白馬ジャンプ競技場
1998年長野で行われた冬季オリンピックで日本は5つの金メダルを獲得しましたが、そのうち2つはここ白馬のジャンプ台で行われたラージヒル個人&団体。
そのジャンプ台は現在でも選手の練習場として使われているわけですが、一般客もリフトでスタート地点に上がれるのだ。
なによりオリンピックの資料室なるものがある、これは行かないといけませんね(使命感)
アクセスですが、白馬駅からコミュニティバスが出てます。上記の白馬村HPから「シャトルバス」のページに行くと、時刻表が見られるよ。
ただ本数が少ない上に電車の時間と合ってなかったりするのだ、無能(断言)
白馬駅から八方バスターミナルを通る路線バスは電車の時間に合わせてちょくちょく走っていて、そのターミナルからだとジャンプ場まで徒歩15分です。
ターミナルへは長野市や東京方面からもバスが来ていて白馬村のハブみたいになっている。
駅から歩くと30分くらい掛かってしまうので、私みたいに体力温存しないと死ぬ方はバスを利用して少しでも歩く距離を削ったほうがよいでしょう。
さてリフトに乗ってジャンプ台に上がります。往復で460円。
近隣にある白馬五竜のリフト&ゴンドラが往復2000円以上するのと比べると、相当安く感じる。あちらは観光地化されているが、こっちは自治体の施設だからです。
お金が浮いた分、記念にTシャツでも買っていってどうぞ。
料金安いのはいいけれど運営的に大丈夫かと思ったら、案の定大丈夫ではなかった。
オリンピック終わったら、そりゃ使う人減りますわな。
毎度おなじみガバガバ需要予測の行政と議員でございます。
というわけで興味のある方は、無くなる前に早めに訪問しておいたほうがよい。
リフトは所要7分程度で、乗っているお客さんの姿もちらほら。
ただ夏休みにしては、賑わっているとは言い難い程度の人数だったかな。
頑張ってクレメンス。
見えてきましたジャンプ台のスタート地点。
左側へ伸びている足場はノーマルヒル、右側はラージヒルへ繋がっています。
リフトは100台ほど動いているそうだが、1台だけ「金のリフト」があり、乗れたらラッキー。
滅多に当たるもんじゃないよねと思ってたら、私の順番になってこれがやって来て、あっさり乗れてしまった。
乗り心地は普通でした、当たり前だ。
リフト下り場からエレベーターで上がり、ラージヒルのスタート地点に向かいます。
足場は網目状になっていて、下の風景が良く見えますね。
冬場に雪が溜まらないよう、こういう仕様になっているんでしょうが、高所恐怖症は一発アウトだな。地上からの高さは60mほどです。
さらに階段を上りますが、ここもしっかり網目になっていて「足場が崩れて落ちたら助からない」感をアピールしております。
スマホやカメラも落とさないよう、撮影の時は気を付けよう。
ラージヒルの展望台に来ました。
選手のスタート地点はこれより数メートル下です。
ここから地上に向かって滑り落ちるなんて、ダムの堤体から飛び降りるのとあまり変わらないのではないか。自殺か!
ジャンプする地点の先端~着地地点の最奥は130m程度。ながい。
夏場でうだるような暑さですが、この地点は風もあってたいへん心地よい。
ラージヒルから降りて、下のフロアは資料室になっています。
金メダル。ちなみに製造は、通貨を作っている国の造幣局が合わせて行っております。
なので造幣局の資料館に行けば、そこにもメダルが置いてあるよ。私は埼玉でみました。
さすがにジャンプ競技は行われないようです。
ラージヒル団体で金メダルを取った4選手の足型。
なお金メダルは団体およびラージヒルの船木選手ですが、ほかにノーマルヒルで銀メダル1つ、ラージヒルで銅メダル1つが獲得されています。
オリンピックで使用された道具も展示されています。
いったいこれは何リンゴでしょうか。
パカっと開く仕様になっていて、数字が記載されている。
これはクロスカントリーでスタート順を決める籤だったそうな。
サザエさん方式。
このスタンプもクロスカントリーで使われたもので、スキー板に押される。
選手は競技開始前にスキー板の検査を受けねばならず、スタンプを押されないとその板は使用できない。
雪の状況により、板に塗るワックスを変えないといけないのでチームスタッフは苦労するそうだ。
板のサイズはこの計算式により決まる。
BMIから算出するんだね。
大会のマスコット、スノーレッツです。
4人そろってスノーレッツ!
