神奈川Cスポ探索日記

C級スポット探索日記

C級スポットを主に巡るブログです。C級スポットとは、「メジャーな観光地(A級スポット)・ちょっと変わった観光地(B級・珍スポ)ですらない、楽しめるかはその人次第の場所」という意味です。地域別カテゴリは最下段から。

三郷市郷土資料館

 

ここは三郷市の郷土資料館である。

 

 

 

建物の名称は「三郷市わくわくライブラリー」。

文字通り図書館がメイン施設であり、資料館は併設されている立ち位置。

 

 

 

併設というか、片隅の1部屋に押し込まれている感じである。

施設利用者の大半は図書館が目的なのであって、まず資料館に来る人は居なさそう。

実際、誰もいなかったし、入ってくる気配もなかった(哀愁)

 

 

 

資料館内は撮影禁止なので、以下関連写真で展示内容についての話を進めます。

 

しかし郷土に関する知見を広めなければいけない立場の資料館が、情報の流布を禁止するって本末転倒かと思うんだよなぁ(呆れ)

 

 

(画像は下記サイトから拝借)

古河史楽会 古河公方とは・その8《公方の経済力を支えた下河辺荘》

 

展示物として最初にあるのは、三郷市の歴史である。

弥生時代頃から人が住み始めたようだが、史実に出てくるのは鎌倉時代になってからで、下河辺(しもこうべ)氏によって治められていた下河辺荘の一部にあたる。

 

図の通り、下河辺荘は南は東京葛飾・北は茨城県古河市と広い範囲であり、経済も発展していたので権力者たちの標的に成りえた。

下河辺氏は鎌倉時代の早い段階でザコ化してしまって北条氏に分捕られ、鎌倉幕府滅亡後は鎌倉公方の足利氏が支配し、戦国時代に入るとやっぱり北条氏が持って帰りました。

 

 

 

この下河辺氏は、もとは奥州藤原氏を先祖としているのだが、源頼朝の奥州征伐の際には頼朝側に付いたので所領を安堵されている。

先祖見捨ててますけど、所領の方が大事だし、まぁ多少はね?

鎌倉時代早期に弱体化してしまったのは先祖の祟りかもしれない(適当)

 

そんな下河辺氏を主役にしている奇怪な珍しい小説がこちら。

Amazonや主要ネット通販サイトで出てこないので、かなりレアな本かもしれませんが、まぁそりゃそうか。

 

 

 

下河辺荘は比較的発展していたとはいえ、基本的には芦ばっか生える湿地帯であり、他の武蔵地域と同様に開発は急務であった。

江戸時代になると三郷市域は幕府の天領となり、赴任してきた伊奈忠次は、このあたりの大きな寺に「新田開発したら寺領を広げてやろう」と煽り立て、開発を進めていった。

 

 

三郷市域および隣の吉川市域のあたりは、「二郷半領」と呼ばれていた。

「郷」とは50戸以上の集落を指すようで、吉川郷と彦成郷の2郷に加えて50戸に満たない集落1つがひと塊になっており、二郷半。

三郷になるにはまだ0.5足りていない。

 

 

 

明治時代に入ると、50以上の村が成立。

そっからどんどん合併して行って、1956年に彦成村・東和村・早稲田村という3つの村によりようやく「三郷」が完成。

 

なお明治初期の1869年、三郷市域は「小菅県」という県に組み込まれているが、この県は1871年に消滅し、三郷は埼玉県に編入

小菅県は、旧幕府の天領を対象とした行政単位であるので、天領の扱いをどうするかで明治政府が苦心した跡のように思えるのだが、足立区や葛飾区の一部など小菅県は範囲が狭かったので、「設定してみたけどやっぱりイラネ」されたのかもしれない。

 

 

つくばエクスプレス開業前の三郷中央駅付近。2003年頃か?)

 

昭和の三郷市は東京近郊にありながらも交通の便がそこまで良くないので、他の埼玉や千葉などの市と比べると出遅れた感じはある。

しかし近年は残りわずかなフロンティアとして再発展しているようで、人口もバブル期の13万を超えて右肩上がり。

 

 

 

そんなんで三郷中央駅前はシャレオツな高層マンションが広がっているが、修羅の国 足立区が隣接して積み上げてきた長い歴史がある関係上、まだまだ「お察しください」な面がある模様。

この日も閑静な駅前で、右翼の街宣カーだけが爆音で演説をされておられました(白目)

 

 

あとの展示品は、まぁいつも通り農機具とか一般的なものであるため、もういいや。

終わり!閉廷!

 

 

 

以上。

 

 

【交通手段】三郷中央駅から徒歩15分

【入館料】無料

【滞在時間】30分

【混雑度】★(誰もいない)

【URL】

www.city.misato.lg.jp