隠岐郷土館
隠岐のメインスポットの1つ(?)、島の郷土資料を扱う博物館です。農業・民芸から歴史、さらに竹島まで幅広く扱っております。
建物自体は1885年の建築で、隠岐の郡役所として使われていた洋館です。1970年に博物館としてオープンしました。
入場料は300円です。すぐ隣の五箇創生館との共通割引券もあります。
12月~3月は基本やっておらず、どうしても行きたい場合は要問合せのようです。
展示1 竹島に特化した展示室
入館して最初の部屋は竹島部屋となっております。開幕から政治主張が来るとは思わなかったのでパンチの強さに笑ってしまった。竹島も隠岐も同じ島根県ですからね。
室内のビデオでは、某国の主張を片っ端から取り上げて論破しております。
竹島と隠岐は距離150kmくらい(韓国本土からは200km)。戦前は隠岐の島民がよく漁に行っていたそうです。1905年に日本へ編入させており、現地には我が国領土であることを記した立札がありました。
「竹島の石」が展示されております。庭石にちょうど良いという理由で現地から持って帰ってきたようですが、思わぬ貴重なものになってしまいました。
今では某国の戦闘漁民が周辺をうろついており、エンカウントしてしまうので近づけません。
展示2 明治天皇の講師 中沼了三
歴史コーナー・・というかほぼ幕末なんですが、隠岐出身の偉い人が紹介されています。
中沼了三さん。明治天皇や孝明天皇の侍講(講師)を務めたほか、戊辰戦争では新政府軍の参謀をやったり、大久保利通や西郷隆盛と繋がって勤王派の主要人物になったり。意外とすごい人が隠岐にいました。隠岐島民が「大河で取りあげて運動」を行わないのが不思議でならない。
しかし写真が残っておらず、ファミコンのドット絵強化版みたいな肖像しか無いのが悲しいですね。ロケ場所もNHKが面倒くさがって全部京都になるかもしれない。
新政府では三条実美と対立して辞職し、そのあと神風連の乱とかクーデターへの関与を疑われたりしたので、なおさら主役として扱うのが難しいかもしれません。
展示3 隠岐から本州まで木舟で行ってみた
館内まだあるんですけど、屋外展示が面白かったので先にこちらを。
1981年に松江市の小学校教員11名が、旧石器時代頃の丸木舟で「隠岐から本州まで渡る」チャレンジをしたのだ。どうしたの君ら。青春の欠片を追い求めてるの?
(黒曜石)
「古代から隠岐と本州では交易が行われていたのだが、当時は丸木舟しか無く、それで海を渡れたのか」を検証するためでした。当時の石器文化に欠かせない黒曜石が隠岐で採れたので、これが交易の中心商品になっていたようです。
勢いに乗ってしまった教員たちは、なんと丸木舟を自ら作るところから始めたのだ。2カ月かけて木を手掘りしたらしい。 生徒たち唖然としませんでしたかね。
隠岐の西郷を出港し、島前により、本州の七類港を目指しました。めっちゃ浸水して死にそうだったようですが、途中の港で休憩を挟みつつ、2日間かけて走破したのです。結論「意外と何とかなる」。
辛坊治郎みたいに海自のお世話にならんでよかったですね。
ちなみに屋外には江戸時代に建築された「都万目の民家」もあり、自由に見学ができます。都万目で「つばめ」と読むらしい。難読すぎる。
中は電気ついておらず、雨の日に行くとただのホラー屋敷探索になるので気を付けましょう。 フラッシュ焚かないと何も見えないよ。
展示4 民芸やら農具やら
館内に戻って残りの展示物を見ましょう。2Fは農具や民具の物置資料室になっており、島で使われていた多様な道具が見られます。
これは「がしん俵」。飢饉のときに備えて稗を詰めて保存しておくのだ。数年間も持つらしい。
隠岐は他の地方との交流が難しいので、飢饉発生時の食べ物融通が出来ないんですな。普段からの備えが命を救うのです。でもアルファ米って美味しくないよね。
しかし飢饉に備えながらも、焼酎をつくる鍋はちゃんと保持しているのだ。どんなときでもアルコールは忘れない。すばらしい精神である(アル中の錯乱)
最後に「きゃあくそ」というパワーワード極まりない道具を見ましょう。
鳥獣被害が無いことを祈って行う正月行事「鳥追い」というのが全国的にあり、歌をうたったり注連縄を燃やしたりします。隠岐ではさらに楢の木の枝を取って両側をささくれ状態にして「きゃあくそ」を作り、まな板の上に載せた七草をこれでボコスカ叩くらしい。叩くときに「きゃあ!クソ!」とか言ったりはしません。
というわけでした。おしまい
【交通手段】西郷港から車20分
【滞在時間】60分
【混雑度】★★(館内に他に数人)
【URL】