C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

飛騨高山まちの博物館

 

古い街並みの一帯を制圧しているのは高山市の博物館です。

「まちの博物館」という名称だけれど、高山市全般を対象とした郷土資料館と考えて良い。

 

 

商家の建物を博物館として再利用している施設が近辺に幾らかあるけれど、ここも同様です。

矢嶋家と永田家という2つの商家の土蔵をぶち抜いて利用しています。

使えるものは使う、リサイクル精神です。

 

 

しかし市立博物館なのに展示室内は撮影できないのよね。

けち臭いなぁ(直球)

 

館内は15もの展示室があり、高山の歴史のほか美術品・工芸品・街並み・暮らしなど多岐にわたって紹介しています。

なおさら写真撮れないのが痛いですね、これは痛い。

全部は扱いきれないので、気になった部分を書きます。

 

(金森長近。画像はwikiより)

 

高山発展の礎は、江戸時代の高山藩を率いた金森家ですね。

初代の金森長近は18歳で信長に仕え、長篠の戦で戦功をあげるなどし、福井県越前大野城を貰っていた。

高山の付近には姉小路家という大名がウロウロしており、身の程知らずにも秀吉に挑んでしまったので、秀吉の命で遣わされた金森長近がこれを倒してそのまま高山に居付き、城下町を整備した。

有能。信長の野望では打率2割8分くらいの能力だから、全然知らんかったよ。

 

(金森頼時。画像はwikiから)

 

そのあとも金森家は基本的に有能なのだが、6代目頼時は出羽の上山に転勤させられ、高山藩は終了し、幕府の直轄領となる。

高山には豊富な鉱物・木材資源があり、これに目を付けた幕府が土地をボッシュートしたという説が濃厚。

 

ここで面白かったのが、頼時くんの異動話。

行先の山形県 上山にはてっきり城があるものだと思ってたのだが、この土地も幕領になっており、戦国時代には存在した城は潰されてしまっていた。

おっと住むところがないぞ!おかげで慌てて屋敷を建築するなど、大変バタバタな引っ越しになってしまった。

転勤先の住居を紹介するどころか、壊した後の家をあてがう幕府。これはぐう畜ですわ。

 

 

(『図説・大原騒動―飛騨百姓一揆の史実と伝承』amazonに出てます)

 

幕府直轄領になった飛騨の国。

1771~1788の間に勃発したのが「大原騒動」。

大原紹正・正純という親子が2代続けて飛騨のトップを務めたのだが、ともに失政やらかして百姓一揆ひきおこしているのだ。

親子そろってアホですねぇ。息子は八丈島に流されたよ。アディオス。

 

(屋台会館にあった屋台たち)

 

歴史の話から離れて祭りの話です。世界遺産にもなった高山の屋台。

もともと町民でワッショイしてたけれど、戦後になって高山が観光地になってきた。

町民だけで祭りやるなら屋台は多少ボロくても良いかもしれんが、観光の目玉となるとそうもいかない。

町内会だけで出費すると持たないから、困ったときの財政出動ということで、現在では行政9割 町内会1割で負担している。

有名になったらなったで、お金が掛かるものだねえ。

 

なお祭り当日が雨の場合は、屋台ださないようです。

え、本当?じゃあ税金返しなさいよ(高山市民ではありません)

 

本膳料理の最初の膳。画像は飛騨高山 料亭『洲さき』 | 宗和流本膳 より。以下同じ)

 

あと本膳料理の説明ビデオが館内で流れていた。

冠婚葬祭の時に出る料理コースで、戦前までは全国各地で見られたが、珍しくなっている。

↑の画像元の料亭「洲さき」のHPによると、ボリュームが尋常じゃない。

まずこれが「本膳」なのだが、まだ序の口に過ぎない。

 

 

これが2つ目の膳。

私はたぶん一つ目の膳でもう腹満杯だと思うのだが、さらにこれを食べるのか。

だいぶ時間を掛けないときつそうだな。

 

 

3つ目の膳。

ここでは御吸物をみんなでわけあうので、さほど強敵ではない。

 

 

しかしフィナーレがこれですよ。

ここにきてタイ1匹まるまるかよ。

古代ローマの美食家たちは、食事を食べては吐き、食べては吐きで、腹のボリュームをコントロールしながら大量の美食を食べていたそうだが、私もここまで来るとトイレに駆け込みそうである。

