国立極地研究所 南極・北極科学館
国立極地研究所は、南極や北極とかを研究する機関である。
その広報施設が、南極・北極科学館。
小道を入ったところにあるので、初見だと若干わかりづらい。
周辺は市役所や裁判所など行政施設がぽこぽこある。
この一帯は米軍の立川基地があったところで、1977年全部返還された跡にそういった施設が入ってきた模様。
そのエリアがさらに再開発されて、極地研究所がやってきたのは2009年のこと。
というわけで、まだまだ綺麗目な感じである。
入場は無料。
ただし行政施設らしく、日曜や祝日は休みなので要注意。
受付。
このゾーンにも展示パネルはあるが、最新の研究とか専門的内容が多いので、入場客の大半はスルーしていった。
展示室はこちら。
まず置いてあるのは、南極の模型。
日本と比べると、かなりの大きさであることがはっきりわかんだね。
しかし大きく見えるのは氷のおかげであり、純粋に陸地だけでみると随分と面積が減っている。
着太りしすぎなんだよなぁ。
こっちは北極。青い部分がそれ。海だからね。
北極点も海の中である。
やたら長い機械が置いてある。
こいつは南極で使われている「液封電動メカニカル型氷床深層ドリル」である。
あっ、はい(困惑)
反対側を見た図。ドリル部分。
地下を掘削して、南極の地層深くに存在する氷(アイスコア)を掘り出すための機械である。
アイスコアには、過去70万年分の粒子や物質的な情報があり、これを解析することで太古の気候・環境がどんなだったかを知ることができるらしい。
地球温暖化の解析にも重要な役割をはたすらしいのだが、展示内容が細かすぎてちょっと何言ってんだかわかんない(知識不足)
行政お得意の、内容細かすぎて見る気失せるパネル展示である。
もうちょっと分かりやすい展示の方へ移動する。
南極での防寒具。暑そう。
こんなのもあります。
ゴーグルが変質者感を存分に表している。
着ることもできます。
堂々と存在感を発揮しているのは、実際に南極で使用されていた雪上車。
走行距離5000kmを超え、雪上車としては世界一ィィィ、らしい。
威圧感のある外観である。
ただ雪上車って、時速7キロくらいしか出ないらしい。
ブリザードではよう雪まみれになるので、仕方ない。
館内ではビデオが幾つか流れていて内容も面白いのだが、一本5分くらい掛かる上に座席が無くて立ち見になるので、色々見ているうちに疲労感との勝負になってくる。
きっと南極の探検隊の労苦を、この疲労感をもって分からせたいのだろう。
車の中に入ることもできます。
とんでもなく固そうなベッドが備え付けられているが、ブリザードとか起こると立ち往生もあり得るので。
ここからは南極探検の歴史について。
最重要人物は、日本人で初めて南極に上陸した、陸軍の白瀬矗である。
この人の人生はかなりすさまじい。
1890年代、30代のときに千島列島の探検隊に加わるが、ろくに準備をしていなかったのか知識がなかったのか、とにかく冬の厳寒にやられて隊員が死にまくっている。
白瀬は2年にわたって千島列島で越冬しているが、2年目などは一緒に越冬したメンバー計4人のうち、白瀬以外の3人が死亡。
パワポケ2の裏サクセスですかね。
白瀬くんは北極点到達一番のりを夢見ていたが、1909年にアメリカ人がそれを達成してしまうと、目標を南極にシフト。
議会に予算要求するもガン無視され、有志からの義援金で何とか南極めがけて出発。
南極に向かう船の中、隊員の間で内紛が発生。
白瀬にも飛び火して、毒殺未遂事件まであったという。
しかも、現地での輸送力として連れて行った犬29頭が病気でほぼ全滅。
本人の持ち物いろいろ。
1912年南極に上陸するも、すでにこの時点でノルウェーのアムンセン探検隊が南極点の世界初到達を果たしている。
白瀬も南極点を目指すも、気候が酷くて断念。
途中の地点を適当に「大和雪原」と名付けて領有宣言してみたりしたが、この地点はそもそも氷上であって領有できないところであり、宣言は戦後に無かったことにされた。
仕方なく南極を後にしてニュージーランドまで戻ってきたが、もう隊の仲は世紀末状態であり、白瀬ほか数名は乗ってきた探検船ではなく、違う貨客船で帰国する。
一方、白瀬と対立していた連中は探検船で日本へ戻り、入港すると盛大な歓迎を受けたらしい。
そして極めつけに、白瀬への資金援助を取りまとめていた後援会が、義援金で遊びまくって借金まみれになっていた。
白瀬は残りの人生をこの借金返済のため、全国を行脚して講演をして過ごすことになる。
最後は愛知県豊田市で、娘が借りていた料理屋の小さな部屋で死去。
周辺住民は白瀬が住んでいたことに気づいていなかったという。
なんかここまで悲劇が続くと、むしろ逆に漫画太郎的なギャグテイストな感じがして失笑してしまった(不謹慎)
そんな白瀬君の頑張りは後世見直され、船の名前にもなりました。よかったね。
さて戦後になると、日本は南極研究に乗り出す。
1957年を国際地球観測年として世界各国が自然環境の研究に乗り出すなか、白瀬の実績がある南極を、日本政府は選んだのである。
