横浜市立博物館と大塚・歳勝土遺跡
横浜市の歴史を、古代方面へパラメーター割り振って説明しているのが、横浜市立博物館である。
大塚・歳勝土遺跡は、その隣にある弥生時代の遺跡。
センター北駅からは歩いて5分。
館内はフラッシュ焚かなければ撮影可能。
1階の受付を済ませて、2階の展示室へ。
左右にどかどか置いてあるのは、埋蔵文化財調査の最近の結果。
細かすぎてよくわからないのでスルー。
展示室は、真ん中にギリシャ神殿みたいな柱(適当)で囲まれたパソコンリサーチゾーン。
それを囲むようにして展示ブースがある。
入口すぐ左手では、歴史劇場と題した映像コーナー。
最初の展示ブースは、縄文時代である。
博物館のおなじみコース。
相模原にもいたマンモス君。
この博物館ではいたるところに問題が掲載されている。
ぼーっと展示を眺めるのではなくて、問題意識をもって見ろという博物館側からのメッセージであろう。
絵画まで用意するあたり、縄文時代に対する意気込みを感じる。
さらに各コーナーには、けっこう本格的な解説ペーパーも。
観覧者をストイックな方面に追い立ててくれる。
わかりやすい映像資料も豊富。
縄文土器といえば様々な紋様が特徴だが、急須まであるとは。
お次は弥生時代。
縄文時代では横浜付近に人はそこそこいたのに、弥生初期の頃にみんないなくなってしまって、中期頃にまたぞろぞろ集まってきたらしい。
弥生土器といえば、シンプルで飾りのないスタイル。
と思ったら、全然違うのもあった。
これが弥生時代特有の方墳周溝墓。
方墳真ん中の高い部分に一家の偉い人を葬って、周りの溝に家族を葬る。
3番目は古代~平安
縄文と弥生は、横浜の郷土史的なことをかなり強く出してたけど、ここからはだいぶ全国一般論要素が強くなりだす。
以下は、横浜的要素が強い展示を抜粋。
4ブース目。
当時は日本屈指の港だったが、今はもはや海に面してすらいない。
こういう時代もありました。
5ブース目。
これは吉田新田。
もともと入江だったのを、江戸時代に材木商である吉田さんが埋め立てて、陸地として使えるようにした。
それが現在の関内や伊勢佐木町のあたりなんだってさ。
6ブース目。
明治時代、伊勢佐木町にオープンした横濱館は、多様な店が館内に構えるデパートの先駆け。
こんな感じで、全部で6ブースあったけど
1つめ:縄文
2つめ:弥生
3つめ:古代~平安
4つめ:鎌倉~戦国
5つめ:江戸
6つめ:明治~現代
と、圧倒的に古代に重きを置いているのが分かる。
まぁ江戸末期に開港されるまで、ただの漁村だったもんなぁ。
主張することが古代に大集合しているのは、地方の博物館あるあるだ。
博物館おしまい。
3階まであがって外に出ると、大塚・歳勝土遺跡まで歩いて行けるデッキ。
この辺りを開発する際に、いろいろ掘ってたら見つかったのがこの弥生時代の遺跡なんだと。
発掘されたのが1972年で、珍しく大規模な遺跡であるため、公園として保存されている。
なお博物館は1995年からなので、この遺跡あってこその博物館といえる。
だからあれだけ古代押しなのね。
くねくねした山林を登っていく。
公園部分ではランニングする人とか、子供たちとか。
これが大塚遺跡。まんまムラ。
弥生時代といえば環濠集落。
その溝である。
発掘調査の跡を放置したもの。
穴のところには柱が立ってた。
奥に付いてる細いのは、通路らしい。
オーソドックスな竪穴住居。
まっくら。
けっこう涼しい。
難易度の高い階段である。
もしものときの消火器。
藁もえてるときに、ここまで取りに来るのキツイ気がするが。
おなじみの高床式倉庫。
いうほど高くないね。
こちらもおなじみのネズミ返し。
これくらいなら登ってこないかなぁ。
あといっぱい竪穴住居あったけど、中身ほぼ一緒だから見なくていいか。
なぜ使用禁止なのだろう?
大塚遺跡おしまい。
もう一つは歳勝土遺跡。
こちらは大塚遺跡の住人たちのものと思われる、墓地である。
大塚遺跡と違って住居とか立ってないけど、べつに復元する金が無いとかではなくて、墓だからである。
真ん中にあるのはベンチではなくて、墓である。
方墳部分の断面図的な展示らしい。
方墳の真ん中に四角い凹みがあって、そこに棺桶いれてましたってこと。
で、遺跡から出てくると目に入ってくるのが、このゴリラ。
「都筑まもる君」とかいう名前だったと思う、確か。
守るというより、交通違反者かたっぱしから粉砕しそうな構えである。
まぁ近くに墓あるからいいのか(不謹慎)
以上
【交通手段】センター北駅から徒歩5分
【入館料】400円(博物館の常設展。遺跡は無料。)
【滞在時間】1時間15分
【土日の混雑度】博物館 ★★★(写真撮るとインカメされる)
遺跡 ★★(他に2~3人)
【URL】