あ、食事中に汚い話ですみませんね。

 

もちろん、これら大量の料理を2時間とかで食べるわけではない。

なんと10時間程度も掛けるんだそうな。1日食事と睡眠だけで終わってしまうがな。

しかも酒まで出てくるからね。もう最初の1時間でへべれけになって記憶に別れを告げたオジサマ方が頻出しそうである。

 

まぁそれだけ冠婚葬祭を重要なものとして、手間暇を盛大に掛けていたんでしょうね。

こりゃ現代人には難しいよ、伝統も廃れてしまうわけですわ。

 

 

さて最後に、企画展でこんなのやっていた。

ヒアリがやってくる」って、「日曜日にガチャピンが遊びに来るよ」くらいの明るいノリに聞こえますが良いんでしょうか。

行政はもっと危機感を持ちましょう(市民の声)

 

 

ここだけ撮影禁止のマークが無かったので、撮っても良いようです。

ヒアリでも展示しているのだろうか、いやー楽しみだなぁ。

 

 

と思ったら、なぜか犬がいる。

説明展示を見ると「大陸から移動してきました」と書いてある。

あれ、これってヒアリ特別展じゃなくて、「海外から流入してきた生き物展」ですか?

なんだ、ちょっとガッカリした。生のヒアリが見れると思って楽しみにしていたのに。

本当に居たら居たでビビりますけどね。

 

 

 

まぁちょっと考えれば、こんな観光地にヒアリ持ち込んだら大問題ってことくらい分かりますよね(戒め)

ショックなハートは、ハトでも見て落ち着けましょう。

これまた大陸から5世紀頃に持ち込まれました。

 

 

しかしブタの写真はけっこう悪意があるのを選んだね。

目に黒線はいってるみたいで怪しいじゃないか。

 

 

クロゴキブリも大陸から来たが、伝染病を媒介するクソ性能をお持ちです。

さっさと滅んで、どうぞ。

 

 

なんでニホンジカが居るんだ?と思ったら、日本→海外へ出て問題を起こしている者どもも扱っているようです。

狩猟用として欧米に持ち込まれたが、現地の鹿と交配してしまって種の保存的に面倒なことになっているようです。

 

 

ようやく最後にヒアリ登場。

お写真だけで御勘弁ください。

生体を持ってきて逃がしたら大変なことになってしまう(大原騒動)

 

 

テーマが色々あったので、見る人の関心分野次第で、様々に楽しめる博物館でしたとさ。

 

以上

 

【交通手段】高山駅から徒歩20分

【入館料】無料

【滞在時間】60分

【混雑度】★★(他に2~3人)

【URL】

www.city.takayama.lg.jp

高山祭屋台会館

 

2016年に「山・鉾・屋台行事」って名目で日本各地の祭りが世界遺産に突っ込まれましたが、その1つは高山からエントリーされています。

その名も「高山祭」。まんまだな。

豪華な屋台を担いで町内を賑やかに練り歩く、いたって平穏な内容です。

奇祭でもかなまら祭りでもないので、そのへんは期待しないでね。

 

 

高山祭は春と秋に行われるけれど、春は日枝神社、秋はココ桜山八幡宮の開催となっております。

だから資料館が桜山八幡の敷地内にあるのね。

 

入館料は900円と言うハイプライスですが、隣の桜山日光館へも入ることが出来ます。

なんという抱き合わせ商法。

 

 

ついでに音声ガイド機器もセットで付いてきます。

 

 

入館しますが、さっそく屋台がこれでもかというほど並んでますね。

桜山八幡では11の屋台と神輿1台を保有しており、全部は展示しきれないので、期間ごとに入れ替えております。

これらを秋の祭りでは総出動させてドンちゃんやるわけ。

 

 

屋台を見る前に、手前の侍っぽいのが気になりますが、これは祭り行列に並ぶ時の衣装だそうな。

桜山八幡の氏子たちはみんなこれを持っていて、祭りの日に着用して参加する。

ご立派だけれど、着るのも歩くのも不慣れだと大変そうなので、要練習ですな。

 

 

