C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

軍事関係の資料館(飛騨高山)

観光客で賑わう飛騨高山の街を歩いていると・・なんなんだこの建物は。

DIY感あふれる改造ガレージに旭日旗マークが掲げられており、明らかに周囲のオシャレ系観光施設と雰囲気が違う。軍艦マーチとか流れ出しそう。

古い町並みを楽しむ人々と需給ギャップありすぎやしませんかね。

気になって入ってしまいました。 

外観の通り、戦時中&ミリタリーグッズがぞろぞろ並べられている。あぁ・・これはマジモンや・・

入場料は入口に設置されている箱にいれるそうです。金額は自分で決めて良いらしい・・そういうの一番困るんだよなぁ。とりあえず100円にしました。

硬貨を投下すると、展示室の奥の方から「ありがとうございます!」と声が。中に館員さんが居たのだ。全然気づかなかったので、めちゃくちゃビビった(貧弱) 

さて展示を見ていきますが、至る所に旭日旗が飾られている。飛騨高山って外国人観光客多いんですけどね、センシティブなご時世に堂々とよくやりますな(中立的な意見です) 

入口の上部にある棚には日本酒が奉納されている。

その名も「靖国」。エンジン全開ですねぇ。靖国神社の御神酒で、澤乃井と同じ酒造が作っているようです。あの酒造、そういう思想だったんか・・

もう一本「太平洋」を持ってくるセンスに笑ってしまった。よほど鬼畜米英が許せないのですね。 

陸上自衛隊 偵察隊のバイクです・・が、自作だそうです。説明板に「自衛隊は払い下げしないので自分で作りました」と書いてあった。

確かに軍事機密だからバイク払い下げなんてしないと思いますけど、にしても自分で作るかね。設計図はどこで手に入れたのか気になるところ。  

陸自ご用達!幻の白いカレーだそうです。そんなメニューあるのかと思って検索してみたのだが・・なにもヒットしなかった。

陸自の間ですら幻と言われているらしい。 本当に存在するのだろうか。隊員が空腹の余りにシチューと見誤ったのではないか(名推理)

トップガンの帽子。米海軍の戦闘兵器学校のことだそうですが、たぶんトム・クルーズなイメージが強いかと思います。しかしさっきまで打倒 鬼畜米英なノリじゃなかったっけ。急な方針転換は草が生えてしまうので控えて欲しい。

天井から何かぶら下がってると思ったら、潜水艦の望遠鏡でした。外を歩いている敵性外人の様子でも見れるのかな?発見され次第、全員さるぼぼにされてしまうかもしれない。 

 

ここまで入館後10分くらいなんですが、タバコ臭の充満っぷりが凄まじい。たぶん館員さんが館内で吸ってる。展示室は20m×10mくらいと広いんですけど、2m四方の屋内喫煙所かってくらい臭いが激しかった。私はダウンしてしまい、屋外に一度退避して呼吸をリセットしてから、また室内に戻りました(戻るんかい)

戦時中に木製の軍用機を製造していたそうです。 その模型。通常の軍用機をつくる物資がもはや無いので、飛騨の木工会社に命じて作らせたのだが、実践で飛ぶことは結局なかったそうだ。

実践投入されたところで、被弾1発どころかマッチの火で燃えてしまうのではなかろうか。 

最後に「海軍軍人ご用達 闘魂注入棒」です。これで尻を叩いて闘魂をぶち込みます。ただのケツバットである(呆れ)

 

というわけでした。古い町並みが売りの高山で、まさかの異色系大日本帝国資料館であった。

この施設、ネットで調べても出てこないんですよね。資料館側がHP作ってないし、高山の観光協会も特に宣伝する気ないのだと思う。妥当。 

 

おしまい

 

【交通手段】高山駅から徒歩20分

【入館料】あなた次第

【滞在時間】15分

【混雑度】★(だれもいない)

【URL】なし

高山昭和館

 

昭和館って名前きくだけでキワモノ系施設を思い浮かべるようになってしまったのだが、ここも案の定であった。

飛騨高山の昭和館です。

 

 

古い町並みが立ち並んでいる中にこれが登場するわけだ。

そりゃ確かに古いんだけれど、古さの方角が違うんだよな。

映画館の前にはウルトラマンが待機中。

 

 

このウルトラマン、腕がぐいんぐいん機械仕掛けで動くようになっている。

つなぎ目を見ると、だいぶ使い古されていますね。

体がボロボロなのは多分バルタン星人か中国人にやられたんだと思う。

 

 

館内はまず無料ゾーンのショップになっております。

昔のオモチャから駄菓子までなんでもござれ。

 

 

