神奈川Cスポ探索日記

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倉紡記念館

 

倉紡記念館は、倉敷の紡績企業クラボウミュージアムである。

美観地区の中にあるアイビースクエアの一角。

もとはクラボウの工場があったところである。

 

 

クラボウという社名は通称であり、正式名称は倉敷紡績

 

結論から言うと、倉敷の発展は倉敷紡績が大部分を負っている。

有名な大原美術館は、倉敷紡績の社長が作ったし、アイビースクエアの運営会社も倉敷紡績の関連企業である。

というわけで、企業ミュージアムくらい作ったっていいじゃない!

 

 

入場料は250円です。

アイビースクエアは観光客でごった返しているが、この資料館には殆ど人が居ませんね(遠い目)。

 

商業施設以外の部分を目当てに、アイビースクエアに来る人なぞ全くもって希少なのだろう。

ぞろぞろいる中国人観光客なんて、間違いなく入ってこないね。

逆に、休憩するには良いと思います(資料館の意義とは)

 

(江戸時代の倉敷代官所

 

会社の歴史でも始まるのかなと思ったら、それ以前に倉敷の歴史から、この資料館はスタートするのであった。

なんか長そう(震え)

 

倉敷の名前の由来は「蔵屋敷」とか「蔵敷地」とか言われている。

倉敷川という河川があり、舟運業が発達していて、蔵がいっぱい並んでいたから、そんな名前が付けられたと。

 

(江戸時代の書物ぽろぽろ)

 

江戸時代には天領となって代官所が置かれ、周辺の天領地をも管理する中枢的な役割を担っていた。

そんなんで発展していたのだが、幕末になると長州奇兵隊のはぐれ者連中が代官所を襲撃して一面焼け野原。

維新を迎えると1868年倉敷県が誕生して県庁がここに設置されたのだが、倉敷県はわずか3年で小田県に吸収・解消したため、焼けては無いがまた原っぱになってしまった。

 

なお小田県も1875年に岡山県に吸い込まれており、さっさと終了しております。

 

 

原っぱ状態の故郷を盛り立てるべく、3人の青年が立ち上がった!

大橋くんと小松原くんと木村くんである。

明治版 地域おこし協力隊を結成した彼らは倉敷復活のための産業研究を行い、そこに紡績業が浮上した。

 

(日本初の紡績工場である鹿児島紡績場)

 

紡績業は殖産興業の観点から、明治政府は推進しており、愛知と広島に官立工場をたてたり、英国から機材を輸入して民間に払い下げたりするなどやっていたのだが、どこも小規模工場でやっていたこともあり、いまいち成果があがっていなかった。

 

ちなみに紡績とは、短繊維から糸を紡ぐ業種だそうです。

短繊維は、綿とか麻とか羊毛。

絹は長繊維に分類され、こっちは製糸業と呼ぶんだって。

まったく知りませんでした(こなみ)

 

 

しかし青年3人に、巨大な紡績工場をつくる金などない。

だったら金持ちを捕まえればいいじゃないということで、捕まったのが倉敷の資産家である大原孝四郎。

ヒゲ長いから捕まえやすかったろう(物理)

 

(株券第1号)

 

こうして大原を社長に据え、倉敷紡績所が創業したのであった。

 

んで株券に頭取や役員の名前が書いてあるんだけど、青年3人組のうち大橋・小松原は載っているんだが、木村の名前ないのよね。

代わりに「木山」と「林」っていう、ニアピンっぽい人が載ってますけど。

もしかして、わたしたち、ハブられてる?

 

 

会社の社章は「ニ三のマーク」。

 

大原家の家訓に基づき、「1番になると慢心して油断するから、常に2番3番となって謙虚な気持ちを忘れず、トップを狙う気合を持っておく」ということ。

2位じゃだめなんでしょうか(反語)

 

 

倉敷紡績所の模型。

これがいまのアイビースクエアである。

 

 

当時の品っぽいものも展示されている。

消火用のポンプ。

火事が起きたら打ち壊しましょうな時代であったが、工場でそんなことするわけにはいかんので、自前で備えておくのです。

 

(当時の倉敷紡績所)

 

さて、倉敷紡績が発展するのは2代目社長の大原孫三郎の時代である。

1906年、27歳で社長に就任。

世の中では小さな紡績業が、大資本にどんどん買収されていく時代であったが、倉敷紡績は逆に周辺の紡績工場を買い取っていき、規模を拡大していく。

 

 

2つ目の部屋へ。

 

(万寿工場の模型)

 

さらに倉敷の万寿村というところで最新鋭の工場建築を決定。

紡績業不況の時代であり、反対も多かったがこれを敢行。

完成して出来上がった時、世の中では第一次世界大戦がはじまっており、それによる需要が莫大に生じ、新工場は大ブレイクしたのであった。

 

この大当たりが、倉敷紡績の躍進を決定的なものにした様子。

 

(寄宿舎の模型)

 

それ以上に大原孫三郎の功績は、労務環境について先進的な考えを持っていたことである。

労働者使い捨て当たり前な思想を持っている、畜生経営者が大半を占めていた時代で、倉敷紡績は労働環境の改善に力を注いでいた。

 

 

世間ではブタ箱レベルであった寄宿舎は、倉敷紡績では綺麗な住環境を提供した。

なんということでしょう。

 

 

倉敷紡績では、ゆとりのある暮らしがあなたを待っています。

 

