東京都埋蔵文化財センター・縄文の村
多摩センターにある、東京都の埋蔵文化財センターに資料室がある。
また遺跡庭園として「縄文の村」が併設されている。
多摩センター駅から徒歩5分、ピューロランドのとなりです。
敷地入口にいきなりこんなオブジェ。
雨水の排水路っぽいが、古墳アピールだろうか。
こちらは江戸時代の井戸。
江戸時代の木製の水道管。
木製なので、水が漏れたり、雑菌が入ったりは日常茶飯事である。
資料室は2F。
入場料は無料です。
入口すぐ左側に居た人。
肉食系男子らしい。
あぁ、そうですか。
多摩ニュータウン周辺の遺跡の位置を示している模型。
オレンジの球体があるところが、遺跡の位置。
大量にありますな。
資料室へ。
1985年の設立だが、綺麗な内装である。
石器によく利用された黒曜石についての展示。
黒曜石は、粘度の高い流紋岩質のマグマが、地表に噴出されて一気に冷やされたもの。
ガラス質で鋭利なため、ナイフや矢尻として重宝された。
しかし山地が限られており、東京周辺では神津島(こうづしま)産のものが9割を占めているそうな。
ずいぶん遠いところから持ってきている。
大きい塊で、各地へ運んでいる。
遺跡によってはこの塊が多く見つかっているところもあるので、そこは中継地点としての役割があったのだろう。
定住がはじまったばかりで、狩猟がまだ中心の社会ではあったが、こうした地域間交流が既に存在したと言うこと。
これを根拠に、縄文時代に商人が存在した説もあるのだが、さぁどうなんでしょうね(雑)
火山灰が降り積もったローム層、この地域では4mもある。
その凄さを表すため、土をたくさん積んでみたのだが、4mやろうとすると建物自体が埋もれてしまうので、ひとまず床から天井までにしました、という展示。
落とし穴。
イノシシがかかっている。
底には竹を埋めており、落ちたイノシシの足に絡まって動けないようにしている。
八王子にある遺跡の、落とし穴の位置を示した図。
ちょっと掘り過ぎじゃないですかね。
昨日掘った穴に、自分がハマりそうである。
天井には時代順に土器の写真が貼り付けられていますが、気づく人はあまりいないようです。
土器ぞろぞろ。
さわれます。
実際に触れる資料館はなかなか無いので、さすが東京都である。
ただ奥の方に置いてある土器には、手が届きません。
多摩丘陵の縄文遺跡を復元してみました模型。
なぜかバックは現代の多摩ニュータウンでお送りしております。
ここにも落とし穴。
木をくり抜いた丸木舟は縄文時代おなじみであるが、こんなちゃんとした船着き場もあったのだろうか。
模型の遥か情報に、なにやらグラフが置いてあるが、遠くてよく見えません。
縄文土器のやたら凝った装飾は、どうみても祭祀用にしか思えない。
しかし土器内に食べ物の痕跡がみられるなど、煮炊きに使っていた節がある。
こんな口元が波打っている器でどうやって食べるんだろうか。
とにかく縄文土器の装飾性は謎に満ちている。
弥生土器さんのご登場です。
弥生土器に装飾性が無いのはお馴染みだが、器の厚さも薄いようである。
こっちは縄文土器。
たしかに分厚い。
安定の石棒。
このスタイルの竈は古墳時代に登場。
家の内壁に粘土や石で作りつけている。
こんな仕組み。
甑という器・蒸すという選択肢が出現した。
甑は蒸気が器に入ってこれるよう、底に穴を穿っている。
古墳時代グッズいろいろ。
鋤は、柄を木製にして、先端に金属を付けているようだが、これ先端部分すっぽぬけないですかね。
粘土を地層から掘っているときに、ワラジが粘土にハマって取れなくなり、その跡が残っていたというもの。
現代人もセメント固め中に足跡を残せば、未来人に見つけてもらえるかもしれない(近未来ロマン)
時代が飛んで平安末期。
勃興しだした武士たちは、仏教経典をこんな筒に入れて、それを納めた経塚をつくり、その大きさで勢力の規模を誇示したんだそうな。
突然縄文時代にもどりますが、土鈴を鳴らす音をここで再生できます。
江戸時代の羽子板。
持った途端に折れそう。
高い下駄。
背が高くなる効果があるので、現代のハイヒールに相当するかも?
