C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

泉美術館

 

広島市にある泉美術館に来たのだが、なぜかデパートがあるのだった。

どういうこっちゃと当惑したが、この建物の5Fにある模様。

 

 

この美術館は、株式会社イズミの社長夫妻のコレクションをベースに展示している。

広島を本拠にするスーパーマーケットのチェーン店です。

 

スーパーと美術品って全く共通項ないので意外な感じがするが、関東でもヤオコーの美術館が川越にあったりするので特段奇特なわけではない。

 

Wikipediaから)

 

イズミの社長は戦後の広島駅前で闇市の屋台を始め、それがこの会社の起源だそうな。

なんかいきなり仁義なき戦い感がでてきて怖いんですけど、半世紀前のことなので多少はね。

 

展開している店舗には「ゆめタウン」「ゆめモール」など、”ゆめ”が名称に付いている。

だからこのロゴ、「ゆめ」って読ませるんでしょうね。

あぁ、そうっすか(脱力)

 

 

 

 

 

(館内の様子)

 

絵画のたたき売りでもしてるのかしらとか思ってたら、どうみても正当な美術館でした。

入場料は300円と安めだけれど、高級感あって清潔な展示室に、比較的大きなサイズの絵画が掛けられていたり、彫刻作品が置かれたりしていた。写真の通り。

 

部屋のサイズは小規模であり、展示品は20点~30点ほどだったかと思う。

これくらいが気軽に見れるので一番楽と言えば楽である。

 

ティールームも併設されていて、ケーキセットで500円だから、美術館にしては良心的な価格じゃないだろうか。

そのケーキはスーパーでも出しているのかな?(すっとぼけ)

 

 

 

正統派と思わせつつ、地元特有イベントもあります。

有名なのは広島カープ特集である。 

カープの歴史やグッズを展示しまくる人気企画で、毎年やっている模様。

ファンはぜひご来場いただいて、読売倒しましょうね。 

 

熊谷守一『蟻を見る』)

 

展示品の中で、個人的に面白かったのは熊谷守一のこの絵。

どでかい蟻が画面を堂々と動き回っており、シンプル過ぎて小学生でも書けそうな気もするが、そのため存在感を主張しまくってくる。

 

こういうデカい蟻、たまに居るでしょ。

たかが蟻といえども大きいやつは気味が悪いし、潰すのが億劫になるが、この絵見てるだけでそんな嫌な蟻に面している気分になるわ(誉め言葉です)

 

熊谷守一『水滴』)

 

『水滴』に至っては、絵心が壊滅的に無い私でも描ける気がする。

しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん。

シンプル過ぎるゆえにあまり気合を入れなくても見られるし、頭に入りやすいところが良いだろうか。

何も考えずにボケーっと眺める絵、としてはナンバーワンかもしれない。

 

 

(ズビネック セカール『Obydlí I』←読めない。Zbyněk Sekal – Wikipedie チェコ語版ウィキ

 

展示品は絵画に限られず、彫刻もあります。

セカールの作品です、セガールではありません。

 

よくわからんけど、世界的な彫刻家らしいよ(こなみ)

調べて分かったことがあれば追記します。

 

 

こうした芸術作品の他、陶磁器も展示されていた。

もうなんでもありだな。

 様々なジャンルの美術品を、お手軽な価格で楽しめるのでした。

 

以上。

 

【交通手段】草津南駅新井口駅から徒歩15分

【入館料】300円

【混雑度】★★(他に2~3人)

【滞在時間】40分

【URL】

www.izumi-museum.jp

宮島歴史民俗資料館

 

宮島にある郷土資料館です。

フェリー乗り場から歩いて20分くらいのところにある。

入場料は300円。

 

 

見ての通り古民家再利用案件ですね。

宮島は観光客が多くて、厳島神社や参道の商店街あたりは人がわんさかいるが、少し離れたこの辺は若干すっきりしている。

人がいないのは良いですねぇ、施設には打撃だが。

 

 