そうそう、倉敷工場では涼しい労働環境を整えるために、建物の周りに蔦を這わせており、それがアイビースクエアに繋がっているんだと。

 

 

労働者に教育を受けさせるための学校も出来たよ。

女子教育もやっていた。

 

 

先進的な病院も。

倉敷を視察に来た後藤新平を、「片田舎になんでこんな病院が」とビビらせている。

 

 

研究機関も幾つか作っており、資金をガンガン投入している。

 

 

そのうち「社会問題研究所」という機関は、貧困の無い社会創出のための研究をする目的だったのだが、次第に左翼的思想ドップリなだけになり、完全にお荷物と化した。

資本家が社会主義者を養っている謎の構図である。

なお現在は法政大学の研究施設として改組。

 

 

 

研究所の実験風景。

なんか口に入れてるけど、なにしてるの。

人間風船でもやるの。

 

 

労働科学研究所という機関では、適性検査として、豆粒を箸で運んで器用さを測るということをやっていた。

箸が使えないと不採用だから!

 

 

なんでこうまでして大原孫三郎が労務環境に気を使っていたかというと、社会慈善活動家である石井十次と親しい仲だったというのが最大の理由。

石井は宮崎や岡山を中心に孤児院を経営しており、1000人以上もの孤児を全国から受け入れつつ彼らに教育を施していた。

 

大原孫三郎は20代の時に石井と知り合い、若き日の血気も相まってその思想にドはまりし、生涯を通じて石井の活動に多大な支援を行っている。

 

 

 

石井との話は、詳しくはこちらをご覧ください。

 

そんなんで聖人君子のような大原孫三郎だが、若い時は盛大にやらかしており、東京に出てくるも死ぬほど遊びまくって、当時の首相の年収ほどの借金を拵えている。

金持ちのボンボンでなければ、間違いなくカイジ行きである。

 

 

 

3つ目の部屋。

まだまだあるよ!(瀕死)

 

 

第一次世界大戦が終わって、次は第二次である。

好況に沸いた1回目と異なり、今度は戦時統制が厳しく敷かれ、紡績業界は統合を迫られる。

 

ただ倉敷紡績は規模がデカいので、合併する側に回って、ますます巨大化しております。

 

 

(先進的な、三重の津工場)

 

じゃんじゃん他企業を合併していき、軍の進出先である東南アジアでの紡績業。

さらに飛行機・鉄鋼・兵器・船など、総合商社ですかレベルまで業種を広げている。

もしかして、そんなに苦しんでない?

 

 

しかし規模が広がっただけ、戦争のダメージもデカいのでした。

事業所、片っ端から全焼してますけど・・

 

 

ここで本筋から離れて、重要無形文化財芭蕉布

女子挺身隊として沖縄から連れてこられた女性が倉敷紡績で働いていたが、当時の3代目社長である大原総一郎(孫三郎の息子)が、沖縄の文化に敬意をもって処遇した。

 

その女性は戦後に沖縄に帰り、倉敷紡績で学んだ技術を用いて、伝統的なこの織物を製作しているんだとさ。

 

 

 

襖の落書き。

ではなくて、世界的に著名な書家に製作してもらったものだそうだ。

 

うーん、すごい落書きですねぇ(説明ガン無視)

 

 

 

カオスですねぇ(棒)

 

 

うやうやしく机と椅子が置かれているが、昭和天皇倉敷紡績の工場を視察に来た際に、使ったものだと思われる。

 

 

 

とつぜん現代的になってきたぞ。

 

 

事業所が片っ端から焼け落ちた状態で戦後が始まりましたが、朝鮮戦争による特需で紡績業界は大好況。

あとあれだけ巨大企業になっていたのに、財閥解体とかの影響はあんま受けなかった様子。

 

そして東海地方にまで進出し、「東洋一」とも言われる近代的な工場を安城に建築しております。

 

 

東京や大阪で展示即売会もやりました。

高島屋では大型バナーまで出してもらっている。

 

なんだか君のところ、あまり戦争の悲惨さと関係なかったみたいだね。

 

 

1951年の法人売上高ランキングでは12位に進出。

この年のトップテンはほぼ紡績業と製鉄系で占められている。

現代のオリコンかな(すっとぼけ)

 

 

大阪万博では、せんい館なる奇抜なパビリオンを披露しました。

どうなってるんだこの外観。

 

 

スポーツも盛んで、女子ソフトや女子バレーは強いようです。

女子教育に昔から力を入れていることの、系譜という感じ。

 

 

 

現代に入ってくると、あとはもう企業の宣伝ですね。

事業を多角化して、がっぽがっぽしております、はっはっは。

 

 

ここまでくるといろいろ金の臭いが強くなってくるので、テキトーに。

 

 

食べ物業界にまで進出してしまった。

クラボウの進化はとまらんぜ!

 

 

最後の部屋は、やたら近未来的である。

まぁビデオコーナーなんだけど。

 

 

部屋の真ん中にある、謎の仕掛け。

 

 

円錐がぶら下がっていて、そこに白砂がはいっていて下に落ちており、円錐をぶらぶら動かすとその通りに白砂で絵が描けるっていう仕組み。

面白いけど、紡績はどこにいったのでしょうか(哲学)

 

 

以上。

 

【交通手段】倉敷駅から徒歩15分

【入館料】250円

【混雑度】★★(2~3人)

【滞在時間】60分

【URL】

www.ivysquare.co.jp