C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

水戸市平和記念館

平和を愛する私は、水戸市の平和記念館にやってきました。「平和が好きです」とか書いてる人に限って攻撃的なツイートしてたりしますけどね。 

場所は水戸駅から徒歩10分の距離。商業系ビルや公的施設が並ぶ都市的な通りを歩いているといきなり出現します。 

この看板、2つの建物の間に立っているんですよ。左奥側が記念館ね。

手前は公衆トイレです。けっこう外観が似ていて紛らわしい。私は最初まちがえてトイレに入りそうになった。膀胱はまだ平和なので大丈夫です(小並感) 

記念館の入り口は2Fにあるので、階段かエレベーターで上がることになります。

・・しかし陰っているせいかとても暗くて、路地裏の怪しい雑居ビルみたいな佇まいだ。まださっきのトイレの方が入りやすいな。

世界人類が平和でありますように」とか「心の平和が欲しくば神に教えを乞え」とか怪しい勧誘を受けることにならないだろうか。不安不安。

そんなこともなく、室内は普通にキレイであった。あたりまえだ、水戸市の公的施設なんだもの。しかしサラ金とかピンク系店舗が入ってそうな外観からギャップありすぎますね。

このとき誰も客が居なかったが、外観の悪さが影響しているのでは(名推理) 

入館料は無料です。

最初に出迎えてくれるのは焼夷弾くん。いやそんなものに出迎えて欲しくないのだが。むしろ天国からのお迎えになってしまう。

いまの茨城大学の構内にあたる場所に落とされたもので、不発弾だそうな。

中には大量の小型爆弾が詰められていて、空中でそれを放ち、火災被害を起こしまくるものである。おぉこわいこわい。

そもそも水戸って戦争被害あるのかと思っていたら、甚大に食らっていた。

茨城県にはかの「HITACHI inspire この木なんの木」があるわけで、戦時中は兵器工場だったのです。その工場へ水戸市から大勢の人が通勤していたので、労働力をつぶすために空襲したってことだそうな。 

1945年8月2日のことです。2時間足らずの空襲で水戸の街は焦土。死者300人以上。

もろ民間人狙ってるじゃないか鬼畜米英と思うわけですが、彼らにも僅かな人道主義者はいたようです。空襲の数日前に、予告ビラをばらまいているのだ。

「これから空襲を仕掛けるが、一般人には危害を加えるつもりはないので、避難したほうが良い」という内容の日本語が書かれている。

しかし士気低下をおそれた日本の軍部は、落ちてくるビラが人々の手に渡る前に回収。情報のない国民たちは避難せず、空襲の被害にあってしまいました。

悲惨な状況になった水戸ですが、しかし当時の死亡証明書とか死体検案書とか、そんなリアルなものまで置いてあるとは思わなかった。

死亡証明書の方には「死因:爆死」と書いてあるようだ。公的文書で爆死はなかなかパワーワードだが、当時はそういう表現しかしようがないでしょうね。町ごとぶっ飛ばされてるのだから。

戦時中の画像です。のらくろも軍事探偵としてミリタリー化されております。

手に持っているのはラグビーボールかな?爆裂自爆テロトライでも決めるのでしょうか。

爆撃に備えた消火訓練の模様ですが、もう消火しきれそうにないですね(確信)

だいたい焼夷弾が木造家屋に落とされた日にゃ凄まじい勢いで類焼しまくるのだから、消している間に炎に飲み込まれてwell doneにこんがり焼かれてしまうだろう。

以上の2Fは水戸の空襲関係でした。

3Fは原爆特集です。被災地の写真とか、被害者の治療風景とか。

結構えげつないものもあるので、苦手な人は注意しておこう。

もはやなんの写真だか分からないが、醤油の一升瓶だそうです。生前の名残は一切ないな。

 

これで展示は終了です。今更ですが、館内ではガイドさんが一通り展示物をマンツーマンで説明してくれました。

んで、こういう施設のガイドさんって「9条改正絶対反対」「安倍政権はF*CK」という極端な主張の方が多いんですけど、ここのガイドさんはそういう押しつけがましいこと言わなかったのが逆に印象的でしたね。

「原爆は酷いけど、アメリカの核の傘に守られてるってこともあるよね」とのこと。平和の実現手段は多方向から考えましょうね。

 

おしまい

 

【交通手段】水戸駅から徒歩10分

【入館料】無料

【滞在時間】60分

【混雑度】★(だれもいない)

【URL】

www.city.mito.lg.jp