この民家は醤油製造の豪商のもので、1800年代前半に建てられたとされている。

だからお店っぽい内装してますね。

 

 

この部屋にある人力車は、最後の広島藩浅野長勲が宮島で実際に使用していたもの。

 

 

 

豪商が持つ金庫は立派ですねぇと思ったら、宮島町役場が1935-1968まで使っていたものらしい。

しかも製造は東京である。

商家ぜんぜん関係ないじゃん。

 

 

巨大しゃもじ君。

宮島名物の一つにしゃもじがあり、商店街ではお土産品としてバカスカ店頭に並べられている。

 

18世紀末の宮島では目立った産業が特になく、島民は貧困にあえいでいたそうな。

そこに訪れた僧侶が木工細工の技術を伝えて、稼ぐ手段として成立した。

日清戦争時に広島の宇品港から出征する兵士たちが、「敵をめしとる」縁起物として買っていき、全国的に知名度が上がったとされる。

 

 

壁には絵画が飾られている。

厳島神社の祭礼である、玉取延年祭りを描いている。

 

 

海上に櫓を建てて、神社に供えられていた宝珠をそこに置く。

そのあと褌一丁の男どもにより宝珠の争奪戦が行われ、境内に設けられたゴールまで運んだ者が優勝です。

 

半裸の男性たちのくんずほぐれつの戦い。

それ、神様に見せて良いものなんですかね(白目)

 

 

資料館には、この古民家部分のほか、資料室が4つもあります。

最初の資料室に行こう。

 

 

資料室no.1。

しかしなんと内部は撮影禁止。

資料を広める立場の資料館が、これはいったいどういう事なんですかね(憤然)

 

(画像は廿日市市HPより

 

仕方ないので室内の画像は引用です。

資料室no.1では農具・漁具の紹介。

 

宮島は古くから神域であるため、明治時代になるまで島内での農業は禁止されていた。

そうなると食べ物は島外からの輸入に頼るしかないが、先述の通り宮島では目立った産業が無かったため、農業が出来ないことは島民の貧困に拍車をかけたであろう。

神社ばかりは寄進で儲かっていたかもしれませんが。

 

(画像は廿日市市HPより

 

資料室no.2は祭事の関連。

厳島神社で行われる数々の行事を紹介しています。

 

(画像はWikipediaから)

 

もみじ饅頭の展示もあった。

初登場は1907年頃で、茶菓子屋をやっていた高津常助という人が「宮島らしいお菓子」をテーマに、島内の紅葉を模った饅頭を作ったのが始まり。

 

ここから始まる高津堂は、もみじ饅頭の代表的銘柄として現在に繋がっております。

 

(画像はWikipediaから)

 

更には「揚げもみじ饅頭」なるものまで登場し、商店街で行列が出来る人気店になっている。

 

私も食べてみました。

旨いんだけど、別に揚げなくても良いのでは?と思ってしまった。

それ言ったらおしまいですが。

 

(画像は廿日市市HPより

 

資料室no.3は、特産品。

というわけで、しゃもじしゃもじしゃもじ・・・!

 

 

ここまでの資料室が昔の建築物を再利用しているっぽいのに対して、資料室no.4は現代的です。

撮影禁止なことは変わりませんがね。

 

(画像は資料館公式HPより)

 

内容は宮島の歴史・文化全般と、厳島神社の興隆に関わった平清盛に関する展示であり、2F建てになっているのでなかなか重厚である。

 

33歳で安芸国の国守になっていた清盛は、藤原氏春日大社を奉じているように、平家にも氏神を設定して威厳アップしようと考えていた。

領内にある厳島神社は、大日如来本地仏とする神社としては伊勢神宮を除いて唯一のところである(らしい)。

もともと地域で信仰されていたが、清盛がガンガン取り立てて、嫌がる高倉上皇を無理くり連れてきて行幸させるなどしたため、厳島は強い神社になりました(こなみ)

 

 

展示を見終わったら、資料室から出ます。

 

 

最初のとは違う古民家です。

さっきのは商家だったけど、こちらは島内でよくある民家。

 