それだけじゃなくレトロゲームまで置いてある。

一回50円で遊べるよ。

ただ店内は至る所に物が敷き詰められているので、ここで座ってプレイすると通行人の邪魔になることだけは気にしておこう。

 

 

昭和館の展示ゾーン自体は、ショップの奥からです。

入場料は800円となかなか良い値段するので、半分くらいの人は退却していた気がする。

まぁ構わず入りましょうね。

 

 

内部は照明が暗めなのでカメラが若干ボケてますが許してくださいませ。

路地裏みたいな通りだけど、奥の方まで道が長く続いているな。

規模はわりと大きそうである。

 

 

映画館の窓口。

大人200円って安すすぎるなと思ったら、昭和10年代と言う設定だった。

せめて戦後かと思ったけど、意外と古くまで遡るね。

 

 

こういう食堂はいまだに生き残っていそうだし、こういう店ばかりに行くマニアも居そうである。

 

 

 

やたらめったら皆タバコ吸ってた時代ですからねえ。

「タバコは動くアクセサリー」だってよ。

煌めくヤニはジュエリー代わり、君の瞳にセブンスター。

 

 

こういう旅館も各地方の下町に生き残っていると思いますが、果たして収益を上げているんだろうか。

 

 

旅館の前にバケツが吊るしてあるよ。

 

 

バケツの下部には、トイレの手洗い石鹸みたいなのが付いている。

上に押すと中身が出てくるやつ。

バケツの中には川の水が入っていて、これで手を洗っていたそうな。

上水道が普及する前の風景だね。

 

 

 

場末のスナック。

高山にもそういう通りがあります。

 

 

「貼り紙おことわり」とあるそのすぐ横に張り紙。

勇者だなぁ。

 

 

路地裏を抜けて、お店のある通りにやってきました。

 

 

食堂。

2Fに浮かんでいるシルエットにばかり夢中になっていると足元の展示品に引っかかるので気を付けましょう。

 

 

こちらは店の内部に入ることが出来ます。

コーラの古い自販機とか壁の汚れ方とか、演出に全力すぎて感動します。

 

 

自販機。

ナショナルはレトロの代名詞にされてる感がありますね。

 

 

しかしカセットテープの自販機は初めて見たな。

パッと見「明るい家族計画」かと思った。

 

 

おもちゃ屋さん。

 

 

え、マリオブラザーズって映画になってたの?

なんと1986年に松竹がアニメ映画にしたらしい。

クッパ大王の声優は和田アキ子である。すごい!適役!

 

 

おもちゃ屋には子供向けお菓子も置いてたんですかね。

冷やしバナナは釘でも打てるのかな?

 

 

 

交番は赤いランプが灯されていやらしい感じに映ってるよ。

これだから警官は・・

 

 

でも指名手配犯はだいぶ新しい人ですね。

キリン川島。

 

 

なんと昭和館ではパチンコが打てるのだ。

これで君も立派なパチンカs!

景品ゲットだぜ。

 

 

当たり前ですがガチなギャンブルでは無くて、玉は無料で貰えます。

景品も特にないですが、やったこと無い人には面白い機会なんじゃないかな。

私もパチンコ初体験です

 

 

パチンコ台はレトロで貴重なものなので、勝てなくても怒ったり機械叩いたりしないでね。

恐いお兄さんに連行されて、さっきの交番に行方不明の張り紙が出されることになります。

 

 

こちらはアイドルのグッズショップ。

 

 

相撲レスラーが混じってますけどなんなんでしょうね。

 

 

光って見えないですが、上のボードには「上映中」と書いてあります。

ここは映画館なのかな?

外のウルトラマン居たところも、映画館の入り口になっていたしな。

 

 

入ってみたら本当に映画館だった。

作品名わからんけれど普通に上映してるよ。

 

 

座席はこちら。

カフカの椅子に慣れた現代人は、映画の終盤を待たずに背中と尻が崩壊して退席することになるでしょう。

 

 

そして片隅にパチンコ台置かれてますけど、ここは倉庫を兼ねているのかな?

あれ、貴重なレトロパチンコだったのでは・・?