左からスッキー・ノッキー・レッキー・ツッキーという安直な名前の付け方をされている。覚えやすいので良しとしよう。
一方、パラリンピックのキャラはこれ。
なんだか中国製ピカチュウな気がしなくもない。
もう1フロア降りて、最後にノーマルヒルを見に行きます。
また恐怖階段になっているのだが、選手たちは大きなスキー板を担いでここを通るわけ。
バランス崩して手すりから落ちたらジ・エンドだ。
これから滑るライバル選手に対し、偶然を装って横からぶつかり転落死させるなど様々な謀略がなされる場所であり、戦いは既に始まっているのである。
着きました。
ラージヒルと比べると小型感だが、ジャンプ地点から着地点までは90m程度。
なお滑走路でのスピードはラージだと90km、ノーマルは80kmだそうだ。
よくそれで着地できますね、私だったら足が砕け散ると思う。
そんなわけでした、おしまい。
【交通手段】白馬駅からコミュニティバスか、八方バスターミナルから徒歩15分
【入場料】460円(リフト代)
【混雑度】★★★(ちらほら)
【滞在時間】60分
【URL】新しい情報はfacebookで https://ja-jp.facebook.com/hakuba.jump/
↓ 白馬村の公式ページ
リゾートビューふるさと(乗車記録 松本~白馬)
長野~松本~南小谷を結ぶJRの観光列車です。
普通な車両を改造して「おもてなし」要素やイベントを盛り込んだリゾートトレイン。
ちなみに長野県には他に、長野~十日町を結ぶ「おいこっと」、小諸~小淵沢の「HIGH RAIL1375」と計3種存在しています。
予約はえきねっとから出来ますが、特急じゃなくて快速だから、料金が安い。
長野~南小谷を特急で来ようとすると、しなの+あずさで特急券1500円(乗車券別途)はするが、快速は520円で済むのだ。
大糸線は1~2時間に1本のローカル線であり、駅間の所要時間もかなりかかるので、早くて快適な快速列車はかなり有用である。
今回は都合により、松本→白馬を乗車します。
なので長野~松本間は乗車しないのだが、その間にある姨捨駅は日本三大車窓スポットに挙げられており、10分ほど停車して風景を楽しめるようになっています。
車内の模様です。
何が良いって、広々としているところ。
足を思いっきり伸ばして寛ぐことができます。あずさではこうは行かん。
スペースが有りすぎて、前の座席の背中に備え付けられている机に手が届かないレベル。お弁当が食べられないよ!
そんな時に備えて、脇机がセットされているのです。
新幹線とかで見なくなった気がするので、懐かしい感もある。
残念ながらコンセントは付いておりません、車両自体はそんなに新しいものではないから仕方ない。
走行中はツムツムせずに車窓を楽しみましょう。
車両は2両編成で、乗務員室の手前にはこのように展望スペースが設けられています。
前方の運転席側はお客さんが集まりやすいので倍率が高いが、後方部はそうでもないので狙い目。
鉄オタ勢は公共の福祉を考えつつ、ご利用ください。
沿線の写真を載せたブックが置かれている。
北アルプスの山岳地帯を走るので、常念岳など雄大な山々をバックにした撮影スポットはいろいろ。
車内販売もありますが、基本はお菓子・おつまみとドリンクです。
松本駅で10数分停車するので、駅弁はそこで買うと吉。
しかしこのメニュー表、英語オンリーだったんだけれど、日本人はどこで注文すれば良かったのかな?