高山祭自体は、戦国終盤に高山へ入ってきた金森氏の時代に始められたそうな。

当初はごく普通のお祭りだったようだが、19世紀に入ると城下町が発展して金持ち商人も登場し、彼らがじゃんじゃんマネーを突っ込んで派手な屋台を作り出したのだと。

そうそう、金持ちはそうやって社会貢献しましょうね。

 

 

各屋台のところに音声ガイドの案内があり、1台1台解説を聞くことが出来ます。

ぜんぶ聞いていると結構な時間になるので、お連れの方がいる時は顔色を伺いながら進みましょうね。

この屋台は最もスタンダードな形式の「金鳳台」と呼ばれています。

ちなみに屋台は20人くらいで動かすそうです。

 

 

こちらは布袋尊の人形を乗っけた屋台なのだが、からくり仕掛けが施されていて、布袋尊の周りに違う人形が登場して踊るパフォーマンスが出来るんだそうな。

しかも演出の最後には紙吹雪まで出るんだと。

すごいな、星野源かよ。

 

 

こちらは屋台では無くて神輿です。

車輪が無いので、全て人力で持ち上げないといけません。

重さはなんと2トンもある。

運ぶには男手80人必要で、神輿を担ぐ以上は同じくらいの身長の人を揃えないとならないのだが、1950年代からなかなか集まらなくなってしまったので、本番で使われずこうして封印の憂き目にあっている。かなしいなあ。

 

 

とりあえず11台ある屋台のうちの3台は見られたのでした。

全部みたい人は周回プレイ頑張りましょうね。

 

 

あとはちょっとした資料室。

 

 

ここに展示されているのは、屋台の台車です。

3台付いている車輪のうち、2つは普通のものであるが、1つは横向きになっている。

屋台を方向回転させるとき、この方がやりやすいということで、高山の職人オリジナルで作られた。

 

従来は4つ車輪があったのを1つ減らしてこうしたので、発案した職人本人は祭りの日が近づくにつれ「バランス崩して横転したらどうしよう」と心配になり夜も眠れず、当日は怖くて家に引きこもって布団被っていたらしい。

懸念も問題なく、むしろ画期的な発明だったわけですが。

 

 

あとは屋台彫刻の下絵が置いてあったかな。

 

というわけで、豪華な屋台がどかどか出演する世界遺産高山祭、皆様も一度ご見学ください。

私は混雑嫌いなので、youtubeに上げられるのを待つとします(貧弱)

 

以上

 

【交通手段】高山駅から徒歩20分

【入館料】900円

【混雑度】★★★(ちらほら)

【滞在時間】40分

【URL】

www.hidahachimangu.jp

 

 

松本市歴史の里

 松本市周辺にある文化財的な建物をまとめてここにぶっ込みました、ってのが歴史の里です。5つの建物と1つの展示棟という、かなりのボリューム。

広い土地が必要なせいか、松本駅西口からコミュニティバス「タウンスニーカー」で25分とだいぶ偏狭なところにあります。周り一面、田んぼだし。

 入館料は400円です。

最初の建物は、長野地裁の松本支部として1908年建築された裁判所の庁舎。

1977年まで使用され、あやうく死刑(解体)にされるところだったが、明治時代に造られた裁判所としては最高レベルの完成度と言うことで国の重文にもなっており、移築されて余生を送っております。

裁判所つながりで、判決後に法廷外で弁護士連中がおもむろに見せつけるアレがお土産ショップにて売られております。正式名称「びろーん」っていうらしい。ほんまかいな。

モノはハンドタオルですので、用途はいろいろ。日々の入浴で使うのも、混浴温泉に出かけて「全面勝訴」を頭に巻きつけて仁王立ちするのも自由権の範囲内だ!(訴訟では負ける模様) 

 戦前の法廷に来ました。壇上中央が裁判官、左側が検事です。

裁判の当事者である検事が裁判官の隣にいて、一段低い位置にいる被告側を見下すような立ち位置になっている。被告は潔白を主張するはずが、検事に対して許しを乞うみたいな図になります。

 証言台には誰もいません。あなたが立つのです。被告人として。

 シナリオまで用意されていて、証言台にあるボタンを押すと音声が始まります。

A「自動再生」を押すと全シナリオが音読されます。B「被告人はアナタ」の場合は、被告のセリフ部分だけ読まれないので、アナタが演技することになります。しかし訴追される側を演じるって嫌なもんだな。頑張って冤罪を主張しましょうね。

横浜地方裁判所) 

法廷の隣にある書記官の部屋では、各裁判所の昔の姿を見られます。

横浜や神戸など外人の多そうな地域には、洋風の近代的な庁舎が建造されました。

 一方で長野市の裁判所は・・これ誰かの家ですかね?

