八王子市郷土資料館
八王子市の郷土資料館です。
1967年開館だそうだが、確かに古さを感じる外観である。
古いっていうか、そもそも廃業してないか不安になるレベルであるが、表に「開館中」の旗が立っていたので、たぶん開いているのだろう。
手前には像がいくらか並んでいる。
神社にあった手洗い石だそうだが、洗った方がやばい病になりそうですね。
入場料は無料です。
中央道の建設工事をしていた際に出土した遺品をベースに、郷土研究家のコレクションも相まって展示品が成り立っているそうな。
あんな外観してたから客なんぞ絶対いないだろうなぁと思ってたら、案外ちらほら居るのであった。
さすが腐っても都内である(立て続けのdis)
いつもどおりの古代グッズ。
スプーン型土器と呼ぶようだが、他に相応しい名前ありませんでしたかね。
柄が無いじゃないか。
縄文土器は複雑怪奇な紋様をしていて、とても良い。
奈良平安頃の出土品。
瓦かなにかか?
多摩郡で発掘されたそうだが、矢印の辺りをよく見ると・・
「多」の字が彫られている。
・・いや、本当なのか?
模様が一部削げ落ちているとかで、偶然こう見えている可能性も微レ存。
使用場所や地名を土器に墨書するのはよく見るが、模様として刻むのだろうか。
奥の方では土器が山積みにされています。
扱い方が適当すぎて笑ってしまった。
なんの演出なんでしょうか。
気が早いですが戦国時代頃の、八王子城周辺での出土品です。
終焉も近い1584年に北条氏が建てた城で、安土桃山時代の最新スタイルを導入し、意外と大きな規模であったらしい。
というわけで城の豪奢さを示すように、明から輸入された磁器も見つかっております。
以前はもっと北の方にある滝山城を本拠としていたのだが、甲州街道から入ってくる敵軍監視のため、八王子に城が建築されたそうな。
街道沿いということで経済的に繁栄して、それで舶来品が買えるようになったんですかね。
大砲の鋳型だそうだが、ちっちゃいなぁ。
鉄砲玉はもはや何かのフンのようである。
フン持ってきて置いといても、たぶん分からないと思う。
なんとベネチア製のガラスもあって、それがこれなんだそうだが・・どう考えても違くないですかね。
ベネチアのガラスはこんなに真っ白なのかな?
肖像写真がありますので、それでイメージを膨らましてご満足ください。
江戸時代になりました。
八王子と言えば、もれなく自慢されるのが千人同心。
北条氏なきあとのこの地方は家康の手中に収まったが、武田や北条の遺臣がウロウロしていたのでそいつらを集めて部隊にした。
普段は農民をやっているけれど、有事には武装して軍隊になる、農民以上武士未満なひとたち。
(笠に千人同心の「千」の字を入れている。)
家康は千人同心を、甲州方面の監視部隊として扱った。
江戸初期の頃は、まだ家康に逆らう大名が幾らもいたための防衛策。
次第にピースフルな世の中になってくると1652年には日光東照宮の警備兵として派遣されるようになった。
なんだか防人みたいな感じで可哀そうな気もするが、千人同心はその代わりに絹の売買権を認められるなど、利益は結構受けていた模様。
八王子は江戸時代に入って宿場町として大繁栄したので、それでガッポガッポや!