 

 

床屋さん。

 

 

こちらもすごいカチンコチンな椅子である。

前髪切り終わった時点で尻が壊れそう。

 

 

腕掛には灰皿が完備。

髪切っている間にもタバコ吸うんかいな。

さすが動くアクセサリー。

うっかり落として燃えるアクセサリーにならないといいですね。

 

 

2Fにあがってきました。

そう、2Fがあるんですね、この建物。

けっこうなボリュームである。

 

 

ここはファミコンルームなのだ。

過去の名作を遊ぶことが出来る。すごいな。

部屋の外にいる二宮金次郎も本を投げ出してプレイしたいんじゃないかな。

 

 

学校です。

 

 

室内にあるオルガン、弾いたら普通に音が出てびっくりした。

腕に自信のある方はソロ演奏できるのでどうぞ。

いい日旅立ち」とか丁度いいと思う。

 

 

最後に民家的な部屋でおしまいです。

ここのテレビでもアトムのアニメが放映されてる。

細かいところも気を抜かずに徹底して装飾していて、全国に数ある昭和館の中でも指折りの規模と本気度ではなかろうか。

表のウルトラマンはいつまで生きているか不安なので、彼の存命中に来よう。

 

 

以上。

 

 

【交通手段】高山駅から徒歩15分

【入館料】800円

【滞在時間】90分

【混雑度】★★★★(すぐ横に人)

【URL】

www.takayama-showakan.com

 

 

高山市政記念館

 

高山の古い街並み、観光客で混雑しているド真ん中くらいにこの記念館があります。

明治時代に高山町役場として使われていた庁舎を、資料館にしているのだ。

とにかくこの辺、チャイナのみならず外国人だらけなのだが、彼らが喜びそうな分かりやすいジャパニーズ建築ですね。

ちなみに聞こえてくる言語は日本語より中国語の方が多い、あいつらの声がデカいせいだが。

 

 

内部はもろに資料館になってまして、建物の外観・内装以外にインスタ映えするものはありませんので悪しからず。

展示も殆ど日本語表記なので外人殺しである。

まぁ高山市の歴史なんて外国人興味ないだろうから、別に良いんじゃないの。

入場無料だし。

 

 

展示室はこちら。

「市政記念館」と名称付けされているように、おもに明治以降の歴史ですね。

江戸時代の歴史は、高山陣屋を見て来ればいいと思うよ。

 

江戸時代の高山は幕府直轄である「飛騨郡代」。

直轄地だと「代官所」が置かれたりするけど、郡代はそれよりランクが上なのだ。

飛騨は木材や鉱山資源が豊富で、幕府が重宝していたからね。

 

 

 

ここのトップは郡代なのだが、1868年鳥羽伏見の戦いで幕府が劣勢になると、この郡代は速攻で逃亡している。

ちょっと諦め早すぎやしませんかね、五稜郭陥落までまだ1年あるんですが。

 

郡代なきあとにやってきたのが、新政府側の役人である竹沢寛三郎。

写真と肖像画が残っているが、まぁだいたい似ている。

わずか1か月しか居なかったが、年貢の減免を宣言するなどしたので民衆からは人気があった。

 

 

しかし次にきた梅村速水という人がダメだった。

いろいろラディカルに改革しようとしたようだが人心掌握できずに反乱おこされたので左遷。「梅村騒動」という名前まで付けられて今日までアホ扱いされる羽目になってしまった。

まだ27歳だったらしいですけどね、生え際も早くも左遷され始めており、将来が心配である。

 

(町役場の前で、はいチーズ!)

 

飛騨は飛騨県とされたのだが、わずか1週間で高山県に改称。

1871年には長野県の松本あたりと組み合わされて筑摩県となった。

なんだかコロコロ変わっているが、飛騨が属する美濃国は石高が山口県に次ぐNo.2の大きさだったそうで、あんまりデカい県にすると統制が難しくなるから新政府はいろいろ分割を試みたようだ。それで他の岐阜県と切り離されている。

ただ結局「細かく分けすぎても問題だ」と新政府が思いなおし、1876年に岐阜県に組み込まれている。

 

高山町役場も1895年に出来まして、地元の有力者が建築資金を捻出した。

こういうときこそ金持ち頑張りましょうね。

かなりの財を費やし、また近代建築を研究したうえで頑丈に建てられたので今日までこうして保存されているわけだ。

当時の記録では「肝を潰すばかりの、古来未曽有の建築」とまで言われている。さすがにアンタの肝弱すぎだろう。

 

 

町のマークも決まりました。

「岳」の字を崩したもので、今日の高山市のマークはこれをもう少し角ばらせたものになっている。

これ見たときポケモン初代の虫タイプのアイコン思い出したんだけど、そんなんは私だけですかね。

 

 

鉄道の全線開通は1934年のことで、岐阜~高山~富山まで。

ちなみに招致活動は1889年頃からやっており、だいぶ中央政府に無視されてましたね(哀)

道中は山だらけで、トンネル掘ると湧き水飛び出て土砂ぐちゃぐちゃみたいなトラブルがよくあったので、それで役人も面倒だったのかもしれない。

 