まぁ本当は赤道の研究をしたかったんだけど、赤道周辺の島々を領有しているアメリカさんが「この研究、ひとり用なんだよね」とスネちゃま化したので、仕方なく南極にした。
1956年に観測船「宗谷」で、最初の研究隊が出発。
彼らの目的はまず基地を作ることだったが、これが現在まで南極研究の拠点であり続けている昭和基地である。
このあと日本は計4つの基地を持つことになるが、人が滞在しているのは昭和基地だけであとは無人。
あすか基地は気象観測地点で、みずほ基地はドームふじ基地までの中継地点。
ドームふじ基地では先述のアイスコアの掘削をしているが、ほぼ雪で埋もれてしまっているので夏しか行けない。
ちなみにドームふじ基地から昭和基地は1000キロ離れているのだが、雪上車は時速7キロしか出せないので、到達するのに1か月かかるらしい。
まだドームふじ基地はドームFとも呼ばれ、近くにドームAという地点もあるのだが、藤子不二雄とは関係ない。
(昭和基地の模型)
第1次研究隊は、何人かの越冬隊を残して、南極を出発しようとした。
しかし観測船「宗谷」が氷に閉じ込められて動けなくなってしまい、通りがかったソ連の船になんとか救出してもらう羽目になる。
(昭和基地でのライブ映像を放送していますが、案の定まっしろです)
翌年の1957年に第2次隊が宗谷で南極へ。
このときも宗谷は氷に閉じ込められ、アメリカ船に助け出される。
宗谷くん無能やな。
ただ一応理由はあって、日本は先述の通り、最初は南極ではなく赤道の研究を予定していた。
それが南極に変ったので色々急ごしらえする必要があり、この宗谷もろくな装備を施していなかったのである。
(犬ぞり)
かの『南極物語』は、この2次隊の時の話である。
宗谷がやらかしてしまったので、南極に接岸ができなくなり、昨年からの越冬組を迎えに行くのに船から空輸することに。
しかし天候が悪化し、宗谷も氷の中で死にそうな状態なので早く出発する必要があり、空輸の回数が限られる。
越冬組の隊員たちは全員救出されたものの、現地に連れてきていた犬15頭が取り残されることとなった。
さらに翌年、第3次隊が南極に戻ってくると、取り残された15頭のうちタロとジロだけ生存していました、ハッピー!という話。
ここで謎なのが、この2頭は何を食べて生き残ったのかということ。
現地にはドッグフードも残されていたんだが、それは手付かずだった。
そういえば、他の13頭はどうしたんだろう(すっとぼけ)
基地には多くの犬が連れて行かれた模様。
最初のうちは犬ぞり曳く用だったが、次第にペットとしての役割が大きくなった。
しかし初期に連れていかれた犬は、あまりろくな最期を迎えていないご様子。
ネコも1匹だけいた。名前はタケシ。
オスの三毛猫は珍しいから縁起がいい、という理由だけで南極まで連れていかれた不憫なネコである。
南極から戻った後は、作間さんという隊員のところに引き取られたのだが、帰国1週間で行方不明になってしまった。
作間さんの家より、南極の方が住み心地よかったのだろうか。
作間さん涙目。
その南極の居住棟はミサワホームが担当していますが、意外と快適そう。
水洗トイレ・床暖房完備、インターネットも使い放題。
そりゃタケシもこっちの方が良いわな。
ただ医療設備は限られているので、脳梗塞おこしたら一発アウト。
分娩もできないので、妊娠はNG。
一夜のアバンチュールが死につながる。
そんなこんだで南極研究隊は2018年で第59次になります。
研究対象は幅広いが、メインの一つに隕石がある。
氷の中にある隕石は保存状態が良く、また白い雪上に黒い隕石がぽつんとあるので見つけやすさもある。
顕微鏡で隕石の断片をのぞけます。
こんな感じ。
色とりどりで万華鏡のようである。
日本の研究隊による隕石発見数はかなり目覚ましいものがある。
第33次隊が16個のみなのに、39次隊は4000個オーバーである。
なにがあった。
そんだけ集めてどうするの?って感じもするが、隕石は太陽系を解き明かす材料であり、太陽系はあまりにも巨大なので、材料は多ければ多いほど良いんだと。
南極にはたいして生物いないだろ、と思ってたら、いました。
氷の中の空洞に「アイスアルジー」という植物が繁茂し、それをプランクトンが食べて食物連鎖が出来ているらしい。
気味の悪い生物は科学館のアピールポイントだが、南極にもあるとは思わなかった。
あとオーロラが見られる小さいプラネタリウムみたいなのもありますが、席数がごくわずかな上にやたら人気なので、立ち見客がでるレベル。
最後にお土産コーナー。
サインがなぜかいっぱい。
南極メシなるものもあったけど、以前宇宙食を食べて美味しくなかったので回避。
建物の外には、タロとジロなど計15頭のモニュメントがありましたとさ。
なんか南極の事ばかりで、北極についてほとんど展示が無いような気がするが、南極の方がネタが豊富な上に研究もかなり出来ているからだろう。きっと。
以上
【交通手段】高松駅から徒歩10分か、立川駅からバス15分程度。
【入館料】無料
【滞在時間】120分
【混雑度】★★★(一部屋に数人)
【URL】国立極地研究所 南極・北極科学館