C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

深層水ミュージアム

駿河湾といえば深海。沼津あたりでは深海魚の海鮮丼とか食べられるわけですが、ここ焼津では深海の水を採取して産業や日常生活に使用しているらしい。採取施設に並んで資料館があり、無料で見学できるのです。

 

アクセスですが、この近くに「アクアス焼津」という道の駅みたいな施設があり、駐車場が広いので、普通は車で来るものと思われます。

普通でない方は、焼津駅からコミュニティバス「焼津循環線」に乗れば10分で到着です。コミュニティバスって2~3時間に1本てのが多いですが、この路線は1時間に1本という(相対的に)ハイペースで運行しています。すごい、大都会焼津。

ミュージアムの駐車場、車が何台も止まっていて来訪者が多かったのですが、その理由はこちら。深層水が販売されているのです。

10ℓで100円。いまAmazonサントリー天然水を見たら2ℓで80円なので、10ℓだと400円。4分の1ですね。そりゃ地元民、大きなタンクを両手に持って買いに来るわけだわ。

なお券売機をよく見ると、100ℓ~190ℓまでは値段1,000円で据え置き、200ℓ以降は35%~50%割引と、一括購入により更なる値引きを受けられます。価格破壊しすぎて民業圧迫で訴えられないか心配である。

資料館入口で試飲ができます。深海の風味が口の中に広がっておいしいです、とかは特に思いませんでしたが、普通にミネラルウォーターでした(こなみ)

建物は2F建ですが、資料館部分は1Fだけ。そんなに広くも無いので、興味ない人は5分あれば終わりそうです。じっくり見ても20分程度ってところですね。

さて、深層水っていったい何なんでしょうね?

定義としては、「水深300mより深いところにある水」だそうです。水温が低いので細菌が生きられない・太陽光が届かないので植物プランクトンが育たないから、その上位の動物プランクトンらも居ない。余計な連中がいないので水が綺麗に保たれているってことですかね。

余計なものが少ない水なので、そこから塩を作ると不純物が少なく、良い質になるそうです。確かに、深層水から作った塩の方が白っぽい。色で判断していいのか知らんが。

あと海洋の水は世界全体で循環しており、大西洋から太平洋に届くまで二千年もかかるそうな。さっき私が飲んだ深層水は、2000年の時を経てグリーンランドから届いたものかもしれないのです。ロマンだねぇ。「普通にミネラルウォーター」とかテキトーな感想言ってしまってごめんな。「悠久の時を経て海底から届けられた自然の恵みである普通のミネラルウォーター」に訂正させていただきます。

「海をネタにしているのに魚がいないのは寂しい」と資料館さんサイドが思ったかどうか、いちおうクマノミくんと伊勢エビくんは取り揃えられています。

その横にもっとデカい水槽があるんですけど、中はオオグソクムシで埋め尽くされており、ホラースポットと化しています。こんなに大量に揃える必要があったのかな?ひっくり返っているやつも居ますが、死んでいるわけでは無いそうです。

 

なお焼津市では、ふるさと納税の返礼品として「生きたままのグソクムシをクール便で届ける」ってのをやってるそうです。寄付者に嫌がらせをしないでほしい。1番かわいそうなのは、中にグソクムシが入っていると知らずに運ばされるヤマトの宅配員さんである。

ふるさと納税サイトで探してみたけど無かったので、今はやってないのかもしれません。

資料館はそんな感じでした。物販コーナーは、深層水や塩を使ったお菓子やアイス、入浴剤など。アクアス焼津でも同じようなの買えますが、深層水アイスはここだけだった気がする。

あと給水用タンクもあるので、目覚めてしまった方は衝動買いして深層水パワーを授かってどうぞ。

 

おしまい

 

【滞在時間】30分

【混雑度】★★★(館内にちらほら人がいる)

【URL】焼津市/深層水ミュージアム

 

能美市 九谷焼美術館

九谷焼

佐賀県の有田で17世紀初頭に日本最初の磁器製造がされ、それに続いて1650年代に石川県の九谷でも製造されるようになりましたが、1710年頃にぱたっと生産が途絶えた。製造再開されたのは100年後の19世紀前半で、能美市加賀市を中心に幾つかの窯が登場しては消えていき、現代まで繋がっているそうです。