新しい裁判所をポンポン建てる金なんか無いから、大名屋敷や寺院の建物を転用して使っていたそうです。気合を入れて裁判に来たら、寺の子供が敷地でのんきに野球やってる可能性も微レ存?気が抜けて全面敗訴してしまう。

 江戸時代の取り調べの場面の絵がありました。中央で半裸のオッサンが組み敷かれてボコボコにされております。取り調べというより公式リンチである。 

 裁判所を出たら次は、松本にある少年刑務所の旧牢獄に来ました。

さっきの裁判に負けてしまった者の末路である。アーメン。

これが独房の様子。畳一畳+板間。

寝床のすぐ横にトイレって、嫌だねぇ。

こちらは3人部屋だそうです。

こんな狭いスペースに男3人・・なにも起こらぬハズはなく・・アーッ!

トイレするときなんて最悪だね、1人が”かました”臭気を他の2人も吸わねばならんのだ。「懲役刑を食らうとこういう部屋で過ごす羽目になる」ということをもっと知らしめれば、犯罪は減ると思います(こなみ)

使われていた当時の仕様のままだから、扉閉めて外から鍵かけたら、中からは開けられないよ。セルフ アズカバンにならないよう気を付けて遊びましょう。  

 次の古民家は「宝来屋」という宿。

飛騨・高山方面から岡谷・諏訪方面の養蚕工業地帯へ出稼ぎに来る女工が多かったのだが、その移動ルート上の最難関である野麦峠の麓にあり、一夜の休憩所となっていた。

その凄惨な暮らしは『あぁ野麦峠』というドキュメンタリーで有名です。 

多い時は宿泊する女工、一晩で100人にもなって、このスペースに雑魚寝していたらしい。とてもじゃないが収まり切らんだろう。人間テトリス状態である(ただし消えない)

 その女工たちが出稼ぎにやってきた製糸工場。長野県の諏訪・岡谷では養蚕業が全国的にも盛んであったので、わざわざ岐阜県から山を越えてきたのだ。

館内の設備、なんとお触りOKです。機材のすみずみまで触って、生糸の作り方を調べましょう。

 そして最後の展示館では、ミニ展示を3本置いている。

『あぁ野麦峠』の作者 山本茂実に関するもののほか、川島芳子とシベリア抑留関係。 

 

 川島芳子さんです。清朝の皇族というれっきとした中国人だが。日本人の養子になったので日本風の名前。第二次大戦のときに満州ラストエンペラー溥儀の脱出に関わったり、上海事変工作員だったり、女性ながらにエグいスパイ活動を行っていた。

 一人称は「僕」。なんとボクっ娘の先駆け的存在である。終戦時には酒とヤク浸りの生活で廃人状態であり、日本に協力した罪で中国軍により処刑された。ネタがありすぎるので、いろんな作品に登場しそうである。

 戦争つながりで、田中三喜雄さんという人の漫画もあった。

実際にシベリア抑留されて死にかける体験をしたのだが、帰国してからその悲惨な有様を、のんきな絵柄で表現するというブラックユーモア溢れる作品を残している。

ただ知名度は殆どなく、グーグル先生も知らないようで検索しても出てこない。 

 個人的には、この1コマ即落ち桃太郎が非常に好きです。

おわってしまったがな。

 実はもう1軒、木下尚江という明治期の社会運動家の住家があるのだが、もう疲れた頭で小難しい話は無理なのだ。中は普通な和室だったよ。それだけです(なげやり)

 

おしまい

 

【交通手段】松本駅からバス25分、大庭駅から徒歩15分

【入館料】400円

【混雑度】★★(他に2~3人)

【滞在時間】90分

【URL】

matsu-haku.com

飛騨民族考古館

 

THE古民家って感じの佇まい。

古い街並みをそのまんま資料館にしましたシリーズです。

このシリーズ何軒かありますが、全部制覇しましょうね。

 

 

江戸時代に高山で御典医やってた一族の住家だそうな。

土間においてあるのは蒸し風呂。病人を中に入れて、一緒に薬草も突っ込んで病人ごと蒸せばあら体調元通りという品。

 

 

足元には仏像おいてあってお賽銭はいってますけど、これ本当に客が投げ込んだんだろうか。

入場料500円と意外にしたからね。

資料館側がパフォーマンスで置いている、と私は思っております。

 

 

見慣れぬ地蔵だなと思ったら、地蔵じゃなくて「石人像」というらしい。

中国は明の時代の物。

お医者さんわざわざ中国から取り寄せたのか?