 

宮島には間口が狭くて奥行きの長い、ウナギの寝床みたいな住家が多いそうな。

 

 

建物の中央部分にある「中の間」。

たいてい神棚を置いている。

 

 

最奥にある座敷。

床の間なんて置くスペースがありませんね。

 

 

ウナギの寝床よりは広い通路を通って、資料館入り口方面へ。

 

 

最初に見た商家に戻ってきました。

 

 

さすがに豪商の家、さっきの家に比べるとレベルの違う広さである。

 

 

この辺は展示物ゾーン。

 

 

商家で使われていた家財道具たち。

 

 

家紋まであります。

よほど強い(ボキャ貧)豪商だったんですねぇ。

 

 

茶室。

中央の四角い畳の下に、囲炉裏があるんでしょうね。

 

 

ただ部屋の入り口が奇妙なことになってますが。

ちょっと設計で油断したのかな?

 

 

庭園も見事なものです。

 

以上。

 

【交通手段】フェリー乗り場から徒歩20分

【入館料】300円

【滞在時間】60分

【混雑度】★★★(ちらほら)

【URL】

members.fch.ne.jp

 

縮景園

 

広島市の名庭園である縮景園(しゅっけいえん)です。

広島駅から徒歩15分程度で来れる。

新幹線や飛行機の待ち時間で、どうぞ(提案)。

 

 

このすぐ近くに広島城があるわけだが、広島藩の初代藩主である浅野長晟が作らせて1620年に完成したもの。

城とくればデカい庭園。

みんな好きなんすねぇ。

 

 

入場料260円を払ってはいるわけだが、コイのえさが100円で売っている。

 

でもこの時のコイ達は体調不良ということで、「エサをあげてもあまり食べません」って注意書きが貼られていた。

それでも売るんですね・・

 

 

まずは庭園のセンター通りをまっすぐ進みます。

 

 

突き当りには屋敷「清風館」。

中には茶室をはじめ幾つかの部屋があり、歴代藩主がここから庭園を眺めていたのが予想される。

 

 

 

日清戦争の際には広島に大本営が置かれており、明治天皇の宿泊所として清風館が指定されていた。

もっとも陛下本人は大本営にずっと籠りっぱなしだったので、結局お泊りはしなかったようだが。

 

 

庭園の西部の方へ進んでいきます。

 

 

中央の池の方を見渡すと、たいへん絵になる景色。

さすが広島県絵ハガキ風景の上位ランカーなだけあるな。

対抗馬は厳島くらいしか思い浮かばないけど。

 

 

池の水は南方面へ向かっていて、かつてはこのまま広島湾まで注いでいったらしい。

ずいぶん距離ないか、それ。

いまは埋め立てられて繁華街になっております。

 

 

コイくん、生きてるかー。

 

 

西の方へ進んでいくと広島県立美術館に当たります。

裏口と繋がっているようで、セット券も販売されている。

 

 

この灯篭は「楊貴妃型灯篭」と名付けられている。

楊貴妃こんな形してたっけ?(すっとぼけ)

 

そうではなくて、楊貴妃の被っていた冠に形が似ているから、だそうな。

楊貴妃じゃなくても良いのでは、というと「ツッコミがありきたりだ」と返されそうなので、やめておきます。

 

 

中央の池を中心に水路が多方へ伸びているので、その水路を超える橋が幾らかあって見栄えが良い。

 

 

東屋っぽいものがありますね。

 

 

東屋は「超然居」といって、名前はその通り、人里離れた静かな空間を意味している。

少し高い位置にあるので、園内の風景が良く見える。

 

おかげで完全にお弁当スポットになっていて、私のような俗人では超然世界にうかつに近づけないのでした。

 

 

仕方ないので橋を渡って、さらに奥へ。

 

 

園の西端にある調馬場。

馬の訓練場かと思うが、なのでストレートに広い道が続いている。

 

そして人が多いな。

さすが大都会広島。

この日も駅前では右翼の街宣カーが大音量で竹島奪還を語っていたからな。

 