まぁアテンダントさんが車内を回っているので声を掛ければよい。
小規模ですがアル熊アニキと記念撮影もできます。
そういえば乗車したのはお盆真っ盛りの時期で、私はこの数日前に予約したのだがその時点で座席は若干残っていたな。倍率はそこまで高くないわけか。
ただ当日になるとさすがに満席であった。
予約はお早めに。
さて列車が走り出すと、車両のドア上部にあるモニターで車窓がLIVE中継されます。
運転席前に陣取らなくてもここで見られるので、無精な人はこれで妥協しよう。私のことだが。
松本を出て15分くらいすると穂高駅に到着。
ここでなんと列車は30分停車します。
単線路線なので行き違いの都合もあると思うのだが、この時間を利用して駅すぐにある穂高神社の参拝ツアーが組まれており、アテンダントさんにくっついて行けば良い。
私は既に行ったことがあるので、車内でダラダラすることにします。
みんな参拝に行ってしまったので、このスキに運転席付近を覗き見。
なぜかマイクが置いてあって、「?」となった。
乗客カラオケ大会でもこれからやるのかしら。
そうではなく、穂高~信濃大町間で車内おもてなしイベントがあるのだ。
三味線や尺八の演奏など、何種類かあるうちからランダムで1種類おこなわれます。
このときは地域の民話朗読であった。
信濃大町を出ると、次は海ノ口駅で一旦止まるのだが、これは停車駅ではなくて面している木崎湖を眺めるためである。
なのでドアは開きません。
映画『犬神家の一族』(1976の方)でロケ地と一つとされました。
ただ頭を湖面に突っ込んでダイナミック逆立ちしてるのは、この木崎湖より北側にある青木湖で撮影されたそうな。
あれ諏訪湖の話なんですけどね、当時の諏訪湖は汚すぎて使えなかったのかしら。
とそんな感じで白馬に着いたので、おしまいです。
穂高で30分も止まっていたので、松本以北の所要時間としては鈍行列車と大して変わらないのだが、快適性はさすがに違いますな。
あとお盆期間の大糸線はめちゃめちゃ混むので、そういう意味でもゆったり座れる快速はお勧め。
以上
【料金】520円(長野~南小谷)
【URL】
車両案内:JR東日本旅客鉄道株式会社 長野支社 | リゾートビューふるさと
予約:えきねっと→指定席
サントリー白州蒸留所
サントリーのウイスキー「白州12年」が2018年6月から発売休止となり、全国に白州難民を生み出してから久しい。
美味しいですからね、 日本人向けらしいサラッとした甘さやフルーティさがある。
パワプロでいうと「キレ〇」「クイック」「軽い球」といったところか。
そんな白州を諦めないマン達が「蒸留所なら飲めるのでは・・」と一縷の希望を抱きつつ、本能のまま赴くのが山梨県北杜市にある白州の蒸留所です。
1時間に1本程度で更に冬季は運休だから、飲みたい一念だけでやってくる白州難民が吹雪にまみれて行き倒れる事件が相次いでますので、訪問の際は事前のチェックを怠らないように。
バス内では入場申込書を記入することになる。
住所や年齢など基本情報のほか、「なぜ白州蒸留所に来たのか」「白州ブランドの素晴らしさについてどう思うか」「マッサンは駄作」など幾らかの踏み絵があり、この尋問を乗り越えないと入場は叶わないので慎重に回答しよう。
白州蒸留所に到着すると、入場門で受付をしてから場内に入ることとなる。
場内には蒸留所のほか天然水の工場もあり、ガイドツアーが行われているのだが、いずれかのツアーに申し込んでおくことが入場の条件となっている。
当日いきなり訪問すると受付でかなり待たされる可能性があるので、事前にツアー予約しておくほうが吉。
