澤田美喜記念館
澤田美喜記念館は、その名の通り、澤田美喜さんと彼女のコレクションを記念する館である
「そもそも澤田美喜って誰?」ということであるが、
この人は三菱の創業者である岩崎弥太郎の孫娘にあたる。
クリスチャンの外交官と結婚したことでキリスト教に改宗し、海外生活をしていた際に訪問した孤児院の活動に感銘を受け、自らも国内で1948年から孤児院の経営を行った。
孤児の多くは、進駐軍と日本人女性の間に生まれながら放置された「GIベビー」であり、孤児院は周辺住民だけでなく日本政府・進駐軍からも当初は冷遇されて、経営は窮乏していたそうだ。
それでも澤田さんの頑張りにより、1955年には昭和天皇も来園されるなど、活動は実を結んでいった。
1958年には、NHK紅白歌合戦の審査員にも選ばれている。
その孤児院からはじまったのが、この入り口右手の「エリザベス・サンダース・ホーム」で、敷地内には学校も建つ。
記念館に行くには入って左手に進むのだが、間違えて右手に行くと警備員さんから怖い目で見られるので気を付けないといけない。
階段をのぼっていく。
けっこう険しい(大汗)
そしてどかんと現れるのが記念館。
こんな形をしているのは、ノアの箱舟をイメージしたんだと。
玄関への手すりが十字架だらけでびっくりする。
館内は澤田美喜さんについての展示というより、この人が持っていた隠れキリシタングッズが殆どだった。
まずは有名な踏み絵。
もともとは信者から没収したキリスト系グッズをもとに、右上のような紙に絵を描いて、それを踏ませていたらしい。
だが紙だとすぐぼろぼろになるので、その後は教科書で見られるように、十字架を板にはめ込んでそれを踏ませることにしたようだ。
隠れキリシタングッズはかなり面白い。
続いては、剣の鍔である。
禁教がされる前の鍔は、このように堂々と十字架をあしらったものになっているが
禁教後は十字架要素はなくなっている。
しかし写真だと見づらいのだが、鍔の中に人が描かれていて、その人の胸のあたりに小さく十字架が金で刻まれている。
こんな風に、目を凝らさないと分からない範囲で、十字架をこっそり書き込んでいる。
こちらは、正面から見るとただの地蔵だが
背中にはおもいっきり十字架。
仏壇とかに置いとけば、この背中を見られることはないからね。
その発展形が、この観音像である。
テレビのリモコンみたく背中が外れ、中に十字架をしまい込む。
匠もびっくりの荒技である。
極めつけはこれ。
家康の像なのだが、なんと首が着脱可能で、その首の下に十字架が彫ってある。
禁教令を出した家康自身の首に描くこと自体がすさまじいアイロニーであるし、像とは言え家康の首を引っこ抜いたら幕府の武士たちも首チョンパである。
まさに灯台下暗し。
紹介するとキリがないほど、隠れキリシタングッズがあった。
というか、よくこれだけ集められたな、澤田女史。
十字架グッズもすさまじい量である。
東方の三賢者とおぼわしき像。
ロウソク台になっちゃってるけど、いいのだろうか。
あと、期間限定で展示されているのは、魔鏡。
見た目は普通の鏡なんだけれど、光に反射させてみると像が浮かび上がって、あら不思議というもの。(上の写真は鏡の裏面で、表面は普通の鏡になってる)
京極夏彦の京極堂シリーズで題材にされてたけど、実物をみれるとは思わんかった。
魔鏡に光を当てると、こういう像が浮かび上がる。
仕掛けを書くと長くなるので、Wikipediaをご参照ください(笑)
見た目は普通の鏡なので、幕府の武士たちもまさかキリシタングッズとは気づかないだろう。
こうまでして信仰心を守る隠れキリシタン、壮絶である。
ちなみに澤田美喜さんの経歴については、配布資料のように束になって部屋の隅に置かれている。
各自みといてくださいねーって感じ。
まぁ澤田美喜記念館というより、澤田美喜さんの隠れキリシタングッズ資料館になっているからね、仕方ないね。
2階部分は礼拝堂。でおしまい。
というわけで、思わぬ収穫を得られるマイナー資料館の鑑、といった場所であった。
あと(ほかに客がいなかったからだと思うけど)、スタッフさんが展示品について丁寧に解説してくれたのがありがたかったな。
大磯駅前にあるので、この駅で降りる際はぜひ寄って行ってもらいたい場所である。
以上
【交通手段】大磯駅から徒歩2分
【入館料】500円
【混雑度】★(だれもいない)
【URL】澤田美喜記念館