この資料室の中には企画展要素もあります。
今回は東京の離島関係。
これはオオタツノハという貝で、耳飾りなどの装飾用品に使われた。
オオタツノハから作る装飾品は憧れの品だったらしい。
縄文時代版シャネル。
こんな感じで貝を分割するそうな。
これは神津島沖で発見された、江戸時代に難破したと思われる船の積み荷。
北前船とか海運が流行していたが、命がけの時代である。
タコもいます。
江戸時代の船かと思ったら、マーシャル諸島の巨大カヌーだった。
もはや埋蔵文化財ではないのだが、戦前に皇室に献上された貴重なものなので、海繋がりでついつい出展されてしまったのだろう。
船とセットで献上されたものだが、海図である。
海流を竹で表している。
目的地にはタカラガイを括り付けている。
本来は他にも色々括り付けて、もっと情報量のある図になっているらしい。
いずれ、海流や風の動きを把握したうえでこの図を作成しているので、相当の知識が必要とされるであろう。
これらは大島でみつかった土器。
復元されて綺麗な状態になっているが、現地では打ち割られた状態であったらしい。
火山の神に捧げるという趣旨で、ぱり~んしたと考えられている。
この展示室はこれでおしまい。
反対側の資料室へ向かう。
ここは体験ゾーン。
模様のパターンはこちら。
ここでも土器に触ることができる。
貴重な機会である。
火おこし体験。
実際に発火したらどうするんですかね。
土器の復元パズル。
縄文人が食べていた、ドングリに関する展示。
茹でで灰汁抜きするのが一般的。
ドングリを砕いて調理することもしていたようだが、その砕く部分を体験できるコーナー。
石鉢のうえにドングリを置いて、石で打つ。
簡単そうに見えるが、ドングリめちゃめちゃ固いので、かなり難しい。
私はまったくできませんでした(貧弱)
ナッツアレルギー持ちの人には配慮してくれるので、早めに言いましょう。
ご丁寧にクッキーレシピもあるが、そもそも砕けない勢には関係ないですね(僻み)
縄文時代の着物。
麻製だと思われる。
ファッションショー。
どうみても無印良品です、ありがとうございました。
入口の「肉食系男子」といい、ちょくちょくネタを挟んでくるようである。
札も付いていますが、値段はプライスレス。
というか自分で作れというメッセージかもしれない。
まだ奥に展示があります。
これまた土器の復元パズルのコーナー。
こんな感じかな(適当)
縄文時代のおもちゃだろうか(すっとぼけ)
この木の実をボールとして使うようだ。
スタート地点の穴に入れたけど、あれ?
今月の一品はこちら。
蛇の紋様を描いた土器は多いが、サンショウウオと思わしき柄が付いている土器もあり、ただいま研究中とのこと。
クレーンゲームがあるぞ。
まぁプレイは出来ませんが。
遺跡から発掘された、大量の土器の破片である。
「一見何の価値も無さそうだが、この中に貴重な情報が眠っているかもしれないので、それを探索するのが埋蔵文化財発掘である」という意味がいちおう込められている。
唐突に拉致問題のポスター。
ガラスの向こうに、土器の保管室がある。
展示しているのはほんの一部であるというアピールであろう。
保管室への扉は、どうみても厳重そうである。
土器制作用の粘土を掘る人の図。
地下3mに達していた個所もあり、粘土を得るための縄文人の気合っぷりを示している展示なのだが、あまりそういう感じがしないんだよなぁ(直球)
一番奥まで来たのだが、ただの休憩所であるようだ。
完全に図書館の自習机である。
館内はこれでおしまい。
最後にアンケートを書くと、オリジナルのクリアファイルがもらえます。
ただ性別欄が、男性・女性・その他になっているんですが。
館内はようやく終わったが、そとに縄文の村があるんだった(疲労)
園内マップ。
復元住居は3棟あるようだ。
1棟目は入口すぐにある。
暗い。
昼間なのにすごい暗い。
火が焚かれているが、これは時期によってまちまち。
なお縄文人は煮炊きは必ず屋外でやっており、屋内では調理しなかったそうな。
にもかかわらず屋内の、しかも家の中心で火を焚いていた痕跡があり、これも祭祀的な要素かと考えられている。
この住居に関する説明。
右下に紙があり、ぱっと見おなじ内容を書いているように見えるのだが。
よくみると、木の板では敷居住宅の流行時期を「4200年前」としているのに対し、紙の方では「4500年前」となっている。
つまり木の板の記載内容を、紙が修正しているのだが、なんだか分かりづらいやり方になっている。
庭園を進んでいく。
便所(直喩)。
左にいくと湧き水があるのか。
湧き水の方へ。
枯れていた。
2軒目の住居へ来た。
さっきの住居は見えづらかったものの、床に石を敷き詰めていた。
こちらは土間スタイルな模様。
そしてやはり家の中心に炉を置いている。
天井を見ると、屋根裏っぽいスペースがある。
物でも置いていたのか。
またこの家で4~5人住んでいたようで、だいぶ狭いからロフトで寝る形式を採用したのだろうか。
三軒目。
暗い、以上(適当)。
入り口方面へ戻ります。
ところどころ縄文土器の巨大版が置いてありましたとさ。
以上。
【交通手段】多摩センター駅から徒歩5分
【入館料】無料
【滞在時間】2時間
【混雑度】★★★(一部屋に数人)
【URL】東京都埋蔵文化財センター