億岐家宝物館・玉若酢命神社
億岐家は、古来から隠岐を治めていた家系です。先祖は大国主命とされ、そのあと隠岐国造・隠岐国国司となり、島民の信仰のよりどころである「玉若酢命(たまわかすみこと)神社」の宮司も務めている。
そんな権力の中枢にいた家系はお宝も持っているので、お屋敷で展示しているのです。すぐ隣に玉若酢命神社もあるので、合わせていけます。
億岐家宝物館
入館料は300円になります。内部は撮影禁止です。
宝物館は6畳程度のスペースで、億岐家の方が各展示品を説明してくれるスタイルになっています。所要時間20分かな。
収蔵品1:現存する最後の駅鈴
(駅鈴 画像はwikiから 駅鈴 - Wikipedia)
目玉商品は駅鈴です。7世紀~10世紀頃、主要な道路には「駅」が置かれて、役人は疲れた馬を預け、フレッシュな馬を借りることができましたが、役人であることの証明がこの駅鈴。風鈴の頑丈版みたいなもので、手に持って降るとカラカラ鳴ります。
(宝物館にある駅鈴2つ。wikiに画像があった 億岐氏 - Wikipedia)
古代にはそんじょそこらに駅鈴あったと思うんですが、なんと今ではこの宝物館にある2つしか現存していないのだ。溶かしてメダルにでもしたのだろうか。
当然のように国の重要文化財になっております。
(光格天皇。在位1780-1817)
江戸時代には既に貴重なものになっており、宮中に召し出されたことがあるそうです。
18世紀、当時の光格天皇(最後に譲位した天皇として取り上げられてる人)の御所が火事で焼けてしまい、再建することに。建築に当たっては古来の儀式を行うのだが、駅鈴を用いるパートがあった。
役人たちは慌てて全国へ声をかけ、隠岐にあると聞くやそれを借りて、儀式に間に合わせたんだとさ。
そんな貴重な駅鈴ですが、隠岐の島の至る所でお土産で売っていますので、御殿の再建を考えられている方はいかがでしょうか。
しかし用途が思いつきません。風鈴みたいに良い音なるわけでないし。侵入者が来た時に投げつけるくらいでしょうか。
所蔵品2:日本に3つだけ残っている倉印
(倉印。画像は隠岐の島町HPから 国指定文化財 |隠岐の島町)
もう一つの貴重な展示品は「隠伎倉印」。印鑑です。
奈良時代の税金は米とか布ですが、一般ピーポーから徴収したそれらを倉庫にしまっておくんですね。んで出し入れする際の出納簿に、この倉印を押してたそうです。
(倉のイメージです)
倉印は隠岐のほか、駿河(静岡)と但馬(兵庫)の計3つしか現存しておらず、貴重なものになっています。
なお3つの倉印を合わせて「三倉印(さんそういん)」と呼んでおります。3人揃ってサンソーイン!戦隊ものかな?
玉若酢命神社(とドジっ子ヘビ伝承)
宝物館の次は、すぐ隣にある神社へ。現地にあった説明パネルによると、隠岐の総社として建築されたので、島で一番偉い神社ですね(適当)
創建年代は不明だそうですが、『日本三大実録』という平安時代の歴史書で9世紀頃に登場しているような記述があるそうな。
神社のタイトルになっている「玉若酢命(たまわかすみこと)」は、隠岐の開発に携わった神だそうです・・が記紀に名前は出ていないのでどういう人物か分かりませぬ。
12代目 景行天皇が各地に皇子を派遣しまくっており、そのひとり大酢別命が隠岐にやってきて、その息子が玉若酢命だそうな。
なお景行天皇はヤマトタケルの父なので、玉若酢命はヤマトタケルと叔父・甥の関係になりますね。まぁ景行天皇には80人の子供がいたそうなので、いちいち親族カウントしていると凄い混乱しそうですが。おみくじでも引いて心を落ち着けましょう。
引いたおみくじを結ぶところが無いんですけど・・あの草木に括り付けちゃって良いんですかね。田舎の神社は大らかですねぇ。
境内には樹齢1000年にもなる杉の大木がそびえたっています。人魚を食べて寿命が800歳になったという八百比丘尼が参拝しに来た時、植えて行ったと伝えられています。
八百比丘尼も1000年後の人類がスギ花粉で苦しむなんて思ってなかったでしょうね。
もうひとつ伝承がありまして、木の中からすすり泣く声が聞こえるというもの。ホラーかと思いきや、中にいるのは大きなヘビで「昼寝をしている間に木が成長して出られなくなってしまった」ので泣いてるんだそうな。ドジっ子かな?
そんなんでした。おしまい
【交通手段】西郷港から車10分
【混雑度】★(誰もいない)
【滞在時間】計60分
【URL】億岐家住宅・宝物殿|隠岐の島旅