神奈川Cスポ探索日記

C級スポット探索日記

C級スポットを主に巡るブログです。C級スポットとは、「メジャーな観光地(A級スポット)・ちょっと変わった観光地(B級・珍スポ)ですらない、楽しめるかはその人次第の場所」という意味です。地域別カテゴリは最下段から。

浦賀郷土資料館(浦賀コミュニティセンター分館)

 

浦賀コミュニティセンター分館内には、郷土資料館がある。

窓に郷土資料館って貼ってあるでしょ(どや顔)

 

 

 

本当に資料館やっているのか不安になる外観ではあったが、「開館中」の看板が立っていたので入館。

 

 

 

1F受付。

 

 

地域のパンフレットなど。 

 

 

資料館のある2Fへ。

 

 

奉行所があった。

盛り上がってるなぁ(小波感)

 

 

資料館の全景。

 

 

1Fの受付で、資料館が作成したパンフレットをもらったので、それを見つつこの記事を書いています。

 

 

展示内容は主に、浦賀奉行所と黒船関係。

 

浦賀奉行所は、江戸への商品や女性の出入りのチェックポイントとして、1720年に設置された。

江戸に入ってくる船は、みんな浦賀に寄らないといけないので、交通の拠点として栄えたようである(当時)

 

 

 

ただし鎖国中なので外国船は長崎に行かないといけないのだが、それをガン無視して浦賀にやってきた船も幾つか存在した。

漂流していた人民を届けに来た船があれば、日本を開国させる目的でやってくる連中もいたようである。

 

 

ルールを守らずに浦賀にやってきた外国船は、こういう歓待を受けることになります。

 

 

 

誇張した展示かと思ったら、絵でも描かれていたので、史実のようである。

 

 

浦賀奉行所のトップたる奉行の歴代就任者が書いてある。

その人の人事異動の経歴まで記載されている細かさである。

 

 

 

ただ中には、やらかしてしまって左遷されている者も。

 

 

こちらも左遷されたうえで罷免という仕打ちを受けている。

まぁ不祥事起こしたらしょうがないね(理財局並感)

 

 

ペリーの初回来航時に国書を受け取っているわけだが、その受取り役が浦賀奉行の戸田と井戸だった。

2人の奉行に対するアメリカ側の印象が『ペリー艦隊日本遠征記』という書物に記録されているらしい。

 

それによると、戸田は風采が良かったが、井戸は「(戸田よりも)貧相で知的に劣っていそう」と相当なディスられ方をしている。

井戸さんの子孫から訴訟不可避。

というか、なぜ資料館さんサイドはこの展示を置いたんだろうか(難題)

 

 

浦賀奉行所の模型。

 

 

当時の間取り図。

よく残っていたな。

 

 

浦賀という町は、奉行所ができる前から賑わっていた模様。

 

むしろ奉行所を建てるための土地を明け渡さないといけないので、浦賀住民からかなりの反対運動を食らって、建築場所を決めるのに苦労したようである。

お上といえども、強硬策はなかなか取れないのだろう。

 

 

 

多かったのは、干鰯問屋。

イワシを干したのを固めれば良質の肥料になり、綿花の栽培と特に相性が良いらしい。

 

人気が出すぎて価格が暴騰し、農家vs干鰯問屋の「米騒動」ならぬ「干鰯騒動」じみた対立もあったとか。

 

 

そんな浦賀にやってきた黒船ご一行様。

浦賀奉行所が派遣した与力 中島三郎助は、黒船に乗船した日本人第1号である。

 

ここで模型が展示されているのは黒船艦隊の一隻サスケハナ号だが、サスケハナとはアメリカ原住民言語で「広く深い河」を指すのであり、佐助でも花でも無いので要注意。

 

 

 

中島三郎助さんの肖像画

なんというか、「夜露四苦」とか書き足したら違う職業の人に見られる感じである。

 

 

 

ペリー来航は当時も大きく報道されたようです(すっとぼけ)

 

 

中島三郎助さんのお部屋。

 

与力と言う役職は、トップである奉行の補佐。

身分的には良さそうだが、給料はあまり良く無かったようで、自宅で菜園をやって食費を補っていたとのこと。

 

 

 

中島三郎助氏は頭が切れる人だったようで、黒船乗船時に艦内の様子をよく覚え、のちに幕府が軍艦を建造する際にこのときの記憶を役立てたようである。

得体のしれない黒船に乗るというのに、よくそんな余裕あったな。

 

 

海軍の学校にも通って知識を得た中島のもとに、若き日の桂小五郎が教えを請いにきたという。

中島の家に寄宿することになったが、部屋が無いので漬物部屋に住まわせたらしい。

まぁ徒弟なら仕方ないね(夜露四苦)

 

 

 

模型ゾーン。

船の模型といい、模型だらけである。

 

 

奉行所のあった西浦賀の様子。

当初は東浦賀に建てるつもりだったけど、干鰯問屋の猛烈な反対でこうなりました。

 

 

渡し船の乗り場もある。

 

 

突然の観音崎灯台

 

 

そして最後に、(いつもの)当時の道具類。

 

 

ただ時代がわりと新しかったり、大きな問屋の蒐集品だったりなので、土に埋まっていたのを掘ってきたやつではない。

古代石器ファンの期待には応えられませんので、ご了承ください。

 

 

以上。

 

 

【交通手段】浦賀駅から徒歩10分

【滞在時間】30分

【混雑度】★★(他に2~3人)

【入館料】無料

【URL】浦賀コミュニティセンター分館(郷土資料館)|横須賀市