私は断然ウイスキーのツアーに行きたかったのだが、白州Loverがたくさん訪問しているのでかなり人気があり、特に夏場は2か月先くらいじゃないと空席が無い感じ。
一方で天然水ツアーはわりと余裕があったのでそちらにした。
蒸留所、(の)みたかったなぁ。
天然水ツアーまで時間があるので、場内にあるウイスキー博物館を見るとしよう。
建物自体はサントリー山崎蒸留所にあったキルン(ウイスキー原料である大麦を乾燥させる伝統的な施設)を復元しているそうな。
場内は自由に見学できるが、1時間に1本くらいでガイドツアーも開催されている、20分程度。
最近内装が変わったそうな。
右手に見られる大きなポットスチルや左手奥の樽の山が蒸留所らしい雰囲気を醸し出していて楽しい。
1Fではサントリーウイスキーの歴代ライナップが紹介されている。
国産の本格ウイスキーは1929年にサントリーが初めて発売し、以後さまざまな製品をデビューさせて日本の洋酒業界をリードしてきたのだ。
熟成に10数年掛かるウイスキー、その間に利益は一切生んでくれないし作っても売れるか分からないので博打性の高い分野。
その頃のサントリー(当時の社名は寿屋)は赤玉ワインのヒットで安定した経営をしていたが、ウイスキー進出はその安定性をぶっ壊して破産レベルの費用が掛かるから、みんな反対していたにも関わらず創業者 鳥井信治郎の「やってみなはれ」精神で自爆覚悟のチャレンジが始まった。
開発はのちのニッカ創業者である竹鶴政孝を招いて山崎に蒸留所を設けて行われ、最初の商品が1929年デビューの、この白札。
多大な投資が掛けられた、その成果の1作目であるが、ウイスキー慣れしていない当時のジャパニーズからは「煙ったい」として敬遠され、無事爆死。
苦労が報われるのは1937年角瓶の発売まで待たなればならなかった。
その間、サントリーは経営が圧迫されて主要事業を売り払ったり創業者の奥さんが病死して絶望状態になったり戦争が始まったりと散々な状況だったが、鳥井信治郎は12年モノの原酒を上手くブレンドして日本人好みの味を作り出す。
さらにウイスキーの綺麗な琥珀色をアピールするためにガラス瓶を採用、斬新なデザインは切り小細工から発想を得た。
これがヒットして以降、サントリーは多様な商品を開発し、ウイスキー業界をリードしていった。
今日、角として発売されているウイスキーは日本ウイスキー全体の偉大なご先祖なのだ。まぁ高級ウイスキーがじゃんじゃん出来ている時代なので、今では安酒の部類だが。
唐揚げ+角ハイって致死率200%くらいだと思うの。
てか展示されている瓶、なんで飲みかけなんですかね。
社員が我慢できずに飲んでしまったのだろうか。
アンクル・トリスで見覚えのあるトリスは1946年と戦後直後の発売で、暗く落ち込む国民のため安価で飲めるウイスキーとして活躍。
「トリスは平社員、課長は角」みたいなキャッチフレーズがある。私は半兵衛でみた。
ウイスキーのカラーいろいろ。
熟成度合いや使用する樽によって様々に変化するのだ。
左はアメリカンオーク樽で2010年から貯蔵されたもの。
右はスパニッシュオークで1997年からだ。
左のほうが熟成年数が短い分だけ色も薄いが、アメリカンよりもスパニッシュオークのほうが色が強く出るという特徴もある。人生いろいろ、樽もいろいろ。
あと味についてはアメリカンは甘くバニラっぽい風味、スパニッシュはコクが強く苦みやドライっぽさも出る、らしい。
色が濃すぎて、瓶に張り付いているラベルがもう読めないのもあるよ。
煮出しすぎた麦茶かな?
