神奈川Cスポ探索日記

C級スポット探索日記

C級スポットを主に巡るブログです。C級スポットとは、「メジャーな観光地(A級スポット)・ちょっと変わった観光地(B級・珍スポ)ですらない、楽しめるかはその人次第の場所」という意味です。と言いつつ、普通の観光地にも行きます。地域別カテゴリは最下段から。

碌山美術館

 

安曇野市にある碌山美術館です。

日本近代彫刻の始祖とも言われる 荻原碌山を記念しております。

穂高駅から徒歩15分。

 

 

荻原碌山。画像はWikipediaから)

 

荻原碌山(1879-1910)は穂高出身、アメリカやフランスに渡って当時最新の芸術スタイルを習得。

フランスでは『考える人』でお馴染みロダンと友達になり、盛大に影響を受けたとされる。

 

帰国した後は、新宿中村屋(同じ穂高出身の相馬愛蔵が創業)の手伝いをしつつ、西洋的な彫刻作品を製作していたが、当時の”彫刻界のお偉いさん”達は和風スタイルにどっぷりハマっていたため、碌山の作品は生前なかなか評価を得られなかった。

30歳にして病死。

近代彫刻のパイオニアとして認識されたのは死後のこと。

 

 

碌山の死後、作品は実家の穂高に移され、「碌山館」として細々と公開されていた。

戦後に碌山研究が進んでくると、より規模のある美術館として運営したいという声が強まり、1958年に開業したそうな。

 

入場料は700円とお高めだけれど、「伊豆よりマシ」くらいに思っておけば良いんじゃないの。

あと中は結構ボリュームがあるから、ぎりぎり妥当な価格と言えるだろうか。

 

 

敷地内にはショップ・休憩所の他、展示室が4棟もある。

広いよ。

これは途中で疲れるパターンだな(確信)

 

 

最初の展示棟は「碌山館」という建物。

教会チックなスタイルなのは、碌山がクリスチャンだったから。

 

穂高の辺りでは相馬愛蔵や井口喜源治らがキリスト的な活動をしていたので広まっているが、純粋に宗教的な活動というより、西洋的な価値観を習得するための一環であった感がある(って、井口喜源治記念館のおっちゃんが言ってた)

 

 

中に入ると、暖炉にじゃんじゃん薪をくべているよ。

信州の冬は寒いから、薪ストーブを設置している建物は結構みるな。

 

(公式HPより)

 

展示室内は撮影できませんので画像は引用。

ここでは碌山本人による作品をずらーっと並べております。

若くして亡くなってしまったので、そこまで点数が多いわけではない。

 

相馬黒光安曇野市HPより)

 

碌山を理解するには「女」というキーワードが一番手っ取り早い。

先述している新宿中村屋の創業者 相馬愛蔵には黒光と言う妻があった。

黒光と言うのはペンネームね、本名は良(りょう)

 

この人妻である黒光に、碌山が横恋慕していたという話である。

芸術の動機、不純すぎやしませんかね。

 

(『文覚』1908。画像は公式HPより)

 

当然ながら叶わぬ恋であり、家政婦は見た的な展開にはならんのだが、そのどうしようもない憤懣というか苦悩というか男子高校生のようなエネルギーを、彫刻製作に注ぐようになる。

 

帰国後の第一作目となったのが、『文覚』。

モデルとなった文覚と言う人は鎌倉時代の僧侶なんだけれど、もともと武士だったのが、人妻に横恋慕して仕舞いには殺人沙汰まで起こしてしまい、悔やんで出家したというエピソードがある。

まんま自己の状況に被ってるじゃないか。

 

とにかく『文覚』は凄まじい目力と眉間のシワであり、視線が黒光の旦那か己の内心かどこに向かっているのかは分からんが、展示室内で異様な存在感を放っている。

あと筋肉。弱いヤーさんなら一目で逃げだしそう。

 

(『デスペア』1909。画像は公式HPより)

 