 

馬場の横は梅林となっていて、偶然ながら満開の時期であった。

これは観覧客も集まるわね。

 

 

しかしここに建っている夕照庵は、夕日に映える紅葉を観覧するためのところであって、梅なんぞには目もくれないのであった。

 

 

夕照庵の裏手です。

 

 

石で浜辺っぽくできてるけど、水遊びとかする場じゃないからね。

 

 

こちらにもコイが泳いでいる。

弱りながらもエサを求めて、浜辺に来たのだろうか。

 

ただ彼らの頭上で手をグーパーさせても、何の反応もしなかった。

普通の庭園に居る(飢えた)コイなら、必死の形相で手の方に向かって口をパクパクさせるはずなのだが。

やはり弱っているのだろう。

 

 

それ以前に、コイを挑発するような行為はやめて、ちゃんとエサ買いましょうね(戒め)。

園の北側へ向かいます。

 

 

こちらは明月亭。

月を鑑賞するために建てられたもの。

紅葉を見たり月を見たりと、まぁ忙しいことで。

 

 

さらに北側に進んでみます。

 

 

あれ、リアル河川に来てしまったよ。

京橋川という名前だが、もとは神田川と呼ばれてもいた。

小さな石鹸カタカタ鳴りそう。

 

 

この川沿いを歩いても特になにも無さそうなので、戻ります。

 

 

ずらずらと。

 

 

ふと水路を見ると、赤い。

いや水が赤いのではなくて、土が赤いんだろうけど。

そして水が透き通っているから、こう見えるのであろう。

 

 

石碑と献花に出くわしたが、これは原爆の慰霊碑。

大戦中、縮景園は市民の避難場所として指定されており、原爆が投下された時に被災者が大勢逃げてきた。

 

そのまま亡くなってしまう人もおり、この地に埋葬したと伝えられていたが、1987年に発掘調査をしたところ64人の遺骨が発見されたので、平和記念公園の慰霊塔に納骨をしたうえで、ここに慰霊碑を建てている。

 

 

縮景園自体も爆心地から1km程度しか離れていないので、園内は壊滅的な被害を受けた。

戦後は1951年から営業再開したが、復興が完了したのは1970年代になってからである。

 

 

園の東方向に向かっておりますが、稲荷神社が建てられております。

5代目藩主が築造させたもの。

 

縮景園は1620年に出来たものの、規模は小さなものであった。

そのあと歴代藩主がそれぞれ手を加えており、今日の規模となったのは7代目藩主が改造した1783年以降とされている。

 

 

 

広島藩は最初から最後まで浅野家が藩主だったと思うが、まさに浅野家代々による世紀を超えた渾身の作品である。

実際に手を加えたのは庭師だけど。

 

明治時代になっても浅野家所有となっていたが、1913年から一般開放され、1940年には広島県に寄付されております。

 

 

面白い形の橋がありますね。

跨虹橋(ここうきょう)という名がついており、縮景園を代表する要素である。

over the rainbow!(中学生)

 

 

 

この橋、いちおう実際に渡ることはできる。

 

ただ注意書きにもあるように、かなりツルツルするので勇気が必要。

私も2段目くらいまでは足を掛けたのだが、さらに階段が手前側にけっこう斜めっているので、難易度が高い。

 

 

というわけで諦めて横の道を通りました(チキン)

最上段で滑って、大観衆の見守るなか池にダイブではたまったもんじゃありませんからね。

 

 

 

渡った先には、最初に見た清風館の裏側があります。

 

 

すごい形で林立しているのは、樹齢300年を超えるソテツです。

冬の間に害虫が付かないように、巻き巻きしているのだろうか。

いずれにしろ荒ぶっていて奇妙な光景である。

 

 

園の東方に向かいたいのですが、工事中のため通行禁止の様です。

 

 

迂回して向かうことにするが、思いっきり作業用道路ですね。

 

 

小高い丘が見えるぞ。

迎暉峰という園内で最も高い地点であり、昔はここから厳島まで眺めることができたという。

 