でもこの資料館1972年にオープンしていて、そのときの創設者のコレクションを陳列してもいるらしい。そっちの持ち物だろうか。

 

 

壁に貼られているのは一角のツノ。

粉末にすると解熱剤に。

高山どころか日本周辺では手に入らないので、オランダの商館から伝わったそうです。

 

 

土間土間ど~ま~の次は、奥の土蔵内へ。

 

 

土蔵までの通路にあった、昔の井戸。

 

 

覗いてみると、まぁ深い。

スマホ落としたら一生取り戻せないので、撮影時は気を付けましょう。

意外とひやひやする。

 

 

土蔵の中は綺麗に展示室となっております。

 

 

石棒、長いですねえ。

いったい何を意味しているのでしょうか、まったく分かりません(すっとぼけ)

 

 

土偶だそうですが破片と化してしまっているので、もう破片という展示で良いと思います。

 

 

床にはまたトラップがあります。

さっきの井戸と言い、客の持ち物を没収しようといろいろ仕掛けてくる屋敷である。

覗いたら小銭が落ちていたけれど、賽銭箱じゃないのよこれ。

 

 

また石人か?と思ったら、こちらは日本の古墳時代の像であった。

石人石馬は九州では聞きますけどね、飛騨にも石で埴輪っぽいもの作る風習があったんでしょうか。

 

 

集合体恐怖症だと発狂しそうな見た目している「ハマグリ石」。

江戸時代の伝承で、「夜になるとうめき声を上げる」「背負って運ぼうとするとだんだん重くなって動かせなくなる」という怪異のおまけつき。

ちょっとそんなん飾らないでくださいよ(震え)

 

 

普通の陶器もありますので、これで心を鎮めましょう。

 

 

土蔵から戻ってきて、最後に座敷へあがります。

 

 

鎌とか手裏剣とか物騒なのばかりですが、おたくは戦う医者なのかな?

イルハンマーも使うのかしら。

 

 

なかなかマヌケなポーズですが、これも江戸時代の陶製置物ですね。

猫じゃないです、虎でした。

 

 

そんな感じの民俗道具+古民家の資料館でした。

建築的な話は分からないのでスルーしたのだが、この建物には吊り天井とか忍び窓という珍しい仕様があるそうだ。

展示品のボリュームの割に入場料高い感があるので、分かる人にはそこも注目してもらって、少しでも元を取りましょう。

 

以上

 

【交通手段】高山駅から徒歩15分

【入館料】500円

【混雑度】★★(他に2~3人)

【滞在時間】30分

【URL】

kankou.city.takayama.lg.jp

 

 

桜山日光館

 

高山の桜山八幡宮の敷地内に、桜山日光館というのがあります。

日光東照宮のミニチュア模型を飾っている資料館であるらしい。

なぜ高山で日光なのか。高山民はすごい日光いきたいけど、遠いから模型で満足しろという趣旨なのかな?

 

この施設、同じ桜山八幡宮の中にある「高山祭屋台会館」とセットとなっております。

つまり日光館に入りたくば、屋台会館の券を買わねばならんのです。抱き合わせ商法。

合わせて900円。2館分と考えれば高くはないと考えるべきか。

 

 

入館しますが思ったより広い、というか模型がデカい。

日光東照宮の中にある建造物を片っ端から1/10スケールにしてみました。

まるで東武ワールドスクウェアである、あれも日光の方にあったな。

 

 

入館して最初にデカデカと主張するのは五重塔くん。

本物は高さ35mだから、1/10にしても3.5mはあるよ。

1650年に小浜藩が寄贈したそうな。←という解説展示もちゃんと付いている。

 

 

経典を納める場所「輪蔵」。

黒地に金の装飾は、他の建物と比べるとシックな方だとあとで分かります。

 