白州12年は「休売」の文字が寂しく記されているのでした、チーン。
これもハイボールが飲まれすぎているのが原因なので、次の原酒が確保できるまではしばらく焼酎ハイボールに差し替えた方が良い。
差し替えたところで課長も部長も気づかないだろうから大丈夫だと思うよ。
しかし中間価格帯の12年が休止になってしまったので、今あるのは安価なノンエイジか、高価な18年overになってしまった。
白州愛好家は18年モノを垂涎して横目で見つつ、ノンエイジを飲むという鬱屈した行為を当面は迫られるかもしれない。
おとなしく別のウイスキー飲めばいい話ではあるが。
無料ガイドツアーは1Fのみなので、2F以降は自由に見ましょうね。
ここからはウイスキー自体の歴史や過去の用具を扱っている。
・・と思ったら、これはワインの圧搾で使われた機具なんだそうな。
国産ワイン用ブドウの筆頭マスカットベリーAの開発者、川上善兵衛が用いていた用具。
サントリー創業者の鳥井信治郎は、赤玉ワインを強化するため国産ブドウの開発を狙っていたところ、川上善兵衛と提携して彼の抱えていた負債を肩代わりするかわりにサントリー社員にブドウ栽培技術を教示してもらったのだ。
赤玉ワインで得られた収益は、ウイスキー開発への最重要な資金源であったし、ヒーロー枠としてここに飾っているのかもしれない。
ここは錬金術師の部屋。
鋼のなんたらこうたらでは無くて、アルコール蒸留技術は錬金術師が発見したからだ。
8世紀ペルシャでのことで、それが大陸中に広まった。
酒の情報は広まるのが早い(確信)
これが古典的な蒸留器、とはいえ現在も仕組みは一緒である。
錬金術師は蒸留によってあらゆる物質から純金が取り出せると考えていたらしい。
結果的に、純金と同じくらい画期的なものが出来たから良いんじゃないですかね(笑顔)
中世スコットランドやアイルランドでは蒸留酒を「生命の水」とまで呼んでるくらいだ、なんだか楽しそうですね君ら。
蒸留技術について説明展示が様々あるのだが、説明役は何故かお茶の水博士である。
まぁ手塚キャラはサントリーに関わらず色んな企業とコラボしているので、これもまた営業活動の一環だろう。
ちなみに「ウイスキー」なる人物もいるそうな。
このジオラマはスコットランドにおけるウイスキー密造の現場である。
17世紀に英国に併合されたスコットランドへは、英国政府から重いウイスキー税が課され、密造に走るものが続出。
政府はガンガン取り締まろうとしたが、やればやるほど密造が増え、「むしろ減税したほうが密造が減って効率的に課税できるのでは」と思いついたのは19世紀のことであった。
ウイスキー製造者と愛飲家には暗い時代である。
「ややややってしまったあああ」
そんな光景を崖の上から覗き見ているデスパレートな妻たち。
たぶん官憲に密告すればそれなりの報酬がもらえたのだろう。
本場スコットランドは大麦で作る一方、新大陸はトウモロコシやらライ麦やらがあちこち実ったので、それを利用して蒸留をしている。
ウイスキーメーカーの古い広告、ポスターというかガッツリ装飾されていて、レトロ感が味わい深い。
なお私は今このアーリータイムズを飲みながらこの記事を書いています。
今日では存在しないメーカーも含めて、レトロなウイスキー瓶が置かれていますが、どうしてどれも飲みかけなんですかね。
この博物館の館員はもう少しガマンを覚えたほうが良い。
そういえばアメリカでは1918~1933まで禁酒法という法律があり、アルコールの製造や販売が全面的に禁止されたという、たいへん酷い時代があった。
しかし酒は薬用の効果もあると考えられていたので、医者が認めればウイスキーゲットが可能だったのだ。
そこでこのような薬用ウイスキーが存在した。
先生、私も頭が痛いので処方してください(二日酔い)
突如キラキラ空間となったが、サントリーが1955年以降に展開しだしたトリスバー。
名前通り、平社員の酒であるトリスをはじめ様々な洋酒を取りそろえ、仕事帰りのサラリーマンに一杯引っかけて行ってもらう酒場である。
今もそうだが、バーってオシャレなので慣れない人には敷居が高いから、一般ピーポーでも気軽に来られるように設計されている。
バーっていうよりパブなのではないか。
こんな容器もあったけれど、何の用に使うのだろう。
ウイスキーのドリンクバーにでもするのかな?