 

工事中で入れませんでしたけどね。

 

 

最東端に来ました。

 

 

この部分は薬草園である。

籠城戦のときに少しでも食料を確保するため、庭園に薬草園をつくる城はけっこうありますね。

 

 

こちらでもソテツくんが荒ぶっています。

 

 

入口の方へ戻るとするか。

 

 

清風池というゾーンです。

いままでが派手だったので、ちょっとこじんまりしているように見える。

 

 

そして池の水も、綺麗とはいいがたい。

さっきの透き通った水を見てからだと特に。

 

 

しかし足場は置き石スタイルになってますので、落ちたら死にます(直球)

 

 

この辺は牡丹園。

 

 

そして入口ちかくまで来て終了。

 

 

最後に、正門はいって左手のところにお土産屋&お茶屋があります。

 

 

お茶屋ではなんとモーニングを出している。

縮景園で行う朝食、優雅ですねえ。

開園時間は9時だから、サラリーマンはフレックスを使いましょう(推奨)

 

 

ただ食べるスペース、そんなに無いけどね。

特に土日は混んでるから、諦めてお好み焼きでも掻き込んでから来よう。

 

以上

 

【交通手段】広島駅から徒歩15分

【入場料】260円

【滞在時間】90分

【混雑度】★★★★(すぐ横に人)

【URL】

shukkeien.jp

埼玉県立 川の博物館

 

 

埼玉県立 川の博物館にやってきました。

通称「かわはく」(電車の中で地元の高校生が言ってた)。

 

 

鉢形駅から徒歩20分。

バスも出ているようですが、本数についてはお察しください。

 

内容としては、埼玉県を縦断する巨大河川 荒川について扱う水族館&博物館に、お子様が遊べるプールを併設したスポットである。

 

 

入場口でチケットを買います、410円。

館内には「アドベンチャーシアター」なるアトラクションがあり、別途430円の課金が必要だが、入場券とのセットで600円くらいで売ってたはず(うろ覚え)

 

 

プールはこちらですが、冬の間は当然ながらやっていませんよ。

またお子様向けの施設ですので、スイミングガチ勢やヒャッハー勢は場所を変えようね。

 

 

遠目にプールを見ると、あんな感じ。

お子様は入場100円なので、夏場は込み合いそうである。

 

 

振り返ると思いっきり工事をしているが、あの足場の中には直径23m 国内最大規模の水車が据えられている。

ただ老朽化が進んで2015年からフリーズしており、予算の都合(貧)でなかなか改修工事が出来なかったのをようやく着手しているのです。

 

 

とりあえず空腹なのでレストハウスの食堂に向かいます。

 

 

館内に入って2Fの食堂に向かう。

たいへんな昭和らしさを感じるタイル張りであるが、大丈夫か食堂・・

 

 

と不安であったが、入ってみると普通に綺麗であった。

メニューは一般的な食堂だが、値段も800円程度なので、まぁ良いんじゃなかろうか。

 

 

食事を終えて、1Fのお土産売り場を見ます。

 

 

中央にどかどかと居座っているこいつはなんだ。

 

 

pucker powderという粉キャンディらしい。

色合いといい形式と言い、一昔前のアメリカ産アンチ・ヘルシーお菓子感がしてならない。

 

 

チューブが置いてあったが、これを本体に差し込めば粉キャンディが出てくるので、満杯に入れて、吸って食べるのだろう。

なんてクールでイケてるキャンディなんでしょう。

糖分量は知らん。

 

 

隕石のおもちゃもありますけど、ここ川の博物館ですよね?

