ペリー記念館(ペリー上陸場所)
1853年に黒船くわえたペリーさんが浦賀にやってきました。
本来であれば長崎においで願うところですがゴツイ艦隊と熊みたいなオッサン(ペリーさん)の風貌にアウアウした幕府は、浦賀に隣接する久里浜に上陸してもらうことにしました。
ここがその久里浜です。
上陸された場所付近をペリー公園とし、その敷地内に記念館を建てているのです。
京急久里浜駅から徒歩20分ほど。バスだと同駅から1時間に1本程度でてる野比海岸いきで「ペリー記念碑」バス停で降りると目の前。
黒船が上陸した場所だーというとドでかい公園かと思うのだが、ペリー公園べつにそんな広くないです。よくある近所の公園って感じ。
しかし歴史はあるので記念碑が建てられているのだ。揮毫はなんと伊藤博文である。
1901年建立。意外と古いんだな。ライオンズクラブがやったのかと思った(既視感)
裏には「ペリー艦隊上陸しましたぜ」ってなことが書かれている。
記念碑の除幕式は大ごとだったらしい。
最初は控えめにやる予定だったのだが、ペリー提督の孫にあたるロジャースさんという人が「ワシも出る」と参加表明。この人、当時現役の海軍少将なので母国から軍艦三隻連れて行くと言い出した。友達感覚で軍隊連れてこないでもらえますかね(白目)
こうなると日本側も軍艦を参列させたり、首相や大臣が勢ぞろいするなど大わらわである。接待せねばならない横須賀の役所の人はおそらく過労死しかけたと思うので、哀悼の意を表明したい(チーン)
この節はWikipediaを見ました。
ではそろそろ入場します。料金は無料です。
外観は横浜に並んでいる西洋館ぽかったのだが、なんだか内部はシルバー多めの壁面とダーク系の床で、すこし無機質に感じます。照明もどことなく暗いのだ。
「そんな簡単に毛唐の連中を受け入れませんよ」という当時の久里浜民の心情なのかもしれない。
ただこの模型は青々と海が広がっていて太平洋らしくていいですね。
最初に上陸しに来た4艘の黒船が並んでおります。
ペリーが搭乗していたのは旗艦サスケハナ号。
サスケハナってなんの花なんでしょうねと思っていたら、アメリカ原住民語で「広く深い河」の意であり、花ぜんぜん関係なかった。
ペリー艦隊に同乗していた画家ハイネが描いた絵画です。ハイネさんはペリー航海の一連を絵で記録しており、公式の報告集にも用いられたそうな。
久里浜の入り江に西洋人と船がひしめいていて、「上陸したどー」感が強い。
一方こちらは日本側の描いた絵巻物の一部。
左上の大きな黒船に対して、日本側の船は右下に幾つもちっちゃく固まっており、ビビりまくってる感じが出てとても良いと思います。
2Fでござる。
そういえばペリー艦隊にはちゃんとカメラマンが付いていたそうなんだけれど、その写真は公式記録である『ペリー艦隊遠征記』には全く使われていないそうな。代わりに先述のハイネさんの絵画が多く載せられているのです。
写真より絵画優先ってどういうことなんでしょうね。しかも公式記録で。
よほどカメラマンがアホで全写真ピンボケにしたか、帰りの航海でラム酒を飲み過ぎてカメラごと海に落ちたに違いない。
そのせいでペリーさんらのお写真を記念に貰えなかったのかどうか分かりませんが、日本側はイマジネーションで彼ら西洋人を描いております。
首ぜんぜんないな。ずんぐりむっくり。
でもペリーさんのおうちの写真はあるのです。実家です。
典型的なカントリーサイドだな。犬は5億%くらいの確率で飼っているだろう。
本人はニューヨークでの暮らしが長かったが、墓所は故郷に設けてあるそうです。
どこから入手したのか不思議だが、ペリーの着用していた衣服のボタンや指輪まで展示されている。いちおう複製。
卒業する先輩から記念にボタン貰うノリですかね。久里浜民いじらし過ぎやしませんか。
んで部屋の中央で青く光っている謎の物体は、久里浜周辺の模型図であった。
ちょっと遠めの写真なので分かりづらいですが、浦賀の湾は角度が急で狭く、久里浜湾は広いんですね。
幕府がペリー艦隊を浦賀から久里浜に招き入れたのは、久里浜は海岸の幅があるから兵を展開しやすく、上陸したペリーがとつぜん興奮し奇声を上げて暴れ始めても即座に取り囲むことができるからだ。と、どこかで聞いた。
というわけでしたとさ。
おしまい
【交通手段】京急久里浜駅から徒歩20分
【入館料】無料
【滞在時間】30分
【混雑度】★★(他に2~3人)
【URL】ペリー記念館|横須賀市