展示室は2~3Fとあって、その上は展望台になっている。
景色はこんな感じ。
南アルプスの山々に包囲されておりますな。
これで博物館おしまい。
場内には他にお土産売り場・レストラン(昼は混む)、そしてサントリーの扱う様々なウイスキーが試飲できるバーがある。
こちら。
立ち飲み席が多いけれど、4人くらい用の座席も2か所ある。
蒸留所ツアーや博物館の展示を見て我慢できなくなった大人たちが、がやがや集まって飲み比べをしております。
試飲は有料ですが、1つ100円~500円程度と、価格はそれほどではない。
サントリー傘下のビームサントリー社が世界各地の蒸留所を保有しているため、国産以外に海外のメーカーのものも含まれています。
しかし蒸留所限定のほうに目が行くよね。
白州モノだと、なんとニューポットがあるのだ。
熟成する前の未完成の原酒だが、興味深いので速攻で選択した。
左がニューポット、右側は高価なので滅多に飲めない白州18年です。
白州自体が希少になっているから、700mlで5万とかアホな値段で転売されている。
ニューポットは樽の色がつく前なので、水のような透明だ。
口元に近づけると、ボキャ貧なので説明ができないが「飲んだら死ぬ」とラベルの貼られた理科室の薬品のように強烈な香りがした。
フルーティさの欠片はあるが、強烈かつ粗々しすぎて、あまりそそられない。
「熟成前の原酒は猛々しい若武者だ」と例えられることがあるが、意識高すぎる新卒社員は扱いが厄介である。
おかげで18年の方の印象が記憶に残っていない。
1杯の量は15mlと微量ですが全部ストレートで出てくるので、慣れていない人は慎重に飲もう。
あなた自身が蒸留機になる必要はないのだ。
さて天然水工場のツアー時間になった。
工場は少し離れたところにあるのでバスで移動するのだ、とはいえ2分くらいで着くが。
工場内では天然水製造のビデオが壮大な音楽とともに流されたり、プロジェクションマッピングが華々しかったりと、お子様でも見ていて楽しい仕様となっている。
これは「南アルプスの天然水」のラベル拡大版だそうな。
よく見るとバーコードリーダーまで載っている。
どでかいですが読み取るのは可能です。
工場の模様。
水を詰めてるところは衛生面の問題で見られませんがね。
ペットボトルを段ボール詰めしたりラベルを巻くラインだった。
ボーっとしばらく見ていられる光景だが、残念ながらこのゾーンに居られるのは数分なのだ。
面白かったのはペットボトル。
これです。
さっきのに空気を入れて膨らませると、我々が手にするペットボトルになるんだと。
すごい小さい状態から始まるので、輸送に便利だそうだ。
工場を見終わったら、天然水の試飲をして終わりです。
ウイスキーはありません、無念。
でもヨーグリーナ美味しいよね。
以上
【入場料】無料(ツアーごとに別料金あり)
【滞在時間】3時間
【混雑度】★★★★(すぐ横に人)
【URL】
穂高郷土資料館
安曇野市の穂高にある郷土資料館です。穂高といっても駅前ではなくて穂高温泉郷のほう、駅からだと5km以上とだいぶ離れております。
私は自転車で行きました。穂高駅前にレンタサイクルできるところがあります。
穂高駅からの「あづみ野周遊バス」でも来れそうです。松尾寺というバス停で降りるとすぐだと思います。ただこのバスは1日5本くらいなのと、運行期間が限られているので要注意。
入館料は100円です。夏休みの土日なんですけどね、誰もいませんね。
私が入館した時は電気が点いてなかったし。いつもこんな感じなのかな。経営が心配ですねぇ。
まぁ空いてると思ったから来たんですけどね(確信犯)
面白かった展示は、NHKラジオドラマ『鐘の鳴る丘』関係。
1947年~1950年まで3年間も放送されていたロングラン作品で、この作中に穂高が関わってくるそうな。
ストーリー内容は「戦争で孤児になり生活に苦しむ子供たちのため、衣食住できる施設を作ろうと復員兵の青年が奮闘する」もの。
放送当時はまだ戦後真っただ中で、戦災孤児が全国で30,000人を超えて社会問題になっていたそうな。ドラマの題材としては相当リアルなものだったんですね。
孤児の社会復帰とそれを支える大人たち。重苦しい題材ながら、奮闘する登場人物の健気さに勇気をもらうリスナーが多くいた。