空白の100年間がなぜ生じたのかは今でも謎なんだとか。このときの大聖寺藩主(3代~4代)および加賀藩主(5代目)は揃ってアンポンタンで、先祖が築いた財産を遊蕩三昧で溶かし切り赤字転落させているぐらい暗愚だから、たぶん九谷焼の焼き方が分からなかったんじゃないか。窯で饅頭でも焼かせてたんだと思う。

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九谷焼の窯元って発祥地の九谷だけでなく県内いくつか広まっているので、博物館や美術館も県内に数か所あるんですね。しかし能美市は陶芸家支援プログラムを設けたり、小売店舗を一か所に集めてショッピングモール「九谷陶芸村」を作ったりと、かなり気合を入れているようです。

アクセスは、能美根上駅からコミュニティバス「のみバス」20分100円で来れます。ただ電車の到着時刻とバスの発車時刻ぜんぜんリンクしてないので、ご利用時はお気を付けください。

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美術館に入る前に、その正面に広がるショッピングモール「九谷陶芸村」を見学します。10店舗くらいあるので、様々な九谷焼を見比べてお土産にできます。飲食店は「カフェ九谷」があり、私はそこで昼を食べましたが、それ以外に徒歩圏内には店はほぼ無いと思う。

・・しかし人っ子一人いませんね。マンボウも出てない土曜日だったんですが。つい最近魔王に焼かれでもしたのかしら、この村。

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10店舗あると言いましたが、営業してたのは半分くらいでした。まぁ1店舗の規模が大きいので、それでも結構時間は経ちます。

石川県の人に九谷焼の話するとだいたい「値段が高い」って返ってくるんですが、確かに値が張るようですね。左のトラ太郎は22万円でした。観光客がふらっと買う値段ではないね。

右のは値段かいてありませんが、それ以前に許可取ってるんだろうか。。鬼殺隊からの著作権賠償請求vs九谷焼の値段。FIGHT!!

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では美術館に入ります。入館料は430円。

主要な展示室は「紺青の間」と「朱赤の間」。ポケモン初代に寄せてるわけではなくて、九谷焼の分類として「青手」というのがあるのでこれが青の間、「赤絵」というジャンルが赤の間に並んでいます。

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ポケモン初代は大正義ゼニガメ!ということで青の間から行きますね。

これが九谷焼における「青手」様式・・・ぜんっぜん青くない!緑と黄色やんけ。

どうも青手とは、緑・黄・紫・紺の4色を使用する品を指すようです。青色、使われてすらないのに名義だけ取られてるぞ。

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この4色に赤を足して計5色になると、「五彩手」とか「色絵」などと呼ばれるようになります。「絵」という漢字が入るように、カラフルに写実的な絵を描くのが色絵様式になるそうです。でも日本絵画って写実的って言えるんですかね?超巨大雲とかウネウネ松とかよくあるじゃないか。

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染付の作品もありました。ただ染付って、きれいな白地に青い装飾ってイメージですが、江戸時代後期の作品にもかかわらずあまり綺麗な白じゃない気がします。

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この2つは佐賀県にある九州陶磁文化館で撮った有田焼で江戸時代前半の作品ですが、だんぜん綺麗な白である気がしますね。

原料である陶石の問題なのか知りませんが、きれいな白磁がつくれる有田に対し、九谷では作れなかった。それならカラフルな絵具で器全体を塗ってしまえば良いのでは、となって先ほど見た青手や色絵が登場したそうな。最初に見た青手の作品なんてそんな感じでしたね。

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赤バージョンの部屋に進みますが、5色で塗りつぶすに留まらず、派手派手な方向へ進んでいき、何を食べても唐辛子味になりそうな「赤絵」、金彩をほどこした「金襴手」が登場。これ有田焼もそうなんですが、海外輸出品としてはド派手なのが受けた時代なのでこんな品がいっぱい作られたそうです。
明治には九谷焼の生産量の8割が輸出されるほど需要が高まり「ジャパン・クタニ」と名が知れ渡りましたが、欧米の不況や粗悪品混入による信頼性低下などで1880年代にはもう下火になっちゃいました。たった20年足らずの九谷バブルであった。

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人間国宝の徳田八十吉さんによるもので現代の作品ですが、館内の作品で1番良いと思ったので載せます。異空間に引きずり込まれるような力強さがありますが、ずっと見ていると私の頭がパラレルワールドになってしまいそうなので5分以上連続して見ないようにしましょう。ミスチルの『重力と呼吸』ジャケットに似ている。

