神奈川Cスポ探索日記

C級スポット探索日記

旅行ブログです。地域別カテゴリは最下段から。

草加市立歴史民俗資料館

 

草加駅から徒歩10分弱程度の距離にある、草加市歴史民俗資料館。

どう見ても学校跡だな。

 

 

1926年に建築された草加小学校の西校舎。

1923年の関東大震災を受けて、耐震・耐火性能を強化させまくった、埼玉県初の鉄筋コンクリート校舎となった。

おかげで木造校舎の倍以上の建築費用が掛かったという。

 

 

 

小学校自体はどこ行ったのかと思ってたら、この裏側にあった。

1982年にこの校舎を資料館として切り離し、その2年前に北側に新校舎を建てている。

 

 

 

入場は無料。

受付を通って、1Fの展示室。

 

 

中は改装しているので、真夏だけど冷房も効いている。

なお草加市では市内の全小中学校の教室にエアコンを設置しています。

えらい偉い。

 

 

この部屋は縄文~江戸までの歴史展示だから、時代順に見ていくのがいつものパターンなのだが、部屋の半分くらいを草加宿が支配していて目につくので、先にこれから。

 

 

手作り感が爆発しているジオラマ

 

草加宿は日光街道奥州街道の宿場町。

江戸の日本橋がスタートで、次が千住、その次が草加

 

草加宿の平面図。書き忘れた事柄は付箋でカバー)

 

草加の付近は沼地が多く、江戸から日光に行くにはこの辺りを大きく迂回しなければならなかったのだが、1606年に草加の大川図書(ずしょ)という人が湿地を土・草木で埋め立てまくって通れるようにした。

 

時の将軍 徳川秀忠(弱そう)はたいへん喜び、「草を加えて埋立をしたから、ここは“草加”」と命名をしたという。

あれ、土や木は?

 

 

そういうわけか、大川家は草加のボスみたいな立ち位置。

3つに分家して「打出(うちで)大川家」「中 大川家」「下 大川家」の「三大川家」により運営されていく。

 

しかし大中小と、ややこしい名前だな。

 

 

打出とは、こういう意味だそうです。

「大 大川家」ってやると本当にややこしいので、「大」の代わりに「打出」を使ったのかもしれない。

 

 

大川図書の埋立作業が1606年のことで、街道が整備されて人が集まり始め、幕府により正式に宿場町として認定されるのは1630年のこと。

 

だから「草加開宿400年」は、まだあと10年後くらいの話なので、盛り上がるのは早いと思いますが(困惑)。

まぁ開宿に着手したのは1606年ですがね。

 

 

大川家(中)のヒストリーが綴られております。

 

 

 

なぜか当主が没したことばかり書いているけど。

これ作った人、大川家嫌いだったんだろうか。

 

そして1750年には本陣を清水家に取って代わられている。

悲しいなぁ。

 

 

 

しかも清水家、打出大川家の目の前である。

後ろには大川家(中)もあるし。

こりゃ修羅場ですな。

 

 

大川家(中)の屋敷模型。

明治天皇が巡幸の際に宿泊したんだと。

 

 

 

さっきから(中)ばかり取り上げられているけど、なぜだろうか。

他の大川家についてあまり情報が残ってないのかしら。

 

 

屋敷の往年の頃の写真。

1992年に解体されて、もう無いそうです。

残念。

 

 

 

というわけで、家の中にあったやつを手当たり次第持ってきて飾っております。

 

 

さて、時代が前後するが、古代の展示。

古墳時代頃には定住がはじまったと考えられているが、見つかっている品が祭祀用ばっかりなので、住家よりも祭祀場として利用されていた可能性。

 

 

 

丸太を1本くり抜いてつくる丸木舟なのだが、悲しいことに端っこの部分しか見つかっておらず、思いっきりぶっ壊れた感じになっている。

 

 

お面ぞろぞろ。

 

 

そのお面の後ろにぽつんと置いてあるのが、草加で最古の板碑だそうです。

 

 

顔が黒い人の面、ではなくて、面の裏側である。

 

額に「龍右」と打ってあるのだが、これは戦国時代の高名な面打ち師である石川龍右衛門のマーク。

豊臣秀吉石川龍右衛門に「雪・月・花」の3つの面を製作させて、そのうち1つが行方不明になっており、それがこれではないかということ。

 

とまぁ、そんなお値打ち物がこんなところにあるわけないのだが、とりあえず盛り上がっておこうということらしい。

 

 

打出大川家の本陣跡は、今では立派な高層マンションになっている模様。

 

 

隣の展示室は、農具だらけ。

お決まりのパターンですな。

 

 

 

展示というより、放られていると言った方が合ってそうですな。

 

 

舟。

 

 

こんな感じで、釣りに出ていました。

 

 

体験学習できるってよ。

置いてある船に座るだけだけど。

別に底抜けたりしないだろうが、一応定員制です。

 

 

民具も置いてある。

 

 

ただそのコーナーに置いてあった写真は、やたら近代的。

1962年の松原団地の模様である。

東洋最大の団地と言われた松原団地は1962年に入居開始されたので、まさに新品の頃の写真。

 

団地だから安いんかと思ってたら、1世帯の月額家賃が大卒初任給程度だったとのこと。

今の感覚でざっくり当てはめると、1DKで月額10万円くらい。

 

 

 

ようやく出てきた草加せんべい

現在の煎餅の発祥は、草加にあるといっても過言ではないらしい。

 

草加宿で「おせん」という婆ちゃんが、団子を平らにして焼いて売り出したのが始まりとのこと。

 

 