当初は週2回の放送だったが「いいぞもっとやれ」というおハガキが多かったので、平日毎日の放送と増発されました。スタッフが激務すぎて死んでしまいます。
(松本少年学院の後継施設である「有明高原寮」。建物は同一と思われる)
んで穂高はどこに出てくるの?ということですが、ドラマには出てきません。
え、関係あるからこれ展示してるんじゃないの?「穂高が出ると思ったけど、出たのは丸山穂高議員だった」みたいな詐欺は止めてくださいね。
一応この土地に「松本少年学院」という戦災孤児の救護施設はあったそうです。ドラマ開始の1年前に創設されました。
ドラマ脚本家が穂高での在住歴があり、ストーリーが「信州の山中に救護施設を作る」というものなので、これ穂高を題材にしたんじゃね?ってことで嫡出推定したそうです。おめでとうございます。
なお脚本家本人はどこをモデルにしたとか言ってないそうなので、穂高民たちの完全な勘違いである可能性も0ではありませんが、今となっては真相は北アルプスの中である。
とにもかくにも、ここはドラマゆかりの地なのです(推定)
ドラマに出てくる建物と同じ外装の集会所まで建ててしまったからね。資料館のすぐ裏手にあります。
その名も「鐘の鳴る丘 集会所」。まんまドラマのタイトル引用です。
建物自体は、そのドラマのモデルになったとかなってないとかいう救護施設「松本少年学院」のものを改修して使っております。
正確には、松本少年学院は1949年で法務省に買い取られ「有明高原寮」という施設名で稼働していた。1980年に施設が老朽化して要らなくなったところ、穂高町(現 安曇野市)が譲り受けたそうです。
以前は中に入れたそうなのだけれど、現在は青少年の研修施設として使用されており、そのためか内部見学はできませぬ。
・・まぁ外観から既に老いを感じるので、内部がどういう環境なのか、ある程度予測は付くのですが。本当に研修で使っているのだろうか。サバイバルの研修かな?
ちなみに松本少年学院になる以前は、なんと温泉旅館の建物として使われていたそうです。寿命ながいなーあんた。
有明温泉として売り出す計画だったのだが、あろうことか温泉がぬるかったので人気が出ずに潰れた。計画ガバガバすぎやしませんか。温度くらい最初に調べておけ!
温泉旅館として使われていたのは1919年~1926年。松本少年学院として改修されて出直したのが1946年。その間20年も放置されていたんかいな。さぞ廃墟マニア垂涎のスポットだったでしょうね。
というのがドラマ関係ネタでした。あとは普通に民具とか縄文土器だから、流していきますね(雑)
しかし民具を並べているのか放置しているだけなのか分からない資料館が多い中、ここはちゃんとジオラマセットされていて、えらいえらい。
この籠は小さな赤ちゃんを入れるベッド代わりの道具ですが、中にいるのは何故か静岡県の某さくらももこですね。
これは弁当を中に入れて保温する道具・・とかだと思うのだが、謎のキャラクターに占拠されております。
彼らが誰なのか、分かる方おられましたらご連絡ください。穂高名物 生わさび1年分を差し上げます。
展示用の机として段ボールを利用するDIY。
「予算が無いなら頭を使え」を実践していて、ホームメイドでよいと思います。
あまり隠そうとせず開き直りを決め込んでいるところもポイントが高いです。
そんな民具の中にいきなりレコードの山が登場するのだけれど、特に説明なし。
たぶん『鐘の鳴る丘』関係の音楽レコードと思われる。 にしても、裸でレコード置きますかね普通。
しかもレコードの右隣にメンコが置いてあって笑ってしまった。まさか円盤つながりで置いてる?安直すぎて新しいアイデアですね。たぶんレコードファンはブチ切れるであろう。
オルガンが出てきましたが、いったいどういう保管をしたらこれほど変色するんですかね。長年倉庫に放っておかれたか、持主の異常な愛情によるものであろう。
というか、展示して良いという判断をよくぞしたな。私なら躊躇すると思う。
最後にひな祭り。
松本地方で見られる「押絵びな」というもの。
紙で作っているので、横から見るとペラッペラ。
これなら片づける時も重ねて束にできるので、スペースを占領しなくて済みそうですね。現代のミニマリストにも通用する、時代を超えて需要を満たす逸品です。