ちなみに徳田先生の作品はHP見ると80万円くらいで買えるようです。車より低価格で人間国宝の作品を買えるって思うと、すこし考え変わりませんか?変わりませんか、、そうですか。。

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展示品はもっといっぱいありますが文字数が迫ってきたので、バルタン聖人でもご覧ください。九谷焼ウルトラマンシリーズを2011年から作り始めたそうです。伝統工芸とクールジャパンの融合。エヴァンゲリオンも作ってほしい。旧劇の巨大綾波とか。

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2階に上がると、九谷焼の製造解説がありました。ビデオが流れていますがYouTubeでも公式が同じ映像のせています。

これは絵具の写真なんですが、左が紺色で右が緑色です。。。え、どっちも白じゃん。

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和絵具なんですが、焼かないと色が出ないそうです。

左が焼く前で、右が焼いた後。全然違う。

これ絵付師は大変ですね。「あれ、いま塗った色、紺だっけ緑だっけ・・?」って私だったら絶対なる(記憶喪失)。せっかくの器を台無しにして、ろくろ担当からぶっ叩かれること間違いなし。

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最後にですが、この美術館はもう1棟「浅蔵五十吉記念館」があります。美術館の入館券と同じものでそのまま入れます。

文化勲章を受章した名工 2代目 浅蔵五十吉さんを記念して作品群を展示しています。

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しかしこの作品がねぇ・・動物たちがまったく可愛くないのですよ。左の写真の鳥や魚は目がイッちゃっており、右の鳥は「眉毛と髭の濃いオッサン」「変なおじさんの時の志村けん」にしか見えなくなってしまった。

日展顧問も務めていたそうですが、その期間はラリラリしている動物作品もしくはドリフのコントが多数入賞したことでしょう。

おしまい

 

【滞在時間】3時間(昼食含む)

【混雑度】★★(他に数人)

【URL】KAM 能美市九谷焼美術館

 

三栖閘門資料館

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正面に見えるのが三栖閘門(みす こうもん)で、左の建物が資料館です。国交省が管理する河川施設だそうです。

中書島駅から伏見港公園を突っ切って徒歩10分ちょっとですかね。Googleマップを見ながら来る人は、必ず徒歩設定でルート検索しましょう。車設定で検索してしまうと高架橋の上を歩かされ、橋の上から飛び降りて現地到着する羽目になります。できなくはないですが両足複雑骨折する程度の高さはあるかと思われます。

車で来る人は、伏見港公園の駐車場に止めることになりそうです。

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(右→左の順で見てね)

この水門なんなの?って話ですが、壕川(ごうかわ)と宇治川が繋がる地点にあります。壕川は宇治川より水位高いので、壕川→宇治川にそのまま進むと自動スプラッシュマウンテンになってしまうから、高さ調節が必要です。

写真だと、壕川から来た船が水門の間(閘室)で一旦停止します。

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閘室の下部には管が付いており、水を排出して水位を下げます。宇治川と同じ水位にまでなったら水門オープン、船は無事に通ることができました。「スプラッシュマウンテンの方が良かった」とか言う人はそんな生ぬるいこと言わず、富士急か長島スパーランドの飛び降り自殺体験みたいなコースターに乗ってくると良いでしょう。

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上の写真は資料館内のビデオであったやつですが、こんな感じで三栖閘門の仕組みと、あとこの一帯はかつて伏見港という港があって一大流通拠点の機能があったんですね。伏見の開発をしたのは豊臣秀吉ですが、開発時~拠点機能が終わるまでの歴史の展示もしております。

入館料は無料です。

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三栖閘門の仕組みは館内ビデオを見ればよく分かると思います。ビデオ終了後、船の模型がのっそのっそと現れて、デモンストレーションをしてくれました。

あまりにもゆっくり動くので途中で壊れてタイタニックしないかヒヤヒヤしましたが、今のところ元気です。見学をお考えの方は船くんが元気な間にご来館ください(この手の模型は修理費用が高すぎて、いったん壊れると「修理中」の紙が未来永劫貼られると思われる)

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(完成した当時の三栖閘門)

