神奈川Cスポ探索日記

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松本市旧制高等学校記念館

 

松本にあった旧制高等学校について扱う資料館です。

戦前は、尋常小学校→旧制中学→旧制高等学校→大学、ってのがエリート進学パターンであった。

(進学パターン自体は他にもいろいろ)

 

旧制高等学校は、いまの大学教養課程に相当するそうなので、大学1~2年生といったところか。

 

 

館内に入ると学生の像がお出迎え。

受付で入場料を払います。

300円。

 

 

展示室は2階と3階なので、上へ。

1階にはショップとカフェがあった。

 

 

・・その階段の途中で、こんな絵があったのだが。

新入生が学生寮へ入寮する際の儀式を描いたもの。

いったい何をしてるんですかね。

 

 

しばき合いかと思ったら、寮歌の指導風景であった。

どうみても戦闘シーンにしか見えない。

 

戦前の高等学校は女子入学が許可されていなかったので、男子しか居なかった。

ということで、校内のノリは男子校特有の”アレ”で占められていたことが察せられる。

私は男子校出身ではないが、聞くところによると現在でも男子校は ↑ の絵画と変わりないようである。ヤバそう。

 

 

2Fに上がりました。

このフロアでは旧制高等学校全般の話、および松本の高等学校の話がされております。

 

 

当時流行りのバンカラ服で記念撮影ができるよ。

学ラン+学生帽+上に羽織るマントみたいなやつね。

マントだから、袖が無い。

 

 

こちらは制服。

袴付き和服が正装であり、講義を聞くときはもちろん、学食に入るときすら、この服装をしないとダメだった。

 

 

こっちの人は背を向けてますが?

 

 

尻のところ破れてませんかね。

そこにツギハギを当てている。

物資が限られていた時代だから、破れても直して限界突破まで使っていたのだろう。

 

旧制高等学校の校章一覧)

 

旧制高等学校は全国に41校存在した。

最初に東京や京都に8校でき、大正時代になって拡大が行われている。

 

卒業生はもれなく帝大に進み、政財界のエリートとなった。

なので学校側にはかなりの箔がついており、現代でも全国有数の進学校として残っている。

あなたの出身校はあるかな?

 

 

旧制高等学校の卒業生はもれなく帝大に進んだ」と書いたのだけれど、旧制高等学校の1学年の生徒数と、帝大の1学年の生徒数はほぼ同数であったらしい。

旧制高等を出ると、ほぼエスカレーター式に、試験も無しで帝大に進学することが出来た。

 

つまり旧制高等に入れるかどうかで、人生の機運が全く変わってくるのである。

全国の旧制高等学校の生徒数は、同世代の男子人口の1%に過ぎない。

だから入学試験はすさまじく熾烈で、現代日本のお受験競争なぞより遥かにvery hardモードであった。

韓国とかインドの方が近いかもしれない。

 

 

しかしいったん入学してしまえば帝大までエスカレーターなので、3年間の学生生活、生徒たちは遊び惚けていたそうな。

だからこんなアホ眼鏡も登場するのである。

 

(当時の宿題)

 

校風もフリーダムである。

「解答を出すも出さないも自由」。

 

(期末試験)

 

授業の方もユルユルで、出ても出なくてもどっちでも良いみたいな感じだった。

進級できるかどうかは期末試験1発勝負。

2回落第すると強制退学が待っております。

 

 

法学の試験だが、フランス語で回答しないといけないらしい。

大学では外国人講師が多く、授業が外国語で行われるため、旧制高等のうちに語学力を身に着けておくのは必須だったそうな。

 

 

東京帝大の医学部合格通知。

超絶エリート兄貴。

 

 

この辺は部活動関係です。

 

 

陸上の体操服。

なぜか飾られているのは松本高等学校のものではなく、名古屋にあった第8高等学校のものです(今の名古屋大学

 

ちなみに松本では1899年から官営学校誘致活動をしていたにもかかわらず、鹿児島や名古屋に取られてしまい、ようやく開校できたのが1919年であった。

ライバル校のユニホームを飾ってよいのかな?

 

 

砲丸がケースの中に置かれております。

お触り自由。

手を入れる穴、そこそこ大きいから、ここから砲丸ぬすみだせるんじゃないか?