なので徳川に忠誠を誓うものが多く、新選組がこの地から発祥した原因とも。
千人同心グッズたち。これでアナタも千人同心(1/1000)
彼らは徳川様に仕える誇り高い連中なのであった。
その辺の農民とは違うのだよ。
だがこの千人同心の身分、金銭で売買可能だったというのが有名な話。
商売に手を出して失敗した連中が売りに出して、富裕になった農民がそれを買って”半 武士”として成り上がるのである。
なんというアメリカンドリーム、もといハチオウジャンドリーム。
(天然理心流の柔術免許と剣術目録。剣術以外もやるらしい)
身分と金がそれなりにあると、余力が出来て農作業以外のことも始めるらしい。
近藤勇で有名な天然理心流も、千人同心の受け皿となって門下生を広げたようである。
ちゃんとお勉強もしましょうね。
学業の方に進出した人々も多く、オランダ語辞典を手作りしちゃっている。
拡大してみました。
字めっちゃ綺麗だな。
こういうわけで武蔵・多摩地域には啓蒙された人々が多く居たので、自由民権運動ではその知識を生かして盛大に大騒ぎをし、神奈川県から「多摩いらない」と言われて東京に押し付けられたのは内緒である。
千人同心は幕府の兵として、長州征伐にも駆り出されているが、戦地での加護を祈ってお祈りしている絵馬です。
しっかし木の年輪?のせいなのか、すごい禍々しい絵面になっていますな。
霊が飛び交って画面が揺れているかのようである。
これは加護、ないな(確信)
八王子と言えば、さっきも出たが、絹らしい。
技術進展でじゃんじゃん生産量が上がり、一大産地となった。
ただ開国に伴い、輸入されてきた安い染料を使ったら、みるみるうちに質が悪化して、ついに市場から「八王子織物一切取扱申さず」と容赦ない形で締め出されてしまった。
やっぱり中国産はダメだな(偏見)
商人たちは織物組合を結成して、立て直しを図るのでした。
それがこの建物。
(府立織染学校)
商人たちはさらに染色講習所まで開校し、技術の向上と教育に務めました。
これは東京府立織染学校となり、昭和になって八王子工業高校となった。
なんと日比谷高校と並んで都内2位の歴史ある学校だったのだが、2010年に廃校。
そのときの偏差値は40を下回っていた。
日比谷高校と何処で差が出ましたかね、たぶん環境と環境の違い。
横浜までは「絹の道」なる交易路があり、八王子からは絹を運んでいくほか、横浜からは先進文化が入ってくる、まさに文明の通り道。
その模様がこちらですが、文明はどこへ行ったのだろうか(ちーん)
これはよくみる、京王線の沿線観光地マップ。
巨大な宿場町へは、鉄道も多数入り込んできましたと。
大正天皇が崩御され、その陵墓は多摩に設け、多摩御陵と呼ばれている。
なんで多摩なんだと思うのだが、地盤が強くて地震に耐えられるのと、万葉集にこの辺が読まれているのが理由らしい。
高尾山は桜かなにかが満開になっているが、このピンクが逆にけばけばしくて、魔王の城みたいに見えなくもない。
京王閣は一大リゾートとして盛り上がったが、ちょっと巨大すぎやしませんかね。
5駅にも跨っちゃってるけど。
なお今日では競輪場になっておりますので、駅前などはお察しください。
端の方にさりげにハワイが載ってるけど、房総半島と同じ枠で捉えてませんかね。
サンフランシスコなんてもう水平線の向こう側である。
これ書く意味あったの?
すごい胡散臭くてとても良い。
そして何故か上野松坂屋のチラシ。
これまた時代を凄まじく感じさせる。
国策湯たんぽが出てきて、戦時中っぽくなったぞ。
(焼夷弾の尾翼)
東京とは言え八王子は地方扱いだったのか、当初は爆撃されず、疎開先にもなっていた。
1945年8月2日に初めてアメリカ軍機が来襲、400人余りが死去。
八王子市街のジオラマです。
あろうことか郷土資料館のボタンが壊れていて、現在地が点灯しない仕様。
直してクレメンス。
あ、そのまえに外壁の塗装だな。
足がぶらりんしていて何事かと思うのだが、人形劇だそうです。
車人形というらしい。
しかしなぜ顔を隠しているのかな?
2Fに上がります。
2Fです。
ん、また縄文時代?
この写真、さっきも見たぞ!
展示内容が重複してるじゃないか、どういうことなの・・
というわけで重複しない部分だけ取り上げます。
おかげで一気に書くことが減った。
あちこちで見ているので特に懐かしくありませんが、黒電話です。
使い方も丁寧に書いてありますが、この絵は関係あるんでしょうか。
富山の薬。
胃痛腹痛の薬だそうですが、なんで熊なんですかね。
歯磨きはライオンである。
あのLIONです。ライオンから~
歯ブラシはこれ。
あの房、歯にめっちゃ挟まりそうだな。
ネズミ捕り。
罠の前でネズミ死んでますが。
国語の教科書も瀕死状態ですが、自由にお触りできます。
いきなり機関車トーマスなものが置かれているが、1945年8月5日に米軍から爆撃を受けた列車のものである。
中央線の列車が乗客満員で「湯の花(いのはな)トンネル」を通過しているところ、中には非戦闘員しか居ないにも関わらず米軍機が接近して攻撃、50名以上が死去。
着せ替え人形タミーちゃん。
全然知らんが、今でも販売されているらしい。
バービーやリカちゃんとは違って、デカめの顔と足というバーガー大好きアメリカンスタイル(偏見)であり、ポッチャリ派はこちらを選ぶという(嘘)
ぼろぼろ洗濯機くん。
最後にレコード。
どうみても子供のオモチャである。
てんとう虫のサンバでも掛けておこう。
というわけでした。
以上。
【交通手段】八王子駅から徒歩15分
【入館料】無料
【滞在時間】60分
【混雑度】★★(他に2~3人)
【URL】八王子市郷土資料館(登録博物館)