神奈川Cスポ探索日記

C級スポット探索日記

C級スポットを主に巡るブログです。C級スポットとは、「メジャーな観光地(A級スポット)・ちょっと変わった観光地(B級・珍スポ)ですらない、楽しめるかはその人次第の場所」という意味です。と言いつつ、普通の観光地にも行きます。地域別カテゴリは最下段から。

ペリー記念館

 

ペリー記念館は、横須賀の久里浜にある、ペリー上陸を記念する場所である。

 

(入口の扉はやたら厳重。砲撃されないためだろうか)

 

久里浜は1853年にペリーら黒船艦隊ご一行様が上陸した場所である。

ペリー公園なるものがあるが、名前の割に公園の規模は小さい。

近所によくある公園と同じサイズ。

 

その公園内に、1987年横須賀市制80年を記念されて建てられた。

 

 

 

入場無料。

館内は若干暗い感じ。

黒船来航時の日本人の気分を表しているのかもしれない。

ただの省エネかもしれないが。

 

 

模型。

最初の来航時にやってきた4隻である。

 

 

旗艦であるサスケハナ号。

サスケハナとはインディアンの言葉で「広く深い河」。

サスケも花も関係ない。

 

 

1Fには机が置いてあるが「フルに」使用して良いようである。

フル以外にどういう使い方があるのだろう。

 

 

 

ペリー氏のお写真。

 

 

 

浦賀に来航したときの絵。

黒船艦隊には写真屋も乗っていたのだが、このときの航海をまとめた『ペリー遠征記』には何故か写真が載っておらず、絵しかない。

その写真屋、無能やな(確信)

 

 

横浜開港150周年の時に、神奈川新聞が作った記事たち。

 

 

2Fへ。

 

 

展示のメインはこの階である。

 

 

当時の絵巻物や絵画。

黒船来航は当時の庶民たちにも一大事件であった。

だからいろいろ絵とか描いているんだが、アメリカ人に接触してはならんと幕府のお達しがあったので、想像で描くしかなかったらしい。

 

 

 

なので顔とか曲がったりしているかもしれませんが、実物を見て書けていないので、許してください。

 

(ペリー上陸直前の港の図)

 

黒船艦隊が来航したのは浦賀だったが、ペリーが上陸したのは久里浜である。

浦賀港は狭いが、久里浜は広い砂浜であるので、兵を展開しやすい久里浜を幕府側が指定したということらしい。

 

 

 

フロアの真ん中にある模型。

なぜか青い。

 

 

このとおり浦賀湾は角度が急で狭いが、久里浜は広いのであった。

ただ久里浜は砂浜であって港湾では無いので、黒船を着岸できるような地形でなく、だから浦賀から小舟か何かでペリーご一行をご案内した模様。

 

 

上陸したペリーの対応をしたのが、浦賀奉行である戸田氏栄と井戸弘道である。

 

記念館には戸田の銅像はあるのだが、井戸の銅像は無い。

『ペリー艦隊遠征記』という当時の記録によると、戸田は風采が良く知的な感じだったのだが、井戸は知的に劣っていそうな見た目だったと酷いディスられ方をしている。

それが現代まで残り、戸田だけがこういう扱いを受け、井戸はもはや居なかったことにされているようである。

 

 

とりあえず国書を渡して「翌年にまた来る」と言い残して帰っていたペリーさんだが、やってきたのはわずか半年後であった。

この半年の間に江戸幕府では将軍 徳川家慶が死去しており、その混乱のスキに乗じてやろうとして時期を早めて再来日したようである。

きたない、さすがペリーきたない。

 

 

幕府は再度、浦賀で対応しようと応接所を設けたのだが、ペリーは江戸湾まで来てしまったので、横浜で対応・日米和親条約を締結することになる。

 

上の絵は、その浦賀の応接所を書いたものである。

せっかく作ったけど使われませんでした、かなしいなあ。

 

(ペリーさんのおうち)

 

なおペリーは1854年日米和親条約締結後の4年後に没しており、日本来航は最期の大仕事であった。

 

 

 

ペリーはよほど当時の人の記憶に残り、だからペリーが着用していたモールやボタンとか指輪まで取っておいている。

ちょっとやりすぎですね(嗚咽)

 

 

この建物にはバルコニーがありますが、頑丈な扉は閉ざされていて出ることはできません。

 

 

 

扉越しに外の風景を撮ったもの。

ぼやけていますが、道路を挟んで向こうは海である。

 

以上、館内おしまい。

 

 

 

ペリー公園内には、ペリー上陸の記念碑がある。

これがあるからペリー公園と名付けられたわけだが。

 

ペリー艦隊に同乗し、その後海軍の少将になったビアズリー氏が来日した際、「ペリー上陸を記念するものが何もない」と大変なショックを受け、それを期に記念碑つくろう運動が持ち上がった。

 

 

(公園のチェーンはやたら太い。船乗り仕様だろうか)

 

記念碑は1901年に建立。

文字は伊藤博文によるもの。

 

除幕式は当初ひかえめにやる予定だったが、ペリーの孫であるロジャース海軍少将が率いる軍艦三隻が出席するとかいうなんだか大きな話になり、結局日本側も首相を始め政府重鎮がぞろぞろ出るという、盛大なイベントになってしまった。

 

その式典においても、ペリーと戸田を模った置物は用意されたらしいが、井戸くんのは無かった模様(哀愁)

 

 

 

(裏面にもアメリカ言葉でなにか書かれています)

 

戦時中は敵国アメリカだということで右翼市民により、この記念碑は引きずり倒されている。

そのあと記念碑は粉砕される予定だったが、引きずり倒した直後にアメリカ軍の空襲があり、「アメリカ側の報復である」と早速ビビってしまったので、記念碑は壊されずにそのまま放置され、戦後に再建されたとさ。

めでたしめでたし。

 

 

以上

 

 

【交通手段】久里浜駅から徒歩15分

【入館料】無料

【滞在時間】30分

【混雑度】★★(他に2~3人)

【URL】ペリー記念館|横須賀市