煎餅の原料はうるち米であるが、草加は米の生産地。

また醤油で有名な野田が近くにあるので、まさに煎餅のための立地である。

今でも60軒以上の煎餅屋が市内にあるらしい。

 

 

作り方。

米粉を練ってセイロの中に詰めています。

 

 

 

蒸しています。

 

 

蒸したら、また練ります。

 

 

 

型抜きで煎餅の形にして、乾燥させる。

 

 

あとは醤油を塗りつつ、焼いて完成である。

 

 

焼くときに、左手に「押し瓦」という道具を持っている。

煎餅は焼くと膨らんで来るので、それを抑えて形を整えている。

これでパリッとした食感になるそうな。

 

ちなみに浦和の民家園にあった煎餅屋では、押し瓦ではなく網でこれをやっていた。

瓦ほど圧力が強くないので、網でやると軟らかめの煎餅になるんだと。

 

 

よって煎餅と言えば草加なのであるが、展示では「埼玉三大銘菓」と言いつつ、三番目に自らを置いている。

ここはトップに置いて良かったんじゃないっすかね。

 

 

 

草加地場産業では、煎餅・浴衣・皮革と、煎餅が堂々の一位である。

市内だとトップだけど、県大会だと急に勝てなくなる学校みたい。

もうちょい自信もってどうぞ。

 

 

1Fの展示室は終わりですが、部屋に入りきらなかったようで、廊下にレンガが積まれている。

地味にレンガ産業も興隆していたが、1964年に工場が閉鎖されたそうな。

 

 

オルガンも置かれている。

弾いて良いそうです。

 

 

2Fへ。

 

 

疲れた人はここで休めます。

 

 

 

階段の踊り場に、模型。

 

 

農家っぽいけど、障子破れ過ぎじゃないっすかね。

 

 

 

こっちの家は、まだ破れていない。

 

 

2Fへ到達。

ここは企画展になっており、草加市の市制60周年を記念してこれまでのあらすじを扱っていた。

 

 

市制・町村制の始まりは1889年のこと。

これにより全国に7万以上あった村々は、15,000程度にまで纏まる。

草加市域では、6つの町村ができたとさ。

 

 

市町村合併の嵐が始まるのは、戦後になってから。

GHQ「小さい自治体じゃ何も出来んのだから、じゃんじゃん合併して規模を大きくするように」とのお達し。

ひとまず人口8千人になるようポコポコ自治体をくっ付けていって、当初1万近くあった自治体数は1956年に4000を切る。

 

 

埼玉県も独自にこんな啓発ポスター作って、市町村合併を促す。

書いてある文言が戦時中臭いのはスルー願います。

 

草加町も周辺の村との合併協議に入る。

最初は草加町・谷塚町・新田村でお話ししてたところ、川柳村が「入れてクレメンス」というので混ぜてあげた。

 

そろそろ合併だというときに、川柳村の中で「草加には失望しました。越谷のファンになります」勢が登場し、村内で論争勃発。

見守っていた草加君たちも、途中から飽きてきたので、もう川柳村を放っておいて3町村で合併することにしたのが1950年のこと。

 

 

こうして新生☆草加町が誕生するわけだが、合併の際に町名を「東武町」「松原町」にしたい声があった。

 

それに対して草加町派は

奥の細道に登場する輝かしい歴史があり、煎餅によって草加知名度は全国に知れ渡っておるのだから、これ以上の町名があろうか(バン!←机をたたく音)」

 

と言って旧谷塚町・新田村の連中を黙らせたかどうかは知らないが、大筋としてはこんな感じであった。

 

 

そのあと結局は川柳村の一部を取り込み、また八條村・安行村の一部を吸収したりするのだが、八條村では「草加派vs八潮派」、安行村では「草加派vs川口派」など毎度のようにバトルが繰り広げられている。

そのたびに仲裁に入らざるを得ない埼玉県サイドはマジうんざりだっただろう。

 

 

 

そして1958年に地方自治法が改正。

これまで人口5万人いないと市制が出来なかったのだが、それが人口3万人以上という風に要件緩和された。

 

町よりも市の方が明らかに権限を持てるので、要件を満たしていた町は速攻で市制への切り替えを実施。

草加でも同年に市制に切り替え、施行後は大喜びでパレードまでやっております。

 

 

そして1958年から60周年が現在なのです。

草加市制の歴史おしまい、ちゃんちゃん。

 

あとは2Fの廊下に敷き詰められている民具を眺めつつ、1Fへ戻る。

 

 

現在の草加駅前の模型。

これは東口。

西口はパチンコとかピンク系の店が多いので、東口を選ばざるを得ないのである。

 

 

1Fへの階段の踊り場。

 

 

唐突に火打石。

こんなところでやって大丈夫なんでしょうか。

 

 

それも草加関係なくて、高崎市からもらった物であった。

 

 

1Fに降りると、カメラがずらずら。

 

 

ポスターやらサイン色紙が置いてある。

 

 

大塩平八郎、ではなくて大川平八郎という俳優である。

名前からお察しの通り、あの大川家の子孫です。

 

実業家を目指して18歳で渡米するのだが、なぜか俳優になり、ハリウッドデビューまで飾っている。

名作『戦場にかける橋』で助監督を務めつつ出演もしている。

 

 

その下には、まったく関連の無い戦時中の品物たち。

とにかく置くスペースが足りないのだろう。

 

 

んで出口の寸前に、現代的な検索システム。

これもっと目立つところに置いた方が良いのでは(提案)

 

 

以上。

 

 

【交通手段】草加駅から徒歩10分

【入館料】無料

【滞在時間】40分

【混雑度】★★(館内に他に2~3人)

【URL】歴史民俗資料館の案内 - 草加市役所