ここまでの説明だと三栖閘門を通る船がいっぱいあるような印象を受けますが、現代では観光用の船を除いては無いようです。

1929年完成しましたが、既に京阪電車が営業開始しており、舟運は衰退基調。鉄道網や道路網が発達するにつれ、1962年には輸送が終了・水門の役目は終わりを告げ、今日に至るまで盛大な飾りとして残っております。

 

これだけ盛大な設備がたった30年で用無し・・。「建設するという判断は正しかったのか!」「閘門という漢字が読めない!改名しろ!」と株主総会での追及まったなし。

このままでは資料館さんサイドが市民オンブズマン東京新聞にボコボコにされてしまうので、この地域における舟運が歴史的に重要だった!だから三栖閘門は必要だったのだ!という解説展示が次に控えています。やられる前にやる。生殺与奪の権を他人に握らせるな。

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© OpenStreetMap contributors

ただその展示内容が死ぬほど分かりづらくて「さすが行政系施設」と唸らされましたので、整理用にマップを書いてみました。

三栖閘門があるのは、左下の壕川と宇治川の合流する地点、ここに伏見港がありました。秀吉が伏見城を築いた時に開港。宇治川は淀川にそそぎ、大阪まで繋がっているので、大坂~伏見は海路・伏見~京都は陸路で結ばれ、伏見は一大交易拠点となったとさ。伏見城は1623年に廃城されていますが、徳川政権下でも城下町は活発な経済の地であり続けます。

1614年には京都市街まで運河が作られ、船で京都まで行けるようになります。その運河が「高瀬川」で、マップの左端を走ってるやつです。たぶん壕川に接続して伏見港に入港していたと思われる。

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高瀬川開通させたのは角倉了以っていう商家なんですが、肖像画が怖すぎて草。売店の裏で5人くらい殺してそう。

運河と言いつつ水深数10㎝しかないほど浅いので、船底が浅い「高瀬舟」が使われました。高瀬は浅瀬って意味だそうです。森鴎外の小説はこの高瀬川が現場です。

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伏見は大坂~京都をむすぶ重要拠点となり、大名も屋敷を構えたりしてますます産業が発展しました。特に有名なのは酒蔵ですね。「灘の男酒・伏見の女酒」ってフレーズが有名ですが、軟水の伏見では柔らかい飲み口で女性も楽しむ酒ができる、と。

地元産業界にとって物資流通のため河川は超重要インフラであり、三栖閘門は無くてはならぬ存在だったのだ。覚えておけ!ということでした(そんな解説文はありません)

おしまい。

 

【滞在時間】30分

【混雑度】★(誰もいない)

【URL】三栖閘門資料館

 

淀川資料館

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国交省淀川河川事務所HPより

これ全部、淀川水系

河川ってのは山奥の水源地から海にたどり着くまで大小様々な川が出たり入ったりするので、それを全部ひっくるめると「水系」という単位になります。

淀川水系は琵琶湖のある滋賀県を中心に、三重・京都・大阪・兵庫・奈良と6府県にまたがる長大な水系です。すげー・・と思ったけど、流域面積としては全国で7番目に過ぎなくて、トップの利根川の半分しか無いらしい。利根川どんだけ我が国の面積食ってるねん。燃費悪いぞ。

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© OpenStreetMap contributors

んで淀川の本体はどこかというと、山崎と言う場所で3つの河川が合流するので、ここから大阪湾にそそぐまでを指すようです。

山崎と言うと、ウイスキー作りたくてしょうがなかったサントリーの創業者が水の品質の良い土地を探し回り、そして辿り着いた場所としてアル中の皆様には有名だと思いますが、その恵みは淀川水系がもたらしているのかもしれません。山崎25年は淀川が育てた。のでそれを自宅に置いている岸田首相も淀川が育てた。

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淀川の管理は国交省がやっているので資料館が枚方市駅の近くにあるんですが、、、最初廃墟かと思ったんですよねえ。経過年数を感じさせる外観・「淀川資料館」フォントのバブル前時代感、草ぼうぼう。ちゃんと開いてる?「管理物件」って札たてられてない?

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1つ前の記事で出てきた「くらわんか船」。江戸時代には猛威を振るった商売船も、苔むした鉢植えと化してしまった。おごれるものも久しからず。自身が雑草くらわんか!されてしまった。

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入館しようとしたんですが、扉ががっちり閉まってます。しまっていこうぜ!え、休館日?