ちょっとテーマがきわどい系アミューズメント施設に見えてきたから、埼玉県は運営委託先の責任者呼んだ方がいいんじゃないかな

 

 

そんなレストハウスはおいといて、本館の方へ向かいます。

 

 

その道中にある水車。

秩父皆野町から引っこ抜いてきたものだそうだ。

なかなか規模が大きく、水車で回される水が風に乗って周囲に飛んでいき、通行人を雨あられにしております。

 

 

水車の内部に入れます。

 

 

ここで水車の動力を使って、餅つきみたいにペッタンペッタンしているが、突いているのは餅では無くてコンニャクである。

 

(乾燥させたコンニャク芋)

 

コンニャクはコンニャク芋を小さく切って乾燥させてから粉末にし、その粉末を石灰水と混ぜて固めることで出来上がる。

コンニャク芋はそのまま食べると口中ピリピリしてヤバいことになるので、石灰水と混ぜることで中和して食べられるようにしている。

 

この水車では乾燥させたコンニャク芋を突きまくることで粉末にしてるんですね。

 

 

 

水車はもう一つ、東秩父のものがあります。

 

 

こちらは米を突いて精米しております。

こんな勢いよく突いたら米が割れるのではないかと不安になる勢いで突いております。

 

こういう感じで荒川流域では水流を利用して農業やってまっせ、という展示でした。

 

 

水車を見た後も、まだ本館には入らず、外をぶらつきます。

 

 

水族館に居てはいけない種類の人がいますね。

 

 

起きやがった。

 

 

ネコの視線の先には、「渓流観察窓」という施設があります。

はいってみませう。

 

 

内部は水族館要素であった。

ただしここは海なし県ですので、荒川にまつわる魚を置いております。

 

 

ただ初っ端はイモリなんだよなぁ。

 

 

カジカくん。

石の色に合わせて体色を変化させる特技を持っております。

 

 

大きな水槽。

 

 

川魚ならご用達、ヤマメやイワナがぞっろぞろ。

旨そう。

 

 

川魚の良さが分からないお子様ネコは帰ってどうぞ。

 

 

最後に、カメとザリガニのゾーンです。

 

 

彼らには自由に触ったり、持ったりすることが出来ます。

さいたま水族館でも似たようなゾーンがあったが、あちらではお子ちゃまがカメを鷲掴みにして大はしゃぎしていたのであった(憐憫)。

こちらはまだ過激派の波は来ていないようですね。

 

 

ザリガニ君もいまっせ。

 

 

水族館部分を出て、上を見ると巨大な壁画が。

高名な日本画川合玉堂の『行く春』という作品を、陶板にしてここに飾っているのである。

長さ21.6mあり、日本画の陶板画としては国内最大だそうな。

 

寄居のあたりを訪れた川合玉堂が、荒川に浮かぶ船車(船に乗せた水車)を描いた作品であり、地元ゆかりの作品と言うことでここに展示しているのだろう。

なんで陶板にしたのかは分からんが。

市長の趣味?

 

 

そしてこちらも大きく広がる模型。

荒川沿川の地形を1/1000にしたもので、屋外模型としては日本最大。

 

 

さっきからやたら日本最大に拘っているんですが、「とりあえず目立てば良い」という行政らしい安直なアイデアがプンプンしておりますな。

そりゃあ、水車が3年間もフリーズするほどの予算不足になりますよ(煽り)

 

 

そして中流下流までは平たんで見た目さほど面白くないので、地形マニアでない限りスルーするのが通常の振る舞いのようである。

 

 

かわはくも堂々と登場しております。

 

 

しかし源流部分にくると山だらけで極端にカオスになる。

もうどこから荒川がはじまっているのか分らんぜよ・・

 

 

という模型を一通り楽しんだ後で、本館にようやく向かいます。

1Fからも入れるけれど、なんとなく上から。

 

 

あの展望台に行きます。

 

 

登ったところからの風景。

さっきの荒川模型が良く見えますな。

 

 

展望台から降りてきました。

 

 

ガラスケースが。

 

 

中にいたのは、小さくて目が大きなカエルであった。

ニホンアマガエル

 

 

階段を上がって、常設展示に向かいます。

 

 

ミラールームみたいだな。

 

 

おっと予想以上に広い。

そして、暗い。

 

 

暗いのは、ムービーが始まるからであった。

1時間に1本ペースで、荒川の自然環境について流しております。

 

 

ムービー鑑賞を終えて、進んでいく。

 