 

表門。牡丹や獅子などの彫刻が多数施されており、木材の組み込み方とか、仁王像セットとか難易度高いけれど、ちゃんと作ってある。

しかしこれもまだまだ序の口であった(RPG並感)

 

 

鐘楼。下部は難しくなさそうだが、上部は彫刻の数も種類も多く、さほど大きな建物ではないがさりげなく絢爛豪華さをアピールしている。

 

 

上部を拡大してみました。

金の龍が一番目立つけれど、花柄の装飾とか足場の下のポツポツしたやつ(ボキャ貧)とか細部まで寸分の狂いもなく配置されている。

 

 

神厩は、神社の馬(神馬)の厩舎だが、東照宮は例の三猿が施されているので有名だ。

 

 

しかし肝心の三猿、観客から直接見えない位置に装飾されているのよね。

なのでわざわざ鏡越しにみるしかないのですが、遠すぎて見えないよ!

神厩の向き、こっち側に変えてもらえませんかね。

東照宮内での配置の通りに、各模型を置いて居るので、向きを変えたら本家順守では無くなってしまい東照宮ガチ勢が怒りだすかもしれない。

 

 

建物以外の小物っぽいのも再現されているのです。

手を洗う「御水舎」。

本物の柱は水に濡れても腐らないよう花崗岩で出来ているですが、これもそうなのだろうか。

 

 

鳥居もあります。

これは難易度ひくそうだね(無礼)

 

 

一番のメインはこれですね。

東照宮の建造物で最も有名な陽明門。

 

 

これまでの建造物と一線を画して純白が用いられており、神々しさ・ありがてぇありがてぇ、を感じさせます。

施されている彫刻は500を超えており、1日ボケーっと眺められることから「日暮御門」とも呼ばれている。

これに比べたらさっきの鳥居なんて一瞬で出来るわな。

 

 

門の上部をアップしてみましたが、装飾があり過ぎて何が何だか分からなくなっております。

 

今さらながら、なぜ東照宮の模型をここで作ったかと言うと。

飛騨の木工職人は古代から腕が良くて有名で、大正時代に長谷川喜十郎という大工が日光社寺の修理委託を受けており、東照宮の建築図面をこのとき作ったので、それを持ち帰って模型製作に生かしたんだと。

ただこれら盛大な模型たち製作に携わったのは合計33人の職人、計15年も費やしたらしい。

ガンプラオタクの大先祖と言ってよい(適当)

 

 

陽明門に隣接する回廊です。

羽目板になっているが、全て1枚板をくり抜いて作られているそうな。

1つ1つ模様が違うので、これまた見ていて飽きない仕様です。

陽明門と合わせると3日間くらい潰れるんじゃないの。

 

 

板を拡大してみました。

 

あと江戸時代の高山藩主である金森家のうち、3代目重頼は将軍秀忠の信頼が厚く、秀忠が東照宮に行く際のお供をしょちゅうしていたそうな。

そんなんで高山藩でも東照宮を城内に勧請して祀ってたのだが、1692年に高山藩は天領となったので城は廃止になり、東照宮の面倒は桜山八幡宮が見ることになったのだと。

寺の面倒を神社が見るんかいな。あなたの隣人を愛せよ(宗派が違う)

 

そんなのが、高山と東照宮の繋がりです。

桜山八幡はこの地域最大の神社なので、連動して東照宮へも民衆の愛着があるでしょうね。

 

 

 

陽明門でお腹いっぱいなので、もうあんまり見る気がしませんが、こちらの拝殿も大層豪華です。

 

 

そういえば東照宮のどっかにいる(適当)眠り猫。

こいつだけソロデビューしており、展示室入り口に飾られております。

しかも実物大の大きさ。

ちょっと扱いが違うので、三猿たち怒って良いんじゃない?

 

 

というわけで飛騨高山に来て東照宮を堪能できる施設でした。

もうこれで日光に行く必要は無くなったな(満足)

あそこいつ行っても混んでるからね。みんなこの高山ワールドスクエアで家康欲を消化してクレメンス。

 

以上

 

【交通手段】高山駅から徒歩20分

【入館料】900円(屋台会館とセット)

【滞在時間】30分

【混雑度】★★★(ちらほら)

【URL】

www.hidahachimangu.jp