神奈川Cスポ探索日記

C級スポット探索日記

旅行ブログです。地域別カテゴリは最下段から。

隠岐郷土館

 

こちらは隠岐に関する郷土資料館である。

1885年に建築され、1968年まで役所として利用されていた建物を使っているそうだ。

 

 

 

受付はこの建物の右手にあるお土産屋みたいなところ。

入館料は300円だが、隣接の五箇創生館とのセットで650円。

 

 

天気が悪いことも相まって、館内は結構暗かったので、ぼやけた写真もありますが許してクレメンス。

 

 

まずは入って左手方向の廊下へ。

 

 

最初の部屋。

 

 

竹島に関する部屋だった。

隠岐竹島島根県である。

 

 

隠岐に関する郷土資料というふんわりしたものを予想してたら、開幕からナショナリズムがんがんで、油断していた取材班は完全に面食らうのであった。

 

 

1930年代~40年代頃は隠岐島民が漁で竹島まで行っていたようで、その時に撮影された写真であるとのこと。

明治政府は1905年に島根県編入しており、某国が一方的な領有宣言を行ったのは1952年である。

 

 

その頃に持って帰ってきた竹島の石。

政治問題はまだ無かったので、島民が庭石として使っていたものである。

 

 

 

TVではドストレートな解説映像が流れております。

 

 

隣の部屋。

 

 

ここからは普通の郷土資料。

隠岐出身の歴史的人物というと、中沼了三が挙げられる。

 

幕末の時に京都や奈良で塾を開いて西郷従道中岡慎太郎を教え、明治維新後は天皇の講師となった、すごい人である(ボキャ貧)。

 

 

まぁRPG的に言うと「中ボスの1人を倒すために必須なアイテムをくれる村の古老」くらいの重要度と思っておけば良いんじゃないですか(大雑把)

 

 

 

中沼了三のように隠岐から上京した秀才は少なくないのだが、幕末では彼らが勤王攘夷運動の思想を受けて隠岐に戻り、島根藩からの独立運動を指揮。

1867年、島根藩の役人を島から追放する「隠岐騒動」が発生し、瞬間的に隠岐自治国になった。

おめでとうございます。

 

 

しかし当然のように島根藩からの逆襲を受け、自治政府ぐちゃぐちゃ。

直後に薩摩・長州が仲裁もとい島根藩を恫喝に来て騒ぎは収められ、一時的に隠岐自治が行われたが、結局は島根県管轄ということになって自治終了。

 

鬱憤が溜まった島民たちは、このあと廃仏毀釈の流れが発生した際、支配階級であった寺院の仏教グッズを破壊しまくることで鬱憤を晴らしたのであった。

 

 

 

神道系の墓。

仏教の墓と比べて細く、頭が三角形である。

 

幕末の動乱で亡くなった志士については神道墓で葬るようにと、明治天皇からお達しがあったらしく、よって該当者の墓はこういうスタイルである。

 

 

 

隠岐丸という船の写真。

1878年に建造されたのを大阪の商船会社が購入したが、このあと隠岐汽船の手に渡り、同社による隠岐-本土航路に就航した第1号となった。

 

 

入口の方に戻ると船があったので隠岐丸かと思ったら、これは北前船だった。

 

 

1Fのもう片方の部屋。

 

 

先ほどの部屋は人物に関する郷土資料だったが、こちらはモノとしての資料である。

隠岐ジオパークを名乗っているので、まんま石の展示。

 

 

へぇ~すごいすごい。

 

 

隠岐のうち島後の模型。

 

 

ボタンを押すと該当地点が光りますが、最後のメンテはいつだったのかな?