開通時にはみんな余りにも大喜びで、駅前に凱旋門まで建ててしまった。

落ち着け。

 

 

なお鉄道開通前は道路輸送しかなかったのだが、あまりにも道が悪い上に狭く、岐阜まで行くのに片道8時間もかかっていた。

あげく試験走行していた際に「途中の断崖に落ちてしまいました(展示原文ママ)」。

牧歌的な口調で書いてますけど、それ控えめにいって大惨事じゃないですかね。

 

 

1936年に高山町は、高山市にグレードアップした。

お隣の大名田町を合併した上でのことだが、この大名田町がやたら反発しており、「高山とは歴史も風土も人情も違う」と突っぱねている。

歴史風土はともかく、人情否定ってもう全否定じゃないですか。

大名田町は高山町の人に、上履きでも隠された過去があるのだろうか。

 

これには岐阜県知事も介入し「高山は重要拠点なのだから、大名田町はさっさと合併しないと補助取りやめるぞ」と盛大に脅迫したため、穏便に(?)合併と相成りました。

 

 

戦時になると、乗鞍山頂に陸軍の航空研究所が設けられた。

もとは東京の立川にあったものだが、高い高度での実験には山岳環境が必要だったそうな。

このとき乗鞍に向かう道路を作るため、岐阜県は軍に協力したのだが、反対側にある長野県は「上高地開発で忙しいんで」とスルーした。

結果として平湯から乗鞍に向かう道路が出来、これは戦後に乗鞍観光の重要ルートとなる。

長野県、みてるかー!?

 

 

それと関係あるのか知らんが、高山市民は航空機を軍に寄付している。

航空機を寄付って、そんな大それたこと市民に出来るのかと思うのだが、わりと全国各地で行われているらしい。

 

 

こんな絵ハガキも登場したわけですが、なんだか楽しそうな表情してますね。

富士急の新しいアトラクションかな?

 

 

役場に保管されていたと思われる道具もいくらか置いてあります。

召集令状箱は、赤紙を町内に配るときに、この中に入れて持ち歩いたと思われる。

配る側も嫌なもんだな。

 

 

戦後の観光について、このケースに展示されているんだけれど、明かりがついて無くて見えないよ!

観光客おおいし、出国税で光熱費を賄おう(提案)

 

 

こちらの部屋は役場の応接室だったようです。

観光チラシが置いてあります。

 

 

建物の端に玄関っぽいのがあるけれど、従業員用入口だろうか。

 

 

古い電話ボックスがあるが、屋根がやたらと低く、身長160cmもあれば見事に天井ヘディングすると思う。

 

 

2Fもあります。

こちらも真面目な資料展示が多く、インスタ映えがあまりしないので、外人やインスタ勢は1Fで力尽きて即退出していくのでした。

 

 

おもしろい展示はちゃんとありますけどね。

すさまじく古いパソコンだなぁ、windows95くらいだから弥生時代かな?

 

 

こちらはワープロ

画面の右側にあるのは保存用ディスクを入れるところ。

ディスク自体がとても巨大だったんだなぁ。

 

 

これは戦後の乗鞍観光の写真。

戦時中に軍が道路を作ったので、それを利用して乗鞍山頂まで行けるのだ。

大正時代にイギリス人宣教師が日本アルプスを宣伝したので、国内外で名が広まっており、高度経済成長期で客がわんさか来た。

 

にしてもバスごった返し過ぎですね、登山客はオートモービルに甘えず、もっと歩きましょうね(自分への戒め)

 

 

民芸展開催時のポスターだが、民芸品を「げてもの」呼ばわりしている。

直球すぎですよ。

 

 

1Fに戻りました。

渡り廊下の向こうに土蔵がありますが、中には入れない模様。

 

 

仕方ないので庭でも見て休んでクレメンス。

 

 

以上

 

 

【交通手段】高山駅から徒歩15分

【入館料】無料

【滞在時間】60分

【混雑度】★★★★(すぐ横に人)

【URL】

www.city.takayama.lg.jp

 

 

宮地家住宅

 

高山にある古民家の一つ。

観光の中心地から離れているので、人通りも少なく閑静である。

 

 

宮地家は江戸時代に移住してきた商人だそうで、食料品を扱っていた。

一方で畑も持っていて、商人やりながら農業してたようです。

地主め(謎の羨み)

 

 

まずは2Fが見学コースなので、上ります。

こういう古民家って階段がかなり不安定で恐怖心煽られたりするが、ここは安定していた。

 

 

2Fです。

 

 

窓からは庭や、正面にある蔵が見えますが、それ以上にお隣さん(左上)が高い建物つくっちゃってるから丸見えである。

 

 