 

水桶の展示。

満杯になった状態の重さはこれくらいです、を示している。

 

担いでみたけど、めちゃくちゃ重くて全く上がりませんでした(軟弱)

 

 

さて、こちらは鉄砲堰に関する展示、もとい大型の模型。

 

上流から下流のほうへ大きな木材を運ぶのに、手作業で持って行くのは面倒だから、川の流れに載せてしまおうという考え。

 

 

川の上流部を、このように堰き止めている。

水がジャンジャン溜まるのを待って・・

 

 

堰を開放すると、鉄砲の勢いで水が流れる。

この勢いを利用して、木材を押し流して下流に運ぶというもの。

 

まぁこれだけで下流まで木材が届くわけ無いので、途中で回収して筏にして流していく。

急流部の山岳地帯では筏が通れないので、このような鉄砲堰を採用したのだろう。

 

 

まだまだ展示は続きます。

 

 

川合玉堂くんの絵でも描かれた、船車。

 

 

船の上に水車が乗っているのである。

どう見ても盛大にはみ出ているんですが、転落しないんですかね。

 

 

外側を見ると、ちゃんと水車が付いています。

この水車を利用して、小麦を挽いて製粉しているのです。

 

(1936年頃の船車。廃墟ではありません)

 

荒川は文字通り「荒れ狂う川」なので、洪水が頻繁に起きており、水車も普通に川べりに設置しておくと洪水で壊されてしまうので、船にのっけて逃げられるようにしたのであった。

 

言ってみれば「動く製粉場」なので、一見ボロ小屋でも資産価値は高く、10000㎡もの田畑を所有するのと同じレベルだそうだ。

大地主じゃん。

 

 

そんな大事な資産の横にゴミが置かれていると思ったら、これ小麦だった。

 

 

こちらは舟運に使われた舟、の縮小版。

 

 

中でご飯食べてる。

良い御身分だな、運送業

 

 

月桂冠もあるよ。

これは飲酒運転ですわ。

 

 

ウナギやナマズを捕まえる罠。

中にエサを入れておき、ウナギらが頭から入り込めばもう脱出できません。

 

 

荒川おなじみの水塚。

洪水が来ない高い位置に建設する、避難所兼倉庫。

 

 

 

中には用具や食料が積まれています。

 

 

おっと、貴重な食料を荒らす連中が。

 

 

しかし屋根裏にはもっと強い人がいるので、この人の食料にされるであろう。

こうして人類の食べ物は救われたのであった(完)

 

 

以上で展示室おしまい。

 

(公式HPより)

 

あと序盤にも触れたが、この施設には「アドベンチャーシアター」なるものがある。

荒川に関するストーリーを鑑賞するものなのだが、ジョイポリスのアトラクションみたく、画面に合わせて客席が揺れて若干のスリルが生じるというもの。

 

 

というわけでシートベルト着用義務です。

 

 

気分が悪くなったら非常停止ボタンを押せば救われるよ。

周囲の視線からは逃れられないと思うけど。

なかなか重々しいっすね。

 

「どうせ大したこと無いだろ」と思ってたら、想像以上にガクンガクンするのであった。

だいぶ乱暴な揺れ方をするのと、シートが固いので、終わるころには万全に尻が痛い状態となっているであろう。

まぁお子様は喜ぶか泣くかのどっちかだと思う。

 

 

以上。

 

【交通手段】鉢形駅から徒歩20分

【入場料】410円

【混雑度】★★★(ちらほら)

【滞在時間】150分

【URL】

www.river-museum.jp

Wood Egg お好み焼館

オタフクソースの工場が広島にあり、お好み焼きの資料館が併設されているのです。

広島電鉄井口駅から徒歩10分、広島駅からバス1時間。入館料は無料です。 

lovingcspot.hatenablog.com

工場見学も、事前予約必要&平日オンリーですがやってます。体験記はこちら。

工場見学でも資料室「おこのミュージアム」は回るんですけど、内容が盛りだくさんな一方でツアーはどんどん進んでしまうので見切れないのだ。ツアー終了後にゆっくり見ることにしました。