 

 

 

隠岐はもともと海底に沈む島であったらしい。

 

 

火山活動により隆起し、海上に顔を出した。

このあと一時期、本土と陸繋がりになったが、海面が上昇して連絡路が水没し、現在の形となっている。

 

 

島では闘牛が行われている。

夏季の間は週に2回程度の高頻度。

非常に見たかったが、残念ながら日程が合わなかった、無念。

 

 

英語だと「BULL相撲」として紹介されている。

BULL FIGHTじゃないのだろうか。

 

 

パチンコかと思いきや、闘牛ごっこの道具らしい。

頭に付けて突き合うのだろうか。

 

 

土器もいろいろ。

古墳も存在しているので、古代から人は居たようである。

 

 

2Fへ。

 

 

このフロアは農具や民具ですね。

 

 

「がしん俵」というもの。

がしんとは飢饉のことであり、それに備えて数年間長持ちするヒエをこうして保存しておいたそうな。

 

米は年貢で取られてしまうし、自分達の毎日の食事で費やすので、保存するだけの余裕はなかったのかもしれない。

 

 

 

着物は麻で作った。

冬用の作業着だが、絶対寒いだろうこれ。

 

 

麻は繊維をほぐして使うが、その前の蒸す段階で使用する道具「麻ごしき」。

説明図が下にほったらかされている。

 

 

 

広げてみた。

右上→右下→真ん中→左上→左下、という順序で仕事をするようだ。

 

 

ハレの日用の民具。

普段はもっとボロを使っており、重要な日のためのもの。

 

 

自家製焼酎を作っていたのだろうか(垂涎)

 

 

「きゃあくそ」という、ろくでもない名称の道具。

 

正月6日の晩は、稲を食べる鳥を田んぼから追い払う儀式「鳥追い」が全国的に行われる。

隠岐では、ナラの木の枝を用意して、こんな風に両端をバラつかせ、まな板の上に置いた七草を叩いてお祈り事をするそうな。

 

なお、なぜキャアクソと呼んでいるのかは不明。

 

 

2Fの反対側の部屋は、一般的な民具だったので割愛。

 

 

 

なんだこのキャラは。

 

 

気になるドアの部屋があったが、閉められていた。

展示が中にありそうではあるが。

 

 

館内はこれで終わり。

 

 

 

裏に蔵っぽいのがあるけど、入れない模様。

 

 

丸木舟が置いてある。

「からむし2世号」という船だそうだ。

 

1981年、松江市の小学校教員達がこの船で隠岐→本土を航海するという、トンデモなことを成し遂げている。

 

 

 

縄文時代隠岐から本土へ黒曜石を輸出していた形跡があるのだが、当時の丸木舟で本当にその距離を航海できたのか不明であったため、実際にやってみたとのこと。

どこかのジャーナリストみたいに、海上で救出されなくて良かったですね。

 

 

 

屋外展示がもう一つ。

 

 

消防の道具であるようだが、説明が無かったので詳細不明。

 

 

あと坂を登ったところに、古民家がある。

これも郷土館の一部。

大型の農家住宅だ。

 

 

灯りが無いのですごい暗い。

 

 

フラッシュ焚いてみた。

これで良く分かる。

郷土館もフラッシュで撮ればよかった(後悔)

 

 

佐々木家住宅と同じく、槍を備えている。

やはり「いざ後醍醐!」をやるのは島内共通認識だったのだろうか。

 

 

床の間は違い棚が無い分、結構シンプルにみえる。

ここに上客を通したそうな。

 

 

重要な時に使う正面玄関も、シンプルな造り。

 

 

土間横のスペースは家族が使う部屋である。

 

 

ここは「部屋」。

寝室や納戸として利用される。

 

 

土間のかまど。

右にある大釜はあまり見たことが無いが、祝い事の折に餅つきや味噌煮を作るので、その際に起用される。

 

 

派手な装飾があまり無いが部屋数は多いので、やはり大型農家である。

 

 

しかしトイレは土間の入口付近にあるのが隠岐スタイル。

下手に玄関をくぐったら、家主と「おは便所」してしまうので、訪問時は十分に注意である。

 

以上。

 

 

【交通手段】西郷港から車20分

【入館料】300円

【滞在時間】60分

【混雑度】★★(館内に他に数人)

【URL】

oki-dougo.info