C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

旧堀切邸

 

旧堀切邸は、福島市飯坂温泉にある屋敷跡である。

 

 

江戸時代から当地に住む豪商農 堀切家の邸宅跡を、観光地として2010年に整備したもの。

4000㎡あるからデカいのだが、もともとはこの2倍の敷地面積であったらしい。

 

 

入場は無料です。

 

 

入って右側にあるのは案内所になっている、離れ。

 

見るからに新しい。

江戸時代からの邸宅ではあるが、古くから残っている建築物と、観光地として整備したときに新築したものが同居している模様。

 

 

さっきの表門は、昔からある建造物の1つ。

 

 

 

門を入って正面に見える「十間蔵」は一番古く、1775年に建築された米倉。

 

 

 

中身。

県内では最大規模、最古レベルのもの。

 

 

そんな名誉ある蔵では、昔の遊びができます。

スペースあるからね、ダイナミック駒回しとかできるんじゃない(適当)

 

 

 

蔵の窓は重厚である。

 

 

十間蔵のとなりにある小屋。

 

 

使用人の休憩所として使われていた。

囲炉裏もある。

 

 

 

奥の方へ。

 

 

さっきの十間蔵を後ろから見た図。

 

 

この柱、必要あるんだろうか。

樋管ではなさそうだが。

 

 

井戸小屋。

 

 

井戸にはふたがされて、東屋になっている。

 

 

 

舞台みたいなのがあるな。

 

 

土蔵が建っていたそうだが、イベント用に変身した。

半日で1200~1600円で借りられるそうな。

 

 

 

横に付いている部分は利用者が待機室として使うんだと思うが、会議室もあるらしい。

どういう会議をここでやるんだろうか。

 

 

 

音響装置も付いているので、ライブハウスつかえないバンド勢は検討してどうぞ。

 

 

あの大きな施設は、足湯。

 

 

飯坂温泉の源泉からひいています。

タオルは案内所である離れで借りられるので、安心。

 

なお飯坂温泉の源泉はスーパー熱いのだが、ここも50℃くらいある湯を引いてきている。

ただ足湯の位置ではさすがに40℃まで下がっているので、悶絶することは無いだろう。

 

 

 

これはなんだろうか。

 

 

トイレだった。

 

 

あと残っている建物は、住居である主屋。

1881年の建築だが、そのあと何度か改修している。

 

 

 

館内図。

 

 

 

4畳程度が7部屋ある。

 

 

当時の部屋の用途。

各部屋、半日500円で借りられる。

研修するには、4畳は狭い気がしますがね。

 

 

 

そういえば正面玄関はこれ。

表門から入って左手にある。

 

 

その正面玄関から入ると、この取次の間にでる。

 

 

通り間。

奥に来客用の座敷があるので、そこへの中継地点。

 

 

 

中の間。

書院造になっているので、来客用の部屋と思われる。

 

 

こけし

県内では土湯温泉こけしで有名らしいのだが、近隣である飯坂にもその波及があったのだろうか。

 

 

シャレオツな欄間。

通り間側には意匠がなかったので、やはりお客さん用な感じ。

 

 

 

こっちは納戸。

 

 

物置なはずだが、それだけだと飾り気がないので、襖に絵を貼っております。

 

 

ここは裏部屋。

物置や使用人部屋という感じがする。

机は現代のもの。

 

 

館内には冷房装置ががんがんについているので快適です。

さすが豪商農の家。

 

 

一番奥に2部屋ある。広い。

手前が奥座敷で、向こう側が次の間。

 

 

この奥座敷が、来客を迎えるための最も格式高い部屋だろう。

習字でかいっすね(こなみ)

 

 

右側の襖は、一部分だけやたら豪勢な造り。

 

 

欄間も相当気合はいってますね。

 

 

外に蔵がある。

入ることができます。

 

 

これは新蔵。

1887年建築で、敷地内の蔵では最も新しいので、新蔵と呼ばれている。

中に展示されているのは、堀切家の歴史。

 

堀切家は16世紀に、もともと福井県にいたところをこっちに移住してきた。

当時は堀切さんではなく、梅山さんであった。

とはいえ武士階級以外は苗字を公の場で使うことを禁じられていたので、公的には苗字名無しさんではあったのだが。

 

 

苗字帯刀を許されたので、大名行列みたいなことをやって自慢する堀切氏)

 

堀切と言うのは地名で、近くの川が氾濫したときに堀を切って堰き止めたことに由来している。

 

1742年になると苗字帯刀を許され、公的に堀切家と名乗ることにした。

苗字帯刀は有力な町人百姓に特別に許されるものだから、この時代に堀切家はよほど地域で力を持つに至ったのだろう。

 

 

 

 

蔵は他にもあるので、新蔵からそちらに移動する。

トイレに行きたいわけではありません。

 

 

こちらは道具蔵。

文字通り、家具什器をしまうところ。

 

 

外からみると、こんな感じ

 

 

ここでは堀切家の人々を紹介している。

 

 

14代目当主 堀切良平。

江戸時代ですでに豪商農としての地位を確立していた堀切家は、明治になっても地域に多大な影響を及ぼす。

 

この人は私塾の開校・災害復旧をはじめとした寄付をじゃんじゃん行い、明治草創期の

飯坂町を支えたそうな。

福島県議にも就任し、その影響力が周辺地域にも及ぶことになる。

 

 

 

15代目の堀切善兵衛は、慶応卒・ハーバード留学。

衆議院議員となり、大蔵大臣秘書官として「財政立て直しダルマ」である高橋是清を補佐したり、政府要職を歴任するなど、実は大物である。

 

ただ戦時中はイタリア大使として日独伊三国同盟の成立に関わったため、戦後は公職追放されてしまった。

あらあら。

 

 

 

慶応に居たので、福沢諭吉と知り合いである。

写真中央の福沢の左側に座っている。

 

 

 

堀切善兵衛の弟である、堀切善次郎

兄は議員になったが、こちらは内務省に就職した官僚で、のちに神奈川県知事・東京市長を務めた。

兄弟そろってすさまじいな。

 

あともう一人、五男が衆議院議員になっており、「堀切三兄弟」と呼ばれていた模様。

 

昭和天皇に説明する堀切善次郎。顔怖い)

 

ちなみに早稲田の中学・高校の校長にも就任している。

兄は慶応なんですが、兄弟で早慶戦したんですかね。

 

 

 

奥の方に旅行ケースおいてあったけど、特に説明が無かった。

堀切家伝統のケースなんだろうか。

 

 

あともう一つ「中の蔵」という蔵があり、展示物がこの中にもあると思うのだが、このときは何故か閉まっていた。

 

 

 

主屋おしまい。

出口に向かう途中でこんな部屋があったが、実際に使っているのだろうか。

施設の稼働率をあげるために、わざわざ設置したのかもしれない(疑念)

 

 

 

帰りは裏門から出ることにする。

表門と違って、こちらは新しく設置したもののようだ。

 

あと堀切家はこのように大変な権力をお持ちであったが、東京の堀切菖蒲園とは関係がありませんので悪しからず。

 

 

 

以上。

 

 

【交通手段】飯坂温泉駅から徒歩10分

【滞在時間】45分

【混雑度】★★★(園内にまばらに人が居る)

【入館料】無料

【URL】旧堀切邸公式ホームページ | 福島市 観光文化交流施設