ツアーに参加しなくとも見学可能です。 

最初の展示は戦前だか戦後だか(記憶喪失)のお好み焼き屋です。店というより普通の家庭が駄菓子屋みたいなノリでやってますね。まぁ鉄板あれば出来るからね。

これがお好み焼き・・には見えないんですが。1900年代初頭に食べられていた「一銭洋食」というもの。お好み焼きの前身です。水で溶いた小麦粉にネギや昆布を混ぜて、半分にたたんでウスターソースをかければ出来上がり。

当時は洋食が何なのか分かっている人がそんなに居ないので、とりあえずウスターソースかければ全部洋食になっていたそうな。わかりやすくて良いんじゃない。

お好み焼きの屋台です。1955~65年頃まで実際に使われていたもの。車輪がついていて簡単に移動できるようになっています。

戦後の荒廃した広島で、人々は軍事基地から鉄板を拾い出し、水で溶いた小麦を焼いて飢えをしのいだそうな。お好み焼きはまさにソウルフードなんですな。 

ちなみにお好み焼きの原点は千利休にまで遡るそうです。小麦粉を水で溶いて焼いて、味噌ぬって丸めて茶菓子として出したのだ。お茶だいすきマンってだけじゃなかったんですねぇ。

栄養成分の表示。お好み焼きには様々な食材が入っていて、1枚食べるだけで必要な栄養素をカバーできるそうです。すごいな、ラーメンと一緒で完全栄養食じゃん。

「使う具材次第では?」とか言ってはいけないのだろう。

ここからはオタフクソースの歴史です。創業者は佐々木清一。戦前は酢の醸造や醤油の小売をしていたが、戦後になって「これからは洋食の時代や!」と意気込んで、ウスターソースを製造しだした。

洋食=ウスターソースって発想どうなの?と思うが、ソースがかかっていれば全部洋食と思われていた時代なのだ。やむなし。

 ウスターソース業者は既に大勢いたので、区別化を図るためにソースにとろみをつけたそうな。さらさらしたウスターソースお好み焼きにかけると鉄板に落ちて焦げて掃除が面倒だが、とろみを付ければ簡単には垂れ落ちない。

これでお好み焼き屋にウケたのだ。オタフクソースはじまったな。 

と思ったら、まだ問題があった。なんとソースを詰めた瓶が爆発したのだ。中国か。

保存料を使わずに自然の材料で作っているので、ソースの中で酵母が生存して発酵し、炭酸ガスが生じてビンを中から圧迫した。「爆弾ソース」などという不穏極まりないあだ名すら付けられてしまいました。 

1982年になると、専用のボトルが出来て問題解決しました。ずいぶん最近まで問題残っていたんだな。

いっとき気分を変えて白いパッケージにしていたのですが、どう見てもマヨネーズです本当にありがとうございました。売り上げも案の定落ちたので、すぐに解雇されました。

オタフクソースに含まれている原材料たちです。意外と野菜・果物が多く、全体の1/4を占めています。残り3/4は何かって?それは企業秘密です(キリッ) 

スパイスも多種多様に使われており、それらはわざわざ石臼で挽いているのです。機械で挽くのと違って熱が加わらないから風味を損なわないと。

実際に石臼で挽いてみると、確かにスパイスの香りがすごく広がる。鼻が痛い(やりすぎ)。

重要な隠し味として、デーツという果物を使っているそうです。中近東に植生するもので、「神が与えた食物」とも呼ばれ、栄養分も多く人気が高い。お土産売り場で試食できるので味わってみてクレメンス。甘くて美味しいです。

オタフクソースのこだわりが分かったところで展示室おしまいです。最後に限定プリクラを撮って帰りませう。

 

 おしまい

 

【交通手段】井口駅から徒歩10分、広島駅からバス1時間

【入場料】無料

【滞在時間】30分

【混雑度】★★★(ちらほら)

【URL】

www.otafuku.co.jp