次にデスペア。もう分かりやすく絶望である。主体は碌山では無くて女性になっているけれど。

碌山が愛慕する相馬黒光は、旦那に浮気されていたので、黒光の悲しむ姿は碌山の絶望感を3割増しにしたものと思われる。

 

黒光の次女が、嫌なことがあるとこんなポーズで泣いていたので、その姿をアイデアとした。

どんな泣き方してるんだよ・・

 

お尻の方から見ると、たいへん卑猥なポーズになっている。

というわけで製作の時、モデルとなった女性には大変に嫌がられ、出展した展覧会でも「卑猥すぎる」として評価されなかった。

 美術館内には遠足で来ている子供たちもいたけれど、先生方はこの像を見て焦ったんじゃないですかね。

 

(『女』1910。公式HPより)

 

そういう曲折を経て、最終的にたどり着いたのが『女』。

手を後ろに縛られていて、相変わらず悲惨な感じは出ているものの、天を見上げて体を起こそうとしているポーズは、険しいはずの表情が少し緩んでいることもあり、何らかの希望の見出しを思わせる。

 

てなわけで最高傑作と言われており、重要文化財にもなっております。

なお作品がお披露目された時、色んな人が「これ黒光じゃね」と思ったらしい。

もう本当に分かりやすいな!

 

スターピースに達したところで、碌山先生の次回作にご期待くださいとなるのだが、残念ながら完成した直後に病死してしまった。

 

 

苦悩に満ちた男子高校生 荻原碌山

お気に入りの言葉が彫ってあり、「love is art,struggle is beauty」。

まさに言葉通りの体現である。

ちなみにこの言葉自体はなにかの引用だったと思うが、忘れた。

 

(『坑夫』1907。公式HPより)

 

作品は女関連だけじゃないですのでご安心ください。

彫刻家は人体を表現するにあたって解剖学など学んだりするというが、碌山もそれをやっている。

『坑夫』はフランス留学時代のもので、頑健な骨格と筋肉、意志の強い目線と口元とパワフル満載である。

 

当時の同窓生である高村光太郎が絶賛し、日本に持って帰るよう薦めたので、ここでも展示されている。

碌山は捨てようとしてたらしいが。

 

 

そんな感じの碌山館でした。

外に出て側面を見ても絵になる。

 

 

高村光太郎による、碌山への歌碑。

内容は「とにかく碌山は苦しみ、最後は喀血して死んだ」と悲惨極まりないものになっている。

さすがに葬式では読んでないよね?

 

 

ヘンテコな机。

これも碌山スタイルかな?

 

 

次の棟は杜江館。

 

 

コンクリートうちっぱなしで堅固感満載である。

中では碌山のデッサンのほか、美術館建設の経緯が展示。

 

 

庭を抜けていきます。

 

 

こちらは第一展示棟。

碌山フレンズである高村光太郎をはじめ、碌山から影響を受けた人たちの作品を展示している。

ほとんど知らない人ばかりなので割愛しますね(疲労

 

 

最後の展示室である、第2展示棟。

 

ここでは現代作家の企画展など。

第1展示棟と合わせて、碌山オンリーではなく関連する芸術家も扱う、守備範囲の広い美術館と言えるであろう。

 

・・まぁこちらも殆ど分からないので、書けることがありませんが。

 

 

最後は休憩室であるグズベリーハウス。

グズベリー」は「セイヨウスグリ」ともいうベリーで、ジャムに使うらしい。

なぜこの名前が付いたかは知らん。

 

 

ログハウスな内装。

横の方ではブロンズ像の作り方なぞが説明されている。

カフェはありませんので、自販機で買ってくださいね。

 

 

という、けっこうな規模の美術館でした。

木に括り付いている不思議な蛇口をみて、終了です。

 

※参考文献

荻原守衛碌山美術館』(朝日新聞社

 

 

以上

 

【交通手段】穂高駅から徒歩15分

【入館料】700円

【滞在時間】60分

【混雑度】★★★(ちらほら)

【URL】

rokuzan.jp