 

 

と思ったけど、砲丸おもすぎて、指先だけで持つの無理だった。

ティーブン・セガールとかじゃないとダメだと思う。

 

 

その隣にやたら奇怪な写真が貼られていますね。

松本高等の名物教授であり、パンツ1枚でグラウンドに現れて学生たちに熱血指導を施したそうな。

インターハイ優勝経験もある。

いまやったらPTA案件であろう、でも男子校には居そう(確信)。

 

 

ここからは学生寮の話です。

「思誠寮」という名称で、120名が入居できたが、官立高校としては最小規模だったそうな。

だから新入生はまずこの寮に入り、2年生になったら下宿へ出るというのが通常であった。

 

 

委員長の部屋の再現だそうですが、壁の落書き量が異常じゃないですかね。

原状回復不可能レベル。

 

 

風呂場の写真。

汚い(断定)

 

 

晴れの夜なのに、寮の周辺では雨が降るという謎現象が発生していた。

「寮雨」と呼んでいたらしい。

 

 

原因はこれ。

いやーさすが男子校!

 

(クラス対抗駅伝の優勝旗)

 

イベントもあって、駅伝大会は大盛り上がりだった。

4月と5月に連続して行ったそうだが、やるたびに学生が街に繰り出して盛大にハシャギまくったため、中止と再開を何度も繰り返していたそうな。

 

街の人たちはその日一日、学生と一緒になって盛り上がり、仕事が手に付かなかったという。

あとは店先破壊されるかもしれないから、その防衛で時間を取られたってことじゃないですかね。

 

 

松本の学生特有の言葉があり、「松高言葉」と呼ばれている。

松本の方言と学校で履修するドイツ語が混じり合って謎の会話になっていた。

 

子供は「ダスキン(das Kind)」、金は「ゲル(Geld)」とドイツ語。

でもなぜか女性は「メチ公」である。なんじゃそりゃ。

 

 

3Fに上がりました。

 

 

ここは全国の旧制高等の寮歌が聞けるというライブラリーである。

校歌じゃなくて、寮歌なのな。

 

校歌は学校側が作るものだけれど、寮歌は寮生が自発的に作るものだから、そちらを重視したのかもしれない。

なお学校は41校しかないのに、歌は201曲も収録されている。

作り過ぎだよ。

 

 

これは戦争も近い1930年の写真。

軍事教練が学校に取り入れられ始めたが、フリーダムである松高生は訓練を抜け出して一升瓶を手に入れて昼間から大騒ぎ。

「独立酒備隊」とか名乗ってたそうな。

 

彼らは兵舎で大騒ぎをしたり、神社で暴れて提灯を破壊しまくるなど健全な男子高生としての姿を披露し、無事処分を受けた。

 

 

学生が3年間でどれだけのお金が必要だったか、展示されている。

総額すると文系で1500円程度、理系で1600円程度。

 

当時のエリート層である国家公務員1年目の年給が900円程度らしい。

いまいち比較できないが、普通のサラリーマンの年収以上は必要なんじゃなかろうか。

やはり旧制高等って財力が必要そうですねぇ。

 

 

そんなわけで節約のためか、先輩から後輩へ帽子が送られているけれど、これ再利用できるんですかね?

 

てなわけで館内おしまい。

 

 

展示棟の隣に、学校として使用されていた建物が残っているから見学するよ。

 

旧制松本高等は戦後に信州大学へ吸収されたが、校舎は大学キャンパスとして継続使用された。

1972年にキャンパスが移転したので校舎を潰す話が出たが、文化財として保存しております。

 

 

だから建物残っているんだけれど、見学できるのは2部屋だけ。

校長室と教室。

あとはイベントホールみたいになっている。

 

 

ここが校長室。

広々としているねぇ。

 

 

机は古いが、きっと良い木材を使っているのだろう。

しっかりした造りで威厳がある。

 

 

本棚には蔵書が。

 

 

・・「エロ事師たち」とか「ヒトはなぜ助平になったか」とか、校長室にあってはならぬ系の本が見受けられますけど?

やっぱり校長も男子校脳をしているのだろうか。

ロッカーにはヌードポスターとか貼っちゃうのかしら。

 

 

もう一部屋、教室の方へ。

 

 

まぁ、普通か(適当)

 

 

あと敷地内には講堂もありますが、こちらは入れない様子。

 

 

なお後者は展示室の2Fから眺めることも出来ます。

庭もしっかり整備されており、ここは松高生らしく半裸でタオルを振り回しながら走り回ればインスタ映え間違いなし(棒)

 

 

以上

 

【交通手段】松本駅からバス20分

【入館料】300円

【滞在時間】60分

【混雑度】★★(他に2~3人)

【URL】

matsu-haku.com