渋沢栄一生家 中の家
渋沢一族はこの周辺に分家していくらか住んでおり、その家の位置で「中」とか「東」とか呼んでいた。
ここは「中」にあたり、「中の家(なかんち)」という。
渋沢栄一は「中の家」で1840年に生まれ、20代に上京して尊王攘夷運動に巻き込まれるまで、この地で過ごした。
身長は150cm!
正面にあるのが母屋。
1895年に建て直されたもの。
座敷の中には上がれません。ケチだなぁ。
本来であれば長男である渋沢栄一が家を切り盛りするはずなのだが、上京して以来、一橋家に採用されて各地を転々としたり、パリ万博の随行員になったり、帰国して静岡に落ち着いたと思ったら大蔵省に呼び出されてバリバリ働かされたりと、深谷に戻ってくるヒマなど無かった。
渋沢には妹がいたので、妹に婿をとり、その婿殿に頑張って守ってもらったというわけ。
家の前には池がある。
また豪勢なコイを飼っていますな。
エサやり体験とかはありません。
母屋の裏側に、広大なスペースがある。
まぁ渋沢家は養蚕・藍玉づくりなど豪農だったので、当時はこれ以上に多くの敷地を持っていたかもしれないが。
記念碑っぽいものがいくらか建っている。
一番大きいものは、渋沢の養子にあたる平九郎のためのもの。
尊王攘夷運動に巻き込まれて、若くして命を落とした人です。
詳しくは「渋沢史料館」の記事に書いたので、そちらを見てください(宣伝)
奥の方にも幾つか蔵があるが、見学用ではなさそう。
敷地内には他にも建物がある。
どれも入れはしないけど。
これは正門の右手にある、副屋。
藍玉の取引をする「お店」として利用されていた。
一時期、村の農協の事務所代わりにもなっていた。
いろいろ改修されているような綺麗さである。
こちらは土蔵その1。
藍玉づくりの作業場。
ここで作られた藍玉は、群馬や長野方面に売りに出されていた。
渋沢も、13歳頃に商売の手伝いで各方面に営業に出ていたそうなので、ここで作った藍玉を背負って行ったのかもしれない。
そして土蔵その2。
中は入れないので、扉越しにせこせこと中を撮影。
なにもないわな。
これで敷地内はおしまい。
さて、帰る前にトイレに寄るか。
あれ、なにか置いてあるよ。
なんとトイレに展示室を併設しているのであった。
中の家敷地から発掘されたものたち。
そして農機具。
中の家に関する説明パネルまで。
あのさぁ、副屋とか母屋の座敷を閉鎖せずに開放して、ここの展示をそっちに移せば良いんでないの。
この扱いじゃあ、渋沢さんも深谷を出て上京してしまうのも納得です(大嘘)
以上。
【交通手段】深谷駅からコミュニティバス北部定期便で30分「渋沢記念館」下車、徒歩10分
【入館料】無料
【滞在時間】30分
【混雑度】★★(他に2~3人)
【URL】