そうではなくて、入口のインターホンを推すと、敷地内のどっかにいる館員さんが遠隔操作でドアロックを解除してくれます。すばらしいコロナ対策。まぁ30分ほど滞在したけど他に誰も人いなかったですけどね。

なおロック解除されたらすぐ入らないと、オートロック機能が作動して施錠されてしまいます。体感10秒くらいですね。私はのんきに写真撮ってたのでロック掛かってしまい、もう1度館員さんに開けてもらう羽目になりました。仕事を増やしてすまんな。

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朽ちた天井が落ちてくるレベルを想像していたんですが、意外と中は綺麗ですね(無礼)。全部で3部屋ありますが、まずは水槽の置いてある部屋に入ります。淀川に生息する生き物の紹介です。

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絶滅危惧種 イタセンパラです。体長10㎝と小さい、日本固有で鯉の一種。

2枚貝を見つけてその中に産卵するという特性があります。孵化した稚魚は冬の間は貝の中で過ごし、春になると出てくるそうな。2枚貝さんサイドにとっては勝手に家の中入られて卵産みつけられて、しかも春まで居座られるわけですが。府営住宅を紹介してあげると良い。

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いっぱい水槽あるのでイタセンパラ居るのかなと思ったら1人も居ませんでした。フナとかウナギとかでした。

昔はイタセンパラいっぱい居たそうですが、みんなの敵ブラックバスが放流されたせいで稚魚が食い荒らされ、個体数が激減してしまったそうです。許せない!淀川の水全部抜いて根絶やしにしよう。

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魚だけかと思って油断していると、こういうのがいきなり出てくるわけ。山へお帰り。川はあなたが来るところじゃないしいいから帰ってくれないか(真顔)

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ブラックバスが近寄らず、イタセンパラが生息できる環境を作るための取り組みがあるようです。「ワンド」を作ること。

明治時代、淀川は水深が浅かったので大型船が通れなかったそうな。なので水深を深くするために、川の両端に「粗朶沈床(そだちんしょう)」を設けました。

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粗朶沈床ってのは木の枝で組んだ筏みたいなもので、これを川の両端に置いておくと水の流れが阻害され、水が両端を通らない→川の中央部分に流れが集まるようになる→中央部分の川底の土砂が押し流されて水深が深くなる仕組み。かしこい。

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これが実物の小さい版。がっちがちに枝を組み合して頑丈に作られてますね。

ちなみにコンクリートブロックだと、水流で川底が削れた時、ブロックが傾いて崩れたり流されたりする問題があるのだと。木枝ブロックだとしなやかさがあるので、川底の形が変わってもそれに応じて踏みとどまれるようですね。しかし枝編むの大変そうだからコンクリの方が絶対安いと思う。

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2つ目の部屋に行きましたが・・圧倒的パネル展示!活字中毒者か河川中毒者以外を死に至らしめる単調さ。寝るな!寝たら死ぬぞ!施錠されて出られなくなるぞ!

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10秒くらいで次の部屋に行ったんですけど、、あぁここでも私を待ち受けていたのはパネルであった。それも先ほどと比べ物にならないほど巨大な年表。400万年前からの淀川の歴史が列記されているんだけれど、開館史上これ全部読んだ人いるのだろうか。ところどころ「紀貫之が土佐から帰国」「銀閣寺建立」って淀川関係ないイベント挟まれている気がするんですが・・

なお中央のスクリーンは動くことはありませんでした。おしまい。

 

【滞在時間】30分

【混雑度】★(だれもいない)

【URL】淀川資料館

 

市立 枚方宿鍵屋資料館

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』だったと思うんですけど、大坂のあたりで船に乗ってたら小舟で近づいてきて「もち買えやー!」「饅頭くいさらせー!」って罵詈雑言吐きながら物を売りつけてくる奴らが居たと。なにそれ怖い。物売りと言うより単なる恫喝である。

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んで、この資料館は恫喝商売人こと「くらわんか船」の営業をしていた、鍵屋という舟運&宿屋さんです。そんなとこに泊まったら「逆ディズニー現象(キャストにボコボコにされる)」が生じる恐れもありそうですが、大正~昭和にかけては高級料亭として有名だったそうです。人格が荒れるのは船に乗った時だけなのかもしれない。こち亀の本田かな?

