井口喜源治記念館
明治時代の穂高に啓蒙精神を植え付けた学校教師 井口喜源治の記念館です。外装がかなり古い上に屋根がトタンっぽいので戦後のバラックかと一瞬ビビりましたが、ちゃんと営業しております。
穂高駅から5分ほど。歩いてすぐです。12月~3月は土日しかやってないので注意。
喜源治さんの像です。明治時代の穂高で学校教師をやっていて、周辺の若者・子供に啓蒙思想を植え付けた先進的な人物。その頃の穂高には、開化した日本で身を立ててゆこうとする若者たちの青春ストーリーが展開しており、この人もその一人でした。
妻と2人だけでぶっつけ上京し、カレーで有名な新宿中村屋を作り上げた相馬愛蔵。和風で伝統的な作風ばかりが権力を持つ日本彫刻界に、西洋的技法を持ち込んで風穴をブチ開ける傑作を残しながらも、名声を得る前に病で若死にした荻原守衛。
その荻原守衛は相馬愛蔵の妻に横恋慕するという三角関係もあり、午後3時の韓国ドラマ風ねっとり仕立て、愛と憎悪が激しくまじりあうロッテワールド!
ちなみに新宿中村屋のカレーはこれです。・・と言いつつ、私は食べたことなかった。スーパーに行くといつもボンカレーか銀座カリーになってしまうのだ(ハチャメチャ安いから)
日本のカレーって、インドのカレーを日本人の口に合うようにアレンジしたものなんだけど、その開祖みたいな存在が中村屋だそうです。聞いた話です。食べたことないので(こなみ)
そんな多ジャンルの話が広がっていく中心の一人に、井口喜源治はいたわけです。相馬愛蔵の親友、荻原守衛の恩師って立ち位置で。小説にも幾つかなっており、読者にとってはここは聖地なわけです。ありがたやありがたや。まぁ何一つ知らずに来る客もいると思いますし、私がそうでした。
入館料は400円です。このとき他に客が居なかったので、館員さんがマンツーマンで私にレッスンする流れとなった。いろいろ情報を貰えます。40分ほど居たんですけど、その間ほかに誰も来客が無いってのはどうなんでしょうね。いちおう土曜日だったんですけどね(遠い目)
(創立当初の研成義塾のスケッチ)
喜源治さんは学校教師と先ほど書いたんですが、なんと自分で学校経営してたんですね。「研成義塾」という名前です。28歳の頃。
なんでかというと、勤めていた学校から半ば追い出されたから。
この人キリスト教徒で、「酒と芸者は FULL OF SHIT」という考えから禁酒・芸者反対運動おこしてたんですが、田舎のオッサンから2大娯楽を奪うのはなかなか難しく、ウザがられて逆に排斥されてしまったのだ。JESUS!
だから自分で始めました。
これが時間割ですが、教師は他にいないので、喜源治さんが全部やることになります。しかも複数学年を同じ時間帯で見ていたそうだ。ブラックな塾講師バイトでもそこまでやらせないと思う。
キリスト教はまだ“耶蘇”と呼ばれ警戒されており、保護者達からは「キリスト教関連の授業なんてやるなよ?絶対にやるなよ?」と言われていたのだが、時間割には週に2回も「道話」って科目がありますね。いったい何を話したのかな?
研成義塾の設立趣意書にも「四.宗派の如何に干渉せず」って世俗派っぽいこと書いてるんですけど、賛美歌もじゃんじゃん歌っていたそうです。隠しきれない喜源治アニキの啓蒙欲。
当時の教科書が置いてあります。
右側は三省堂のNEW CROWN。これ現在でも英語の教科書として使われいるシリーズですね。中学で使った方もいるのではないでしょうか。私はNEW HORIZONでした。
英語をバシバシ授業でやっていたので、卒業生で海外に渡った人も結構いたようです。34年間の学校経営で、卒業生800人、シアトルに行ったのが70名。みんなシアトル好きすぎ。
そして上の写真は、そのシアトルに渡った教え子たちが撮ったもの。なんだかアーティスト写真みたいにポーズ取っている。1stアルバムでも出したんですかね。
そんな感じで喜源治さんのやっていた学校風景を知ることができます。安曇野を扱った小説の中で、喜源治さんは基本的に脇役に過ぎないんですが、この人の学校について詳しくなると違った理解になるかもしれんね。
最後にこのオルガンは、相馬愛蔵の妻である黒光が嫁入り道具として穂高に持参したもの。100年くらい前の製造だと思うのだが、調律しているのでちゃんと音は出ます。
おしまい
【交通手段】穂高駅から徒歩5分
【入館料】400円
【滞在時間】45分
【混雑度】★(誰も居ない)
【URL】井口喜源治記念館(長野県安曇野市)
【歩いて行ける近隣施設】