でも他の地方の子供から「なんで○○ちゃん家のひな、そんなに薄っぺらいの?」と言われてトラウマになる恐れもあるので、カウンセラーの予約を忘れずに。
おしまい
【入館料】100円
【混雑度】★(誰もいない)
【滞在時間】30分
【URL】
印傳博物館
印傳と聞いてカレーか何かを思い浮かべて現地に着いたわけだが、私の予想は1mmも当たってなさそうである。
印の字でインドを想像する方に無理があった。
館内は、裕福なマダムが買い求めそうなバッグ・小物類がお上品に並んでおり、高級ショップ感を満面に漂わせている。
もう日本語の怪しいネパール人の兄ちゃんが出てくる気配はなくなったな。
話を真面目にすると、「印伝」とは鹿の革に漆で装飾した生地・もしくはそれを用いて作った加工品らしい。
巾着・財布・かばんなど日用品から、かつては馬具やら甲冑やらマスターソードまで何でもござれという素材。
17世紀にオランダ経由でインドから輸入されたので、これら装飾革製品が印伝と呼ばれるようになった。でんでん。
それを16世紀から甲府で商っているのがこの印傳屋で、2Fに博物館があるのだ。
博物館は入場料200円で、レジで入館したい旨を言えばよい。
残念ながら撮影禁止のようなので、代わりに置いてあったスタンプを撮りました。
16世紀創業という長い歴史を持つ印傳屋さん。
独自の技術開発で高品質な製品を販売し、甲府の金持ち町人からジャンジャン注文を受けたとか。
その技法は一子口伝・門外不出で受け継がれてきたが、まぁ今日ではネットで盛大に放送しております。秘術もyoutubeで伝える時代になったのです。
(信玄袋。画像は甲府市HPから 「印傳屋上原勇七 本店」で印伝の歴史を学ぶ)
展示品としては、過去の印伝製品が多様に並べられてましたね。
気になったのは「信玄袋」。明治時代にカバン代わりとして流行したそうな。
紐がついているし。結ばにゃならん風呂敷よりもeasyモードといえよう。
しかし上の写真で青と赤の信玄袋が登場しているが、信玄餅にしか見えないな。
信玄餅のあの袋は信玄袋なのだろうか、信玄だらけ。風風林林火火山山。
ところで信玄袋、べつに信玄が使ったわけではないらしい。
なんにせよ信玄の名前使おうとしますね、甲州民。
この分だと「株式会社信玄」とかどうせあるんじゃないかと思って、国税庁の法人検索ページで調べてみたら、「(株)信玄」で5社、「有限会社 信玄」で9社あった。
これだから山梨は・・と思ったら、大阪や鹿児島の会社であった、どういうことだ。
(画像は公式HPより。以下2枚同じ 模様 | 印伝の世界 | 印傳屋 | INDEN-YA)
あと見ていて面白かったのは、鹿革に施す模様。
印傳屋では多種多様な模様の型を持っていて、その数は数百種になるという。
青海波(せいがいは)は武家関係グッズでよく登場するが、果てしなく続く大海原を表し、永久の平和や安全を祈ったりする。
じっと見てるとゲシュタルト崩壊おこりそうで、気味が悪くて大変良い。
(ペイズリーの模様。引用元は上掲に同じ)
これは渦巻や勾玉の模様を表しているそうだが、博物館に展示してあった物はこれより遥かにグネングネンに蠢いていて、顕微鏡で覗いたアメーバみたいな感じであった。
あれも気味が悪くてとてもよかった。
そういえば鹿革は1頭につき1m四方程度しか取れないらしい。相当貴重。
肉も革も使えるなんて鹿は有能だな。もっとローソンとかに置けばいいと思う(コナミ)
その鹿革も館内で触れますので、せっかくだからベタベタ触ってクレメンス。
(紗綾形の模様。引用元は上掲に同じ)
あとは紗綾形(さやがた)。
卍の形を崩したのが原型だそうだが、私にはパックマンのステージがバグって崩れたように見える。
とまぁ、これら様々な模様を用いた財布やバッグが売られているわけだ。
アナタの個性にあった模様をコーディネート・・出来るかは知らないし、出来てもかなり高そうだが。
夏のボーナスの使い道に困っている方は全額つぎ込んで、表はアメーバ・裏はミドリムシみたいな夢のあるオリジナルバッグを作られては如何だろうか。
以上
【交通手段】甲府駅から徒歩15分
【入館料】200円
【混雑度】★★(博物館自体は他に2~3人。店内はもっといた)
【滞在時間】30分
【URL】