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入場料は200円です。
入館すると最初に2Fの大広間に通されました。高級旅館・料亭の一室として使われたようです。誰もいないので体操 床の練習ができそうですが、鍵屋さんの血を騒がせるとまずいので止めておきます。

江戸時代から営業しており、淀川舟運の待合所や宿として使われていましたが、京阪本線が開通して舟運が衰退すると料亭となり、1997年で営業終了しました。意外と最近である。

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和風大広間なのに洋風なシャンデリアとか、金龍の欄間とかに、高級料亭の風格・気概みたいなものを感じますね。陸の上ではちゃんとしている。

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往時を再現した模型だと思いますが、すぐ裏手が淀川なんですね。待合所の建物からすぐに船に乗り込める。

乗船所と言うだけでなく、物資の交易をおこなう船問屋の営業もしてたんじゃなかろうか。大きな河川沿いにはよく見られる光景です。

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というわけで窓の外を見ると淀川の流れが・・見えませんね。大阪府の道路 京都守口線というらしいですが、道路のアスファルトと行きかう車がよく見えます。いやーいい景色だなぁ(白目)

昔は模型のとおり川に面していたようなので、大広間から川が眺められる風情ある光景だったようですが、河川改修で淀川の流路が変わったので、だいぶ離れてしまいました。逆に車の運転手さんたちから視線を浴びることになります。おっすおっす!

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船の模型がおいてあります。左の大きいのが「三十石船」といい、30人くらい乗れるので、これに乗って淀川を行き来してました。

んで右にあるのが、かの罵詈雑言配布戦闘機「くらわんか船」。ちっさ!これで「饅頭くらわんか!」と三十石船の乗客相手にイキり倒してくるわけですね。

三十石船さんサイドがキレてしまって体当たりでもかましたら、くらわんか船即死すると思いますが、そういうわけにもいきませんでした。くらわんか船は、海難事故発生時の救助など、公的な役割を役所の委託で担っていたからです。だから「幕府のお墨付きじゃー」とデカい態度を取れてたわけですね。巨人ファンの頭に阪神の帽子かぶせるぐらい平気でやると思う。

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1Fに降りると、淀川舟運の話や、ここ枚方宿の歴史が展示されています。

枚方の町は大坂~京都という大都市の線上にあり、京街道大坂街道ともいう)や淀川が通っているので、陸路・水路ともに使える拠点のようです。

旅籠の数が多くて、枚方宿にあった380軒の建物のうち、70軒が旅籠だったそうな。5~6軒に1軒が宿屋ってかなりの割合では。

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つまりは住宅街と言うより繁華街ということです。

江戸時代の異邦人ケンペルとシーボルト枚方を訪れた記録を残しているんですが、2人とも「若い女中≒売春婦がいっぱい居る」って感想だった。あぁ、そういう町だったんですね。そんな点に目を取られているこいつらもこいつらって感じですが。やっぱ好きなんすねぇ。

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鍵屋さんで発掘された茶碗たち。

器に「タカ」と墨書された壺があったらしいが、タカさんなる人物が自分の名前を記したものと解釈されていた。壺に書くんかい。みんなも、自分の持ち物に名前を書くと200年後とかに発掘されて博物館に展示され、ぼけーっとやってきた来館者に「書けってママに言われたのかな?w」とかコケにされる恐れがあるから気を付けよう!

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あと枚方で発掘された茶碗は「くらわんか茶碗」と呼ばれていて、くらわんか船でたぶん使われてたんだろう、というのが語源になっているそうです。

九州の波佐見で製造された品が多いんですが、有田焼の本を以前読んだとき「江戸後期から有田では高級品を主に作っており、波佐見では安価な日用品を大量製造していた」と半分侮蔑っぽい文章がありまして、その波佐見焼のようです。

まぁ館内の資料映像でも、くらわんか船では大したもの売ってなかった描写だったんで、安っぽい茶碗使ってても違和感ないですね。やっぱりイキってる態度クソ悪なだけの店員だったんじゃないか、あの船。戦略核兵器を搭載した原子力潜水艦を江戸時代に送って弾道ミサイル「くらわんか」砲撃して木っ端みじんに粉砕し、儒教的精神を叩きこむのが良いと思われる。

 

おしまい

 

【滞在時間】40分

【混雑度】★(だれもいない)

【URL】市立枚方宿鍵屋資料館