こちら側の部屋には特に展示品が無かったので、反対の部屋へ。

館内が少し暗いので、私の貧弱カメラでは少しぼやけてしまっているが、許してくださいなんでもしますから。

 

 

天井が斜めっていて屋根裏部屋な感があるが、子供部屋や商品倉庫として使われたそうな。

 

 

越中街道に関する展示です。

高山~富山まで繋がっていて、物資のやりとりをしてましたとさ。

 

 

 

しかし地名が「谷」とか「~山」とかシンプルの極みである。

なかでも「土」って。その地域は土がいっぱいあるんでしょうか。

そんな土地どこにでもありそうですが。

 

 

川魚しか獲れないから、海の魚は富山に依存しっぱなしだよ。

中東の石油みたいである。

富山と言えば氷見のブリということで、高山の人々は年末には必ず食べていたそうだし、さらに信州・美濃方面へ売りに出していたそうだ。転売ダメ、ゼッタイ。

 

 

1Fに戻ってきました。

 

 

高山の祭りで使われる大きな屋台の模型。

世界遺産だからね。がんがん誇っていきましょう。

 

 

裏の蔵の方へむかいますが、途中が思いっきり台所。

おじゃまします。

 

 

あれが蔵です。

 

 

中にあったのは高山伝統の「春慶塗」。

森林が多いせいで木工大工が古代から多いからね。

木材の天然の美しさを活かすために、漆は薄くかけるそうな。

 

 

とはいえ、これでは薄すぎてただの木工細工では?と思ったが、これは漆塗る前の状態らしい。

ややこしい展示を置かないでいただきたい(クレーマー)

 

 

道具のかずかず。

彫刻刀だけで50種類ありそうですが、本当に全部使いこなしてるんでしょうか。

 

 

完成品がこちら。

確かに漆塗ると色が全然違いますね。当たり前だが。

 

 

そんなんでした。

以上

 

【交通手段】高山駅から徒歩20分

【入館料】無料

【滞在時間】30分

【混雑度】★★(他に2~3人)

【URL】

www.city.takayama.lg.jp

 

 

飛騨生コン歴史資料館

飛騨高山の古い街並み通りに、こんな資料館があります。「生コン」というのは「生のコンクリート」の意だそうです。

公式HPが無いのでかなり不安だったが、ちゃんとやっていた。まぁやってるというか、館員もおらず、「扉あけとくから勝手にどうぞ」という感じ。

入館無料です。 

資料館の中はあまりスペースがなく、入るとこんな視界になります。車でかすぎて他のもの見えませんがな。

生コンに関する古い機材を展示しているようです。

このミキサー車プリンス自動車が販売した初代「クリッパ」。プリンスは今の日産です。すごい重量感と圧迫感があるな、部屋のサイズのせいだと思うけど。

www.zennama.or.jp

そもそも生コンって何?という方が多いと思うのですが、その説明は特にありませんでした。初歩知識ぐらい学んでから来い、ということでしょうか。結局分からなかったので、↑のサイトで読みました。

 

純化すると、固まる前のどろどろした状態のコンクリートが「生コン」。昔は工事現場で作って即使用というスタイルだったが、現場だとろくな設備がなくて品質が安定しませんでした。工場で製造し、ミキサー車で固まらないようにかき混ぜながら現場まで運ぶ技術が登場したのは1949年以降のこと。 

飛騨地方で生コンを初めて導入したのが、この資料館をつくった 「飛騨生コンクリート(株)」のようです。

その歴史がパネルで書かれているんですが、文字がスーパー小さい上に、高い位置に掲示されているので首が死ぬ。生コン普及の厳しさを味わうことになります(?) 

(たぶん1960年代の生コン工場)

さっきのパネルによると、飛騨生コンクリート(株)は加藤庄建材店という会社が潰れたあと事業を引き継いだが、前オーナーの加藤氏は「不在になった」そうです。

「不在になった」ってどういうこっちゃ・・おお恐ろしい。彼自身がコンクリートにされてないことを祈るばかりです。 

昔の機具が並べられているのですが、特に説明が無いので何の道具なのかサッパリでござる。さっきのパネル以外に解説板はありません。これもうわかんねえな。

 よく分からないのでテキトーに眺めて終わるのでした。

表の通りは通行人けっこう居るんですけど、館内の照明ちょっと暗いので、外から見ると潰れた商店みたいな図になっているのよね。

「えーなにこの資料館」とか言いながら通り過ぎていく人ばかりでしたとさ。

 

おしまい

 

【交通手段】高山駅から徒歩15分

【入館料】無料

【滞在時間】20分

【混雑度】★(誰も居ない)

【URL】なし