の看板や引き札。あとその辺の寺院の瓦もあった(雑)
森長可が城主の時に商業に力を入れて発展したそうです。森長可といえばアンサイクロペディアで「DQN四天王」の名を馳せていますが、真っ当なこともしてたんですね。
展示2 名鉄八百津線の記録
(八百津駅路線図。画像は 八百津駅 - Wikipediaから)
戦国ぜんぜん関係ないんですけど、2001年に廃線となった名鉄八百津線の展示室があるのです。兼山駅か城戸駅がミュージアムの最寄りなので、沿線地域として思い出を残しているんでしょうな。
建物の外に線路があるんですが、八百津線のものでしょうね。
この路線あまりにも利用者が少なすぎて、1984年時点で電化廃止してレールバスに切り替えていたんだそうな。バブル直前の好景気期にこの衰退っぷり。
(画像は名鉄広見線 - Wikipediaから)
展示室では、八百津線の写真や切符、駅名表示板など貴重なグッズがたくさん。また広見線の前面展望ムービーも放映中です。なぜかこの展示室の情報は公式HPに載っていないので、鉄道好き客を逃している感があります。
もしや鉄オタに来てほしくな(略)
蔵と観光交流館
あと館外に蔵が建っているんですよね。なんの蔵だか分かりませんが、こちらも展示館になっていて、1Fは地域の消防団のハッピやら写真やらが飾られています。
八百津線もそうですが、「戦国山城ミュージアム」と言いつつ地域郷土館になってますな。
2Fには・・やっぱりこういうの置くんですね。いやー戦国時代だなあ(棒)
野鳥や草花の標本もありました。戦国昆虫ミュージアムでは無いのでご安心ください。
ミュージアムの横には可児市観光交流館がありまして、金山城の続100名城スタンプはこちらで押すことができます。
甲冑を着ての写真撮影もできるんですが、なんと1500円もする。そんなに本格的なものなのか。この甲冑を着て金山城に登山するアホなイベントもやっているらしい。登城中の歩道で戦死する武士が出ないか心配です。
また観光交流館では「らんまる検定」もやっています。アンケート用紙みたいに机の上に置いてあるので、書いて窓口へ出せば採点してもらえるのです。
ミュージアムの展示をちゃんと読んでくれば答えられそうですが、私みたいにテキトーに読んでくると普通に詰まります。何人兄弟かなんて知らんがな・・
おしまい。
【滞在時間】60分
【混雑度】★★(他に2~3人)
【URL